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「きっかけは他にもあるよ」 「他にも?」 「うん。オレ、昔は色んなことが嫌になってたんだ。自分を取り巻く環境だとか、人間関係だとか、それから自分自身のことも。……お前と同じくらいの歳の頃かな」  池の方で、また魚が跳ねる音がした。近くの草むらからは絶え間なく虫の声が聞こえる。夜の静かな喧騒に混じって、渡兄ィの穏やかな声が続く。 「何もかも嫌で嫌で仕方がなくて、人や世間と余計な関わりを持たずにひっそり生きていきたいって、いつも思ってた。だから、誰も自分を知らない場所に逃げたんだ。孤独な絵描きの仕事は天職だと思ったよ」 「……」 「だけど人間って、他人と関わらずに一人で生きていくなんてほぼ不可能なんだよな。金を稼いで飯を食ってくのはもちろん、いざ孤独になったらなったで、今度は人恋しい気持ちも湧いてくるし――」 「……」 「結局、何もかも思い通りにはいかねえの」 「……」 「あの工房だって、もともと親の持っていた別荘を改築したもので、自分一人の努力で得た家じゃないし。オレ、渓一に偉そうなこと言う資格なんか、本当は何も無いんだ」  じっと黙って見つめていると、渡兄ィは気恥ずかしそうに苦笑いしながら、池の方を指差した。  なんだろう――その指先の示す方に、顔を向ける。
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