はじめてのおつかいと、春色ランチ6

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はじめてのおつかいと、春色ランチ6

 カフェに帰ると、朔之介さんは驚いた様子だった。何故ならば、私があまりにもボロボロだったからだ。 「だ、大丈夫かい? 休んでいた方が……」 「これくらい平気ですよ。手当もしましたし、まだまだお昼でしょう? 勤務初日から休むわけにもいきませんから」 「……そうかい?」  張り切る私に、朔之介さんはなおも心配そうな視線を送ってくる。ちなみに、怒られる気配を感じたのか、サブローはさっさとどこかへ行ってしまった。猫というものは、本当に自由な生き物だ。  そろそろランチタイムが始まる。本格的に混み合う前にと、朔之介さんがまかないを作ってくれることになった。 「私も手伝います!」 「ありがとう。食べたいものはあるかい。おつかいに行ってもらったし、希望に応えよう」  何がいいかな、と考える。けれども、すぐにアレがいいと思い至って、張り切ってリクエストした。 「私にも、春のおすそ分けが欲しいです!」  すると、朔之介さんは一瞬目を見張ると、次の瞬間には、白い歯を見せて笑った。  私と朔之介さんは、早速キッチンに立って「春のおすそ分け」づくりを始めた。 「具材は、朝の残りがあるから、それを使って仕上げて行こう」  彼がそう言って手にしたのは、山菜を煮た具材だ。筍と人参、油揚げをだし汁と酒、みりん、砂糖、淡口醤油で煮ておいたもの。 「この時期の筍は、癖がなくてとっても美味しいよね」 「はい。私も筍大好きです」  そういえば、今朝もレンバイには多くの筍が並んでいた。朝獲れの筍は、アクが少なく癖がない。お刺身として、お醤油とわさびで食べても美味しいらしい。思わず唾を飲み込むと、「今晩のまかないに出してあげよう」と朔之介さんに言われ、嬉しいやら、食い意地を見破られたのが恥ずかしいやらで、曖昧に笑って誤魔化した。  続いて、朔之介さんは冷蔵庫からフキを取り出すと、下ごしらえを始めた。これもレンバイで購入したものだ。葉を落としたフキを、まな板の上に塩を振って、その上で転がす。そうすると茹でた時に色鮮やかになるんだと語る朔之介さんは、ほんのりと微笑んでいる。沸騰させたお湯に、鍋に入るくらいの長さに調整したフキの茎部分だけを入れて少々待つ。すると、フキは新緑を思わせる色になった。 「わ、綺麗!」 「あとは氷水に取って、筋を取ったら、五センチ幅くらいに切るだけだね」  朔之介さんの手際は本当に見事で、迷いがない。今日一日、色んなあやかしに会ったけれど、彼らが一様に朔之介さんのおすそ分けを喜んだ理由がわかる。  さくさくと進んでいく調理。しかし、私は横で眺めているだけだ。何か、私にも手伝えることはないかと、すし酢を作り始めた朔之介さんに尋ねた。 「あ、ごめん。つい、いつもの調子で進めてしまったよ。そうだな……じゃあ、錦糸卵をお願いしてもいいかな」 「……錦糸卵というと、あの薄焼き卵を細く切った」 「うん。卵液はコレ。卵に砂糖、後は塩をちょっと入れたものだよ。あ、甘い卵は平気?」 「だ、大丈夫です」  私は無理やり笑顔を浮かべると、朔之介さんから卵液入りボウルを受け取った。  じっと、ボウルのなかで揺れている卵液を見つめる。さて、どうしてやろう(・・・・・・・)。 「……? どうしたの?」 「え!? いや、別に何でもありません!」  怪訝そうな表情の朔之介さんを他所に、慌てて自分の作業に入る。  大丈夫かな。いやいや、卵を焼くだけだ。それくらい、縄文人だって出来る。いや、あの時代に鶏卵が手に入ったとは思えないけれど。コンロの火力は充分。そこに家庭用よりも二回りほど大きな卵焼き器を置いて、油をたっぷり引けば準備万端。やれるさ、私にだって……玉子焼きくらい!!  私は気合をいれて、お玉で掬った卵液を卵焼き器に流し込んだ! 「ええと」  朔之介さんが顔を引き攣らせて、卵焼き器を覗き込んでいる。 「どうしてこうなったのかな」 「うううう……」  気がつけば……卵焼き器のなかには一枚の海苔が入っていた。いや、海苔じゃないけれど。海苔というか……卵というか……もしかしたら、卵と海苔って親戚か何かかしら。 「橘さん、料理は」 「実はあまり」  じっと朔之介さんと見つめ合う。彼は私から視線を逸らすと、すっと遠くを見た。 「……橘さんは、飾り付けを手伝ってくれる?」 「センスにまったく自信ありませんが、精一杯務めさせていただきます」 「僕の指示どおりに頼めるかな! 個性を発揮するのは追い追いで!」 「はい!!」  渋い顔をしている朔之介さんに元気に返事をする。実のところ、料理は苦手だ。フライパンや鍋の中身が、知らぬ間に消し炭になる能力を持っているらしく、上手く行った試しがない。母親は料理上手なのに、どうして娘にそんな特殊能力が備わったのか……謎は深まるばかりだ。彼氏と同棲していた時は、出来合いのもので済ませたり、下手なりに努力していたのだけれど。(結局、出来上がったものは消し炭だったが) (……もしかして、これも彼氏に浮気された一因なのかな……)  ずうん、と気分が沈む。若くてピチピチで料理上手の女の子が現れたら、そりゃあそっちに靡くわよね……。そもそも、自分から手伝いを申し出ておいて、これはどうなのよと落ち込んでいると、朔之介さんが肩を震わせて笑っているのに気がついた。 (まさか、あまりの惨状に笑うしかなくなったとか!?)  ひとりショックを受けていると、滲んだ涙を拭った朔之介さんは、爽やかな笑みを浮かべた。 「ごめん。僕が料理を始めた頃を思い出してしまって。あの頃、僕も色んなものを焦がしたなあ」 「えっ! 朔之介さんが? 信じられません。こんなに上手なのに」 「まあね。これでも料理歴は半世紀以上なんだ。なにせ、鬼だからね」  そう言って、朔之介さんは額の角を指さした。  天に向って突き立った両角は、先端が群青色をしている。彼の見た目が若いこともあって、なんとなく同い年くらいのような気がしていたけれど、当たり前だが随分と年上らしい。 「だから、そこいらの若い奴らよりはずっと経験がある。上手いのは当たり前さ。でも当時は、随分と青藍に怒られた」  当時を懐かしむように目を細めた朔之介さんは、柔らかな笑みを浮かべて言った。 「誰しもはじめは苦労するものだよ。別に失敗を恥じることはない。これから練習すればいいさ」 「……っ!」  その彼の言葉に、じんと胸が熱くなる。  そういえば、社会人になってからというもの、失敗を咎められることはあっても、こういう風に成長していこうと声を掛けてもらったことはあまりなかったように思う。  じっと自分の両手を見つめる。 (私にも……上手に料理が出来る日が来るだろうか)  優しい言葉をくれた彼となら、そんな日がくるのかもしれない。  私は途端に嬉しくなって笑みを零すと、どうぞ手取り足取り教えてください! と若干調子に乗って言った。 「え……手取り足取りはちょっと……」 「うっ!?」  ――そういえば、朔之介さんは女性が苦手でしたね!?  私は、がっくりと肩を落とすと、調子に乗ったことを心底後悔しながら、失礼しましたと素直に謝ったのだった。 「さあ、もう少しだね。後は混ぜるだけだ」 「はい!」  朔之介さん作の見事な錦糸卵にほうと見惚れつつ、最後の仕上げに入る。  先程の筍やら人参やらを煮たものをもう一度温め直して、そこに下ごしらえしたフキを入れて、一分ほどさっと煮る。次に、硬めに炊いたご飯を飯台に入れて、すし酢を回しかけた。 「扇ぐのはお任せください!」 「そ、そう?」  正直、私にできそうなのはそれくらいだったので、戸惑っている朔之介さんを他所に、気合を入れてうちわを動かす。そうして、人肌くらいまでにご飯が冷めたら、そこに汁気を切った筍、人参、油揚げ、フキを混ぜ込む。最後に、春らしい材料をもう一品加える。 「わあ! しらす!」 「やっぱり、春はコレだよね」  真っ白ふわっふわ。山盛りになった釜揚げしらすをご飯に混ぜ込んで、しゃもじで切るようにして混ぜる。筍、フキ、しらすで、海と山の春の幸が揃い踏みだ。  すると、朔之介さんがしらすについて、こんなことを教えてくれた。 「しらすって、12月から3月までは禁漁なんだ。だから、4月になって初物のしらすが出回ると、すごく嬉しくなるんだよね」 「だから、みんなにしらすを使った料理のおすそ分けを?」 「……ハハ。おせっかいだけどね、みんな食べたいかと思って」  最後に錦糸卵を散らし、木の芽を飾り付ける。すると、ご飯の上が菜の花畑のように色鮮やかになった。  これで完成――筍としらすの春ちらし!  さっそくお皿に盛って食べようとする。すると、いつの間に作っていたのか、貝のすまし汁を出されて感激してしまった。 「朔之介さんをお嫁さんにしたい」 「何を言ってるんだい」  ――おっと、本音がつい漏れてしまった。  苦笑している朔之介さんに見守られながら、貝の旨味たっぷりの汁をひとくち。そのあまりの美味しさに頬を緩めて、今度はちらしに箸を着けた。  箸でひと口ぶんを持ち上げると、錦糸卵と木の芽の花畑の下には、満遍なく具材が混ざった酢飯。混ぜ具合が絶妙なのか、しっとりしているのに水っぽくはなく、一口でいろんな味が楽しめそうな予感に胸が踊る。 「美味しい!!」  ご飯を噛みしめると、もっちりした歯ざわりに絶妙な酢加減。しゃくっとしたフキの食感がなんとも楽しく、ほんのり残った苦味は春の味。それに、こりこりっとした食感は筍だ。噛むごとにじゅわっと汁が溢れてきて、出汁の香りと旨味が口内に広がる。そしてなによりも、際立っているのがしらすの旨味。すべての具材と米の味に、しらすのそれが加わると、脳天がしびれるほどに美味しい! 「んん~……! 春ですねえ」  口の中で繰り広げられる春の饗宴。  それは、今朝から色んなあやかしに出会ったせいで、へとへとに疲れ切っていた体を、じんわりと癒やしてくれた。 「みんなもそろそろ食べている頃でしょうか。きっと喜んでいるんだろうな……!」  今日、おすそ分けしたみんなの顔を思い出す。こんな、美味しいもののおすそ分けを貰えるなんて、羨ましい限りだ。すると、そんな私を見ていた朔之介さんが、おもむろに口を開いた。 「ああそうだ、今日尋ねた先々はどうだった?」 「ええと……少し怖いこともありましたけど、みんな優しくて。ご挨拶も出来たので、よかったです」  私がそう言うと、朔之介さんは満足そうに「それはよかった」と頷いていた。  そこで、はたと気がつく。もしかしたら――今日のおすそ分けは、私の顔見せの意味もあったんじゃないだろうか。  そのことを尋ねると、彼は少しはにかみながら肯定してくれた。 「そ、そうですか。私のために……ありがとうございます」  まるで春のように暖かな彼の気遣いに、じわりと涙が滲む。そう言えば、ここ最近は人の優しさをあまり感じた記憶がない。すぐに思い出せるのは、彼氏からの拒絶の言葉。部屋を追い出されて、途方に暮れてしまったあの日の涙。どうやら、自分が思っていた以上に、彼氏に捨てられたダメージは大きかったらしい。  もしかしたら朔之介さんからすれば、なんのことのない普通の気遣いだったのかもしれないけれど――私は、この人のために、この店のために一生懸命働こうと心に決めた。 「私――これから、少しでもお役に立てるように頑張ります。カフェのことも、お料理も」 「うん。わからないことがあったら、何でも言って。料理は――しばらくは一緒にやろうか。手取り足取りは無理だけれど、少しずつ上達していこう」 「手取り足取りのことは忘れてください! でも……ありがとうございます!」  ふたり微笑み合う。なんとも暖かな空気に、ほっこりしていると――そこに寝ぼけ眼のサブローがやってきた。 「仲がいいことで! それよりも詩織姉さん。そんな、のんびりしてていいのかな。きっと、これから大変だよ」 「どういうこと?」  すると、サブローは得意げに話し始めた。 「あじさいの精と会っただろ? 詩織姉さん、あいつらをものすごく褒めてたじゃないか」  サブロー曰く、あじさいの精はとてもおしゃべりなのだそうだ。あの少女たちは、きっと、今日褒められたことを他の花の精に自慢しまくるに違いないという。 「花の精って、揃って自尊心が高いんだ。きっと自分も褒めて欲しいって、ぞろぞろやってくるんじゃないかな。それで、満足行くまで褒め言葉を強要される。大変だろうね……」 「な、なにそれ……!?」  訳もわからず青ざめていると、朔之介さんが呆れ顔でこちらを見ているのに気がついた。 「あー……花の精を褒める時は気をつけなきゃね」 「さ、先に言ってくださいよ~!!」 「あっはっは。ごめん」  どうやら、花の精を褒める際は覚悟しなければならない、というのはこの辺りでは常識らしい。そんなこと、ちっとも知らなかった私は、半ば自棄になって残ったちらしを掻き込んだ。 (……ああ、しらすが美味しい……って、あれ?)  その時、はたとあることに気がつく。  今日おすそ分けした相手に、雲水がいる。彼は禅宗のお寺に所属しているはずだ。禅宗では、確か肉や魚を食べなかったような――。 「朔之介さん! 大変です!」  真っ青になって、彼にそのことを告げる。  すると、朔之介さんはからからと笑って、大丈夫だと教えてくれた。 「あれは普通のお坊さんじゃないからね。所謂――生臭坊主ってやつ。あやかしだからね、そこのところは自由なんだ」 「へっ……?」 「これから、あやかしについても徐々に学んでいかなくちゃね」 (なにそれ……!?)  どうやら、思った以上にあやかしの世界というのは複雑らしい。  私はがっくりと項垂れると、あやかしって怖い、よくわからないと、今更ながらに思うのだった。
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