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軽井沢の夏は忙しい。
冬もウィンタースポーツをしに来る人達なんかで賑わうけれど、夏はその比じゃないと、渡兄ィやバイト先の先輩は口々に言っていた。
ベルボーイの仕事は、主に客の案内や荷物運びだ。
初日こそおっかなびっくりやっていたけれど、ツアーや学生グループなど大人数の団体客が来ると、新人だろうがなんだろうが、効率を考えながらテキパキと動かざるを得ない。
元々の物覚えの良さも幸いし、揉まれている内にだいぶ仕事にも慣れた。
「ご案内いたします」
フロントで手続きを済ませた客に声をかける。
今回の客は40代後半くらいの中年の男。お一人様だ。
夏用の麻のジャケットを羽織り、シンプルでスタイリッシュな格好をしているけれど、でっぷりと腹は出ていて、スラックスはパツンパツンに突っ張っている。しかし身につけている時計や靴や鞄は、いかにも高級そうだ。
都会の喧騒を離れて、避暑地でゆっくりと夏を過ごそうとしているお金持ちかな――そんな想像を膨らませながら、エレベーターに乗り、男を客室のあるフロアまで案内する。
「非常口は廊下のつきあたりになります。ドアの内側にも詳しく表示がありますので、ご確認ください」
ドアを開け、客室内に入り、男の荷物をテーブルの上に置く。
「ルームサービスのメニューは――」
そう言いかけた時、男がニッコリと微笑み、ジャケットの懐に手を入れながら近付いてきた。
「キミ、若いね。新人?」
男の手には、薄べったい財布が握られていた。小銭入れが付いていない、札をピンで止めるタイプのシャレた財布だ。
男が財布を開けると、一万円札がたくさん入っているのが見えて、ギョッとした。
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