バッファロー

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バッファロー

 ボクが小学校5年生の8月。猛暑の中、ボクたち家族は大阪の、とある下町に辿り着いた。駅を出てすぐ父が「おい」とアゴで駅前の交番を指し、ボクに100円玉を手渡した。    ボクはすかさず走っていき交番の表に在る掲示板に目を通し、そして交番の中を覗いた。  すぐに中に居た中年で左のほう骨の所にアザのあるお巡りさんがボクに気づいて交番から出てきた。「なんやボウズ、なんか用か?」 「……コレ、ひろった」  ボクはさっき父に渡された100円玉を出した。 「そうか、それでわざわざ届けに来たんか、えらいなー。ヤッパこういう子は親の教育がしっかりしとんやろな。ウチの子なんか、ベラベラベラベラ、ベラベラベラベラ――」   アザのお巡りさんは、ボクの反応なんかお構いなしに一人で喋り続けながら、引き出しの中から書類を取り出した。  ボクはその間に交番内のカベを素早くチェックする。 「――ベラベラベラベラ、……」    お巡りさんは急に黙り、書類をジッと見つめると、 「……まあエエか、面倒くさいしな」  と、つぶやき書類を元の引き出しにしまった。 「この100円は、おっちゃんが責任持って預かるさかい、落とした人が来たらチャンと渡しとくからな安心しいや」  そう言うと100円玉も書類と一緒の引き出しにしまった。  ボクは何も言わずに頷いて、交番から出ていこうとしたが、お巡りさんは「チョットまちい」と言ってボクの事を引き止めるとポケットから小銭入れを取り出し、 「エエことしたから、ご褒美やと思ってトットイテンカ」  とボクに100円玉を渡した。  ボクは「トットイテンカ」の意味が分からず一瞬迷ったが、「取っといて」の事だと推測して、おそるおそる100円玉を受け取り、ボソッとした感じで「ありがとう」と言うと足早に交番を出て、父の元へ戻った。 「父さんの写真無かったよ」     どこの町でも大抵駅前には交番が在るので、電車で移動した時には、いつも父の写真が貼られてないかチェックしていたが、父の写真が貼られているのを見たことは結局一度も無かった。                        *  父親が指名手配犯だという理由で、ボクは幼い頃に全国を転々としていた。  大体1年ぐらい、早いときは数週間単位で次の町へ引っ越すという暮らしをしていたのだが、幸いボクはそんな暮らしの中でも学校に通う事が出来た。  どうやって転校の手続きを取っていたのか、今考えると不思議だが両親にその方法を訪ねる機会はなかった。  最近になって、例えば夜逃げをしている家庭などでも地域の教育委員会に相談すれば子供がちゃんと義務教育を受けられるように配慮してもらえるという話を聞き、色々思い出してみると、確かにボクは当時引っ越しするたびに母と二人でそれらしき所へ行っていた記憶が在る。  むろん教育委員会相手でも本当の事を言う分けにはいかない。当時ボクは母方の姓を名乗っていたので、父の存在を隠し、きっと適当な事情をでっち上げていたのであろう。                    *    わりと簡単に家が借りられたので、大阪に着いた翌日の夕方には、ボクたち一家は安宿から安アパートへと移った。  アウトローにとって家を借りるというのは金銭的な事以外にも、保証人や勤め先、身分証明などの問題が在り、なかなか面倒な事だが、田舎と比べると人の出入りが激しい東京、大阪などはだいぶ楽だった。  特に当時の大阪はウサンクサイ人間のふき溜まりの様な感が在ったので、「金さえ払えば後の事はどうでもいい」というヤケクソ気味の家主も多かった。         しょっちゅう引っ越ししているのでボクたち家族の持ち物は必要最低限のモノしかなく、家にはテレビもラジオも無い。  もう少し生活が安定してくれば中古で家電を買う事もあったが、それも次引っ越す時にそのまま置きっ放しにしてきてしまう。そういった環境で、育ったためボクは必然的に読書好きになった。   引っ越したのが夏休み期間中だったので、ボクは一日を本を読むのと、近所を散歩することについやした。  知らない町を当てもなく歩くというのは子供からしてみれば、それだけで刺激的な事で、大人になってから見れば何の変哲も無いありふれた町並でも、当時は新鮮で楽しかった。    ボクは子供の頃、引っ越しするたび、しばらくの間はやたらに散歩に出かけた。  この時は、夏真っ盛りなので、気温はかなり高かったはずだが、クーラーも扇風機も無い家の中とたいして変わらず、気にならなかった。  大阪の下町といえば中小の工場がやたらと多いのが特徴だが、この町もその例に洩れず、こじんまりとした工場が沢山在ったのを記憶している。  工場の他に港が在ったのが印象に残っているが、その港はとっくに寂れていて、波止場にはいつも同じ廃船同然の貨物船が数隻さみしく浮いているだけだった。          *  夏休み最後の日、いつもの様にボクが散歩から帰ってくると、アパートの前にボクと同年代の少年が立っていた。  近鉄バッファローズの野球帽を被り、シャツは襟がノビノビ、半ズボンにビーチサンダルというジモティーだという事を全面に押し出したファッションの少年は、どうやらボクが帰ってくるのを待っていたらしい。 「お前が上の部屋に引っ越してきた奴か?」 「……うん」 「どっから来たんや?」 「九州」 「九州か、じゃあダイエーのファンか?」 「……違うけど」 「じゃあドコや、ドコのファンなんや?」 「別に……好きなとこ無い」 「そうか、別に好きなとこ無いんか、それやったらオレと同じ中日ドラゴンズのファンになってくれや!」 「……いいよ」 「ブゥッー!! ツっこめや、近鉄バッファローズのボウシ被っとんやから、『近鉄ファンなんちゃうんかい!』とか言ってくれへんと、まともに会話成り立てへんやろ」 「……ゴメン」 「別に、あやまらんでもええけどやな……でも冗談抜きで近鉄のファンなってくれや」 「……なんでやねん!」 “ビシッ” 「お前がなんでやねん! 別に今のツっこむとこちゃうやろ」 「ゴメン」 「もうええわ、とにかく明日から学校行くんやろ? オレが朝迎えに行ったるから一緒に行こう」 「……分かった」 「じゃあな、また明日」  そう言うと少年は自分の部屋へと帰って行った。  翌朝、少年が約束どおり迎えに来ると、母は「転校初日から友達が迎えに来るなんて、良かったわ」と喜んだが、当時のボクは、親しくなっても、すぐにまた別れるということを繰り返していたタメ、友達をつくることに消極的になり、内にこもりがちだったので、何となく気が重かった。    少年はボクと同い年で、和田くんといった。彼は学校までの道のり、自分の事や、野球の事、テレビの事などをずっと喋り続けた。 「もしかしたら同じクラスになれるかもしれない」と言っていたが、現実は彼の期待通りに行かず、ボクと和田くんは別のクラスになった。  ものめずらしさから転校生と親しくしようとする子はどこの学校にも居る。しかし、そういう新しいもの好きの人は、得てして飽きるのも早いので、ボクが彼らの期待するような面白い人間では無い事が分かると、すぐに離れて行くのだが、和田くんは違った。  和田くんはその日から毎朝、ボクの事を迎えに来て、学校でも休み時間のたびにボクの居るクラスに顔を出した。  最初は人と親しくなることを望んでなかったボクも、和田くんがあまりにも、仲良くしようと接してくるもんだから、いつのまにか彼に心を開いていた。  放課後もきまって一緒に帰り、帰った後も日が暮れるまで一緒に遊び、学校が休みの日も一緒に遊んでいたので、ボクと和田くんは四六時中一緒に居た事になる。   ボクがこの町に住んでいた一年以上の間、ずっと彼とボクは親しかった。  なぜ和田くんは当時のボクの様な非社交的な人間と仲良くしていたのか、一つは彼の大阪人気質のおかげだと思う。  ボクが喋らなくても彼が一人で二人分喋るので、ボクはただ彼が言う事に相づちを打っていればよかった。  それと、一人っ子だった彼は、ある時「兄弟がほしい」と言っていた事がある。もしかしたら、同じアパートに住むボクの事を兄弟の代わりみたいに思っていてくれたのかもしれない。  普段は転校しても、なかなか新しいクラスに馴染めないのだが、大阪では和田くんのおかげで沢山友達ができた。  話が苦手なボクのかわりに和田くんが喋って他の子との仲を取り持ってくれたのだ。まるでマネージャーの様にボクの事を紹介し、ボクに対する質問にも彼が答え、遊ぶ約束まで彼が決めた。  放課後、よく一緒に遊んだのは、近所に住んでいた北恩くんと加島くん、この二人はボクと和田くんよりも一つ年上の六年生だった。それと西山兄弟。  兄のセイジはボク達と同じ五年生で、和田くんがいつも近鉄バファローズのボウシを被っているのに対して、彼は阪神タイガースのボウシを被っていた。  西山兄弟の弟エツオは三年生で一番年下だったが、気が強く北恩くんや加島くん相手にも気後れするような所はなかった。  大阪の人は賑やかでよく喋るというイメージが在るが、実際にその通りで、みんな和田くん同様明るく、よく喋った。  この四人にボクと和田くんを加えた六人で遊ぶ事が多かった。ボクはこの中では「ニヒル」というアダ名で呼ばれていた。  あるとき無口なボクに対してエツオが「おまえ、なんか暗いなァ」と言った時に和田くんが「違うねん、こいつは暗いんちゃうねん“ニヒル”やねん」と言ってかばってくれたのがきっかけだ。    みんなニヒルの意味を知らず、言った和田くん本人も「ニヒルって何や?」という問いに対して「……なんやよう分からんけど、こいつみたいな性格の事をニヒルって言うんや」といい加減な答えしか出来なかったが、とにかくその日以来、ボクは暗いのではなくニヒルという事になった。  住んでいた地域がそうゆう所だったということもあり、みんな貧しい家の子だったので、テレビゲームやイカしたおもちゃを持っている子は居なく、遊びといえばもっぱら外で、ゴムボールとプラスチック製のバットを使った野球や、ボール当て鬼に似た「ハサミン」という遊びをする事が多かったが、子供からしてみれば町全体が遊び場の様なもので、時折、廃工場に忍び込んだり、港でムチャをしたりして遊んでいた。  和田くんとセイジはライバル関係にあったので、遊びの時もお互い激しく意識していて、野球をすれば「振った、振らない」で揉めて乱闘になり、港ではどちらが遠くまで石を投げられるかを延々と競い合い肩を脱臼したり、停泊している船に防波堤から飛び移れるかどうかという根性だめしみたいな事をして、二人とも飛び移った所まではよかったが、戻ってこれなくなったり、そんな事ばかりしていた。  大抵、引き分けや、勝敗がうやむやになる事が多かったが、たまに決着が着くと「これだから阪神ファンは……」「これだから近鉄ファンは……」と勝った方は決まって負けた方の好きな球団をバカにする様な感じで言った。  こうして書くと、まるで和田くんとセイジは仲が悪い様に思えるかも知れないが、実際はそんな事無く、2人は親友と言ってもいいと思う。  ただ二人とも年相応に子供ぽく、まけずぎらいで、たまたま大阪にある別々の球団を好きになってしまっただけの事だ。  こんな2人の根性だめしにボクも一度だけ巻き込まれた事がある。                     *  港の近くに、周りを金網で囲み、中に材木や鉄屑が沢山置いてある結構広い私有地があった。  入り口には南京錠が掛けられてあり、金網の上には有刺鉄線も在ったが、この土地の持ち主はそれだけでは安心出来なかったのか? もしくはただの愛犬家なのか? 金網の中では犬の家族が放し飼いにされていた。  成犬が2匹に子犬が4匹居て、母親と子供たちは比較的おとなしいのに対して、父親は怖い感じの犬だった。  ノラ犬的な風貌を持つ雑種犬で、大きさは、大きめの中型犬、もしくは小さめの大型犬といったところ。人が金網沿いの歩道を歩いていると気配を察して現れ。吠えながら金網越しについて来て、姿が見えなくなるまでずっと吠え続けているのだ。  ある日、映画「スタンド・バイ・ミー」を見て、その映画の中で少年達が、獰猛な犬が居ると噂のスクラップ置場の中を突っ切るというシーンに感化されたセイジが、いきなりこの資材置場の中に飛び込んだ。  有刺鉄線が剥がれている所から金網を乗り越えて中に入ると、すぐに気配を察した犬が飛んで来たので、セイジはほんの一瞬中に居ただけで、すぐ外に出たが、ボクらはセイジのその行為に度肝を抜かれた。  その時はみんなビックリしてセイジの行為を「危ないことすんな」「なに考えてんねん、アホちゃうか」などと言い非難したが、後々になってから、「やっぱり、さっきのセイジすごかったんちゃうか?」みたいな雰囲気になり、結局、「アホやけど、度胸は認める」という事になった。     すると翌日、学校でセイジとエツオの兄弟は、昨日の事を自慢げに武勇伝として、みんなに喋りまくった。  みんなの反応はお愛想で「すごいやぁ~ん」と言う程度のものだったが、それでも、セイジとライバル関係に在る和田くんからしてみればおもしろく無く、「あんなん俺でも出来るわ」と、その日の放課後、こんどは和田くんが昨日セイジがやった事と同じことに挑戦した。  和田くんが金網を乗り越えると、昨日同様、気配を察した犬がすっ飛んで来たが、和田くんはすぐには逃げず一呼吸置いてから逃げた。そしてセイジに向かって「俺の方が長く中に居た」と挑発的に言った。  セイジは何か反論しようとしたが、それをさえぎってエツオが「次は俺がやる」と宣言した。  金網越しに犬が猛烈に吠えていた。      翌日、ボクたちが金網に近づいた時にはまだ犬の姿はなかった。しかしエツオが金網を上りきらないうちに、昨日、一昨日よりも早いタイミングで犬が姿を現わした。 「エツオ! ヤバイ、犬が来た!」  みんなは当然エツオは挑戦を止めると思ったが、エツオは止めるどころか逆に急いで金網を上り、資材置場の中に飛び降りた。犬はすぐそこまで迫っていたがエツオは素早く金網の上部に飛び付いてギリギリで交わした。  冷や汗をびっしょりと流すボクらに向かってエツオは満面の笑みを浮かべ、 「俺が一番すごい」と言った。  翌日には北恩くん、翌々日には加島くんがそれぞれ金網を乗り越えた。年下がやっているのに自分たちがやらないと面子が立たないと考えたのだろう。おかげで自然な流れとして、加島くんの翌日にはボクに順番が回ってきた。  嫌なら断る事も出来ただろうが、ボクも当時は子供らしい無鉄砲なところが少しは在ったので挑戦した。  ボクは金網をよじ上りながら、大阪に来る前住んでいた長崎で体験した「出島5(でじまファイブ)」という遊びの事を思い出した。「出島5」とはピンポンダッシュが進化した遊びで、インターホンを5回押して逃げるという実に迷惑なイタズラ遊びだったのだが、だんだんとエスカレートし、最終的には暴力団の組事務所に出島5を仕掛けた立花くんがパンチパーマの兄さんに捕まりとんでもない目に遭わされるという地元の新聞に載る様な事態になって終焉を向かえた。  ボクは(コレは何となく出島5に似ているな)と思いながら金網を越えた。  ほどなく、猛烈な鳴き声と共に犬が現れた。ボクは無理する気など無かったので、犬の姿を確認すると、すぐに逃げようと金網にしがみついたが、金網に右足を掛けた瞬間“パキン”という妙な感覚がして、サビついた金網の一部が折れ、そこへ足先が挟まって抜けなくなってしまった。 「ニヒル! 何してんねんっ、早く、早く逃げろや!!」 「足が! 足が挟まった!!」 「ワンワンワン!」 「早く! ニヒル、早く!」 「わっ、わかってる!!」  ボクは足を引き抜こうとモガいたが、案外しっかりと挟まっていてなかなか抜けない。 「ワンワンワン!」  犬はかなり近くまで迫って来ている。みんなが金網の向こう側から靴を必死で押してくれたが、力任せの強引な押し方だったので靴の中で足の指がねじ曲がり激痛が走った。 「イテテテテテテッ!!」  みんなが痛がるボクの事などお構いなしに押し続けたおかげで、ようやく足は抜けたものの、時すでに遅しで、次の瞬間には背後に迫っていた犬に右のふくらはぎをガブッといかれた。 「ハウッ☠」  今ではすっかり見かけ無くなったが、当時の子供はみんな履いていた半ズボンをボクも愛用していたので、直に生足を咬まれてしまった。  それを見ていたみんなは、咬まれた当人であるボクよりも大きな悲鳴をあげた。 「イヤアアアアア! ニヒルが、ニヒルが咬まれたー!!!」 ふくらはぎにヌメッとしたモノが広がるのを感じボクは(血が出てきた!)と思い動揺した。  ボクもみんなもパニックになる中、和田くんは大急ぎで金網を乗り越えて来て、犬を蹴飛ばし追い払ってくれた。 「大丈夫か!? 大丈夫か? ニヒル!」 「咬まれた、咬まれた、俺は咬まれちまった」  ボクは和田くんの力を借りて何とか金網を乗り越え資材置場から逃げ出した。  崩れ落ちるようにして道端に横たわったボクに、みんなが「しっかりしろ」とか「大丈夫や、傷は浅いで」などと声を掛ける。犬はボクたちに向かって、けたたましく吠えている。  ボクは恐る恐る咬まれた所を見てみた。激しく血が流れているのを想像したが、実際は何ともなかった。血だと思っていたヌメヌメは犬の唾液だったのだ。ボクはそれを見た瞬間、全然痛くない事に気づいた。 「あ、あれ。……いたくなぁ~い」 「いたくない? ……大丈夫なんか?」 「うん、全然、全然痛くないよ!」  ボクはその場で軽くステップを踏んでみせた。 「……あ、あま咬みか? ……」  ボクらはみんなで犬の方を見た。犬は相変わらず激しく吠えているが、シッポはビュンビュン横に振られている。その様子は見方によっては、威嚇しているとゆうよりも、遊んでほしくてアピールしている様にも見えた。          *  後に知った事だが、通学路として資材置場の前を毎日通る、中村くんという子が居て、その子はいつも給食で余ったパンを持って帰り、犬にあげていた。  そのおかげで犬は人によくなつき、特に中村くんと同年代のボクたちに対して好意を持っていた様だ。  ボクらが勝手に犬の見た目と、激しい吠え方、番犬みたいな飼われ方から怖い犬と思い込んでいただけだったのだ。  犬に咬まれても平気だという事が分かると、当然根性だめしは成立しなくなったが、その後すぐに「犬ごっこ」という遊びが考案された。  みんなで一緒に資材置場の中には入り、飛び掛かって来る犬から逃げて、一番最初に咬まれたら負け、鬼ごっこの鬼の役を犬がやるから犬ごっこ、という単純明快でバカ丸出しの遊びだ。  この遊びをやるようになってからボク達は勝手に「ルチーニョロ」という名を犬に付けた。    今考えると何故そこまで熱中したのか分からないがボク達は毎日、延々と犬ごっこを繰り返した。あまりにもコレばかりやりすぎてある日突然、ルチーニョロの方が飽きてしまい全然追いかけて来なくなった。  ボクは今でも、ルチーニョロが追いかけて来なくなった時のことを思い出すと、何とも言えない切ない気持ちになると共に、成犬の知能は人間でいうと3歳児程度だという説は間違っているな、と思う。あの時のルチーニョロは間違いなくボク達よりも賢かった。           *  大阪へ越して来てから一年以上経ったある日、ボクと和田くんが二人で下校していると、数メートル先の角からボクの父が飛び出してきた。  父は猛スピードで走っており、ほんの一瞬、すれちがいざまにチラッとボクの方を見ただけでそのまま行ってしまった。ボクは父と目が合った瞬間、アイコンタクトで大体の事情を悟った。  父がボクと和田くんの横を駆け抜けてすぐに今度は、シェパードが角から飛び出してきた。  さすがにシェパードは脚が速く、すぐに父に追い付いたが、父は驚くべき身のこなしでシェパードが飛び付いてくるのを交わすと、素早くヒトんちの塀に飛び乗り、さらに塀から屋根へ、屋根から屋根へと飛び移って、アレよアレよと言う間に遠くへ行ってしまった。  父は基本的には土木作業などの日雇いの仕事を見つけ真面目に働いていたが、どうしても仕事が見つからない時や、逃亡する為の資金が必要になった時などは空き巣に入る事もタマにあったので、そういう経験からこんな芸当が出来たのであろう。  シェパードは困惑した表情で塀の前をグルグルと回りながら「こんな事、訓練所じゃ習わなかったワン」と鳴いていた。  妙な空気が流れる中、和田くんはポツリと、 「ニヒルのお父さんて、犬ごっこのプロなんちゃうん?」  と、つぶやいた。  父とシェパードからかなり遅れて、数人の警察官や刑事が息を切らしながらやってきた。その中には一年前、この町に来たばかりの時に立ち寄った交番に居た、頬にアザの在るお巡りさんも居た。  お巡りさんはボク達に、 「今、この辺にワッルイ奴がおるさかい、危ないから、はよ帰りい」  と言ってきた。  アパートまでの道のり、和田くんは一言も喋らなかった。知り合って一年になるが、今までこんなに黙っている和田くんを見た事がなかった。  アパートの前まで来ると、しばらくの間2人とも無言で様子をながめていた。ボクたち家族の部屋の前に警察が居たからだ。  部屋の鍵は開いているらしく警察は自由に出入りしていた。母はこの時間パートに行っているので家には誰も居ないはずだ。  ボクはこういう場合どうするべきか事前に教えられていた、ランドセルの中に入れてあるお守りの中に一万円札が一枚入っている。それを使って静岡にある母の実家へ行くように、もしお金が足りなければ出来るだけ静岡に近いところまで行って、おばあちゃんに迎えに来てもらうように、と言われていた。 「……俺、おばあちゃんの所に行くよ」  ボクはこれが和田くんと交わす最後の会話になるだろうと覚悟して、話を切り出した。 「……おばあちゃんって、どこにおるん?」  「静岡……」 「静岡って、どこ?」 「けっこう遠いよ」 「そうか……、梅田とどっちが遠い?」 「静岡の方がだいぶ遠いよ」 「……もしかして、大阪やない所にあるんか?」 「うん……東京の横の横」 「…………………………」  和田くんのすすり泣く声が聞こえてきた。  これまでに何度も転校したが、ボク自身泣いたことは無かったし、泣いてくれた人も居なかった。後にも先にもボクと別れる時に、泣いてくれたのは和田くんだけだ。  気づくと、泣き声は一つだけでは無くなっていた。  いつの間にかボクも泣いていた。           *  ランドセルを背負った子供が、高速バスのチケットを買いに来るのはオカシイらしく、窓口の人にいぶかしがられた。  家出と思われ警察に連絡されては困ると思い、窓口の人におばあちゃんの所へ電話してもらった。  おばあちゃんは適当な嘘をついて窓口の人を納得させてくれたが、かなり大げさなことを言ったらしく、窓口の人は急に愛想が良くなり、最後には「この世には、神も仏もおらんのやろか」などと言いながらアメ玉をくれた。  バスの中では、窓際の席に座れたので、ボクは眠りにつくまでの間、ずっと外の景色を眺めていた。  不意に窓にボクの顔が映る、頭には別れ際、和田くんがくれた、近鉄バッファローズの帽子が乗っている。  その存在がうれしくて、ボクはこんな状況でも、なんだか少し幸せな気がした。
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