はじめてのおつかいと、春色ランチ2

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はじめてのおつかいと、春色ランチ2

 朝のギクシャクしたやりとりを経て、なんとなく無言で朝食を終えた私たちは、さっそく仕事を始めることにした。まずは開店準備だろうかと思っていると、そんな私に朔之介さんは硬い表情のまま言った。 「……仕事に早く慣れてもらうためにも、これから出かけるよ」 「は、はい。私と、ふたりでですか?」 「もちろん。市場に仕入れに行くんだからね」   釣られて、ついつい私も変に思いつめたような顔になって、こくりと頷く。最終的にはひとりが仕入れ、ひとりが開店準備という流れを想定しているらしい。そのためにも、市場に案内してくれるらしい。けれども、女性に慣れていないという朔之介さんは、私と市場に行くだけだというのに、まるで戦場に赴くような顔つきになっている。  ……これは、大丈夫なのだろうか?  正直、このままじゃ、ギクシャクして上手くいくとは思えない。  私は少し考えた後、慎重に言葉を選びながら言った。 「――ええと、確かに私は女性ですけど……。あまり気にしないで行きましょう」 「え?」 「私のことは、女性だと思わないでください。ええと、仕事の『仲間』カテゴリで行きましょう。ほら、そうすれば男も女も関係ないでしょう?」  これだけのイケメンだ。もしかしたら、女性絡みの強烈なトラブルがあったのかもしれない。色々と想像が捗るけれど、今、それは関係ない。このままでは私が困るのだ。スムーズなコミュニケーションは、仕事をするために必要最低限なことだ。  すると、私の言葉を聞いた朔之介さんは、一瞬ぽかんとしたかと思うと――少し困ったような、けれども肩の力が抜けたように、柔らかな笑みを浮かべた。 「……フフッ。ありがとう。多分、君が想像しているのとは違うんだけどね。気を遣わせてしまったね。ごめん」  そして、晴れやかな表情になると、さあ出かけようと私を促した。 (これで、大丈夫……かな?)  少なくとも、これから市場を案内してもらう分には、支障なさそうだ。私は小さく微笑むと、朔之介さんの隣に立って、歩き出した。  今朝はずいぶんと冷え込んでいて、吐く息がほんのりと白く染まるほどだった。ふたりで早朝の鎌倉の街を歩いていると、やけに人が多いことに気がついた。よし、ここは場を持たせるためにも、と気合を入れて話しかける。 「鎌倉の人たちって、ずいぶんと朝が早いんですね?」 「今日が特別なだけさ。明日からは鎌倉祭りだろ? だから、準備に忙しくしているんじゃないかな」 「鎌倉祭り」とは、昭和三十四年から行われている鎌倉を代表する観光行事だ。鶴岡八幡宮を中心にして、鎌倉市内のいたるところで様々な催し物が行われ、初日には源頼朝の愛妾であったという静御前の舞いを再現した「静の舞」が披露されたり、最終日の日曜には、勇壮な流鏑馬が披露されたりと、見どころがたくさんある。その期間は、鎌倉はいつも以上に人でごった返し、盛り上がりを見せるのだ。  確かに、今日の鎌倉の空気はいつもと違う気がする。すれ違う人々も、祭りを楽しみにしているような――それでいて、本番に備えて気合を入れているような雰囲気がある。  明日からは、鎌倉は夏に先駆けて熱い空気に包まれるのだろう。鎌倉祭りは初めてだ。なんだか楽しみのような――接客業に携わるものからすれば、少し怖いような気もした。 「今日は、普段より多めに仕入れておくつもりだよ。頑張ろうね」 「はい!」  私たちは足を早めて、目的の場所に向かった。  到着したのは、鶴岡八幡宮から海に向ってまっすぐに伸びる若宮大路に面した、鎌倉市農協連即売所――通称レンバイだ。大きな看板が掲げられた入り口の前は駐輪場になっていて、壁にはレンバイの由来が書かれた看板がある。けれども、それに目を通す時間もなく、急ぎ足で市場に入る。すると、私はあまりの光景に目を丸くした。  ――そこにあったのは、緑色の花畑。  売り手の農家さんの前にある、少し低めの陳列棚。そこ一面に、目にも鮮やかな春の野菜たちがびっしりと敷き詰められていたのだ。朝どれなのだろう、しっとりと濡れた野菜たち。見慣れた野菜の合間に、馴染みのない西洋野菜がちらほらと顔を覗かせていて、それらを眺めているだけで心が浮き立ってくる。 「すごいたくさん! あの、どれが鎌倉野菜なんですか?」  辺りをキョロキョロ眺めながら尋ねると、朔之介さんは全部だよと教えてくれた。 「京野菜や加賀野菜なんかと違って、鎌倉野菜には特定の品目はないんだ。言うなれば、鎌倉で育てられた地野菜が『鎌倉野菜』なんだよ」 「へえ……鎌倉って、畑のイメージはあまりないですけどね」 「まあ、観光客がよく来る南部の方はね。農地は北部や西部の方にあるんだ。多品目を少量ずつ作っている農家さんが多くてね、地産地消で色んな種類の野菜が食べられる。それが、鎌倉野菜の魅力のひとつだと思っているよ」 「そうなんですね」  感心しながら、手書きで書かれた値札を覗き込む。「形が悪いのでお安くします」なんてものもあって、なんとも手作り感がいい。早朝だからか、あまり観光客の姿はない。そのかわり、都内や市内からやってきた料理人が、慣れた様子で農家さんと話をしながら野菜を買い求めていた。  そんな彼らに対応しているのは、普通(にんげん)の農家さん。それに――異形たち。  巨大な牙を生やした大鬼や、とぐろを巻いた大蛇。一つ目小僧……様々なあやかしたちが、レンバイ中で野菜をやり取りしていた。もちろん、客にもあやかしはいるが、普通の人間もたくさんいる。彼らは、相対しているのが人ならざるものだと理解した上で、話しかけているのだろうか。それとも――。  一瞬、ひやりとして視線を陳列された野菜に落とす。  私の知らない世界。知るはずのなかった世界――それを知れたことは、果たして幸運だったのだろうか。 「橘さん! どうしたの?」 「い、いえ」  朔之介さんに呼ばれ、思考を中断して、慌てて傍に寄る。すると、彼とやり取りをしていた赤鬼が、「味見してみるかい?」と葉物を差し出してきた。 「カナリーノって言ってね、イタリアのレタスなんだ。普通のレタスと違って、丸くならなくて、葉っぱがひょろひょろしてる。面白いだろ?」 「……あなたが育てたんですか?」 「もちろん!」  私はそうなんですかと曖昧に笑うと、巨大な赤鬼の手から、小さな小さな葉っぱを受け取った。  ――見慣れない鎌倉野菜。あやかしが育てたというそれは、噛みしめると、舌の上にしっかりとした苦味と濃厚な緑の味を残して、喉の奥にゆっくりと消えていった。
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