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はじめてのおつかいと、春色ランチ3
「――配達、ですか?」
「そうだよ」
レンバイで買い込んだものをようやく店に持ち帰ると、突然、朔之介さんに用事を頼まれてしまった。
「実は、用意しておいたものがあってね。ほら、さっきも話したとおり、明日から鎌倉祭りだろう? 皆、準備で大変だろうから、差し入れというか……おすそ分けをしようと思ってたんだ。初日から悪いね。開店準備は、明日教えるから」
渡されたのは、綺麗な風呂敷で包まれたお弁当。それが幾つか紙袋に入っている。
「でも、私この辺りにはあまり詳しくないんですが……」
「大丈夫。サブローがいるだろ?」
すると、ひょいと私の肩にサブローが登ってきた。
「オイラに任せておいてよ。元々地元猫だったからね、この辺りには詳しいんだ」
私は肩の上で喉を鳴らしているサブローに微笑むと、「じゃあ、お願い」と首元を撫でてやった。
「お昼までには戻っておいで」
朔之介さんの言葉に頷いて、店を出ると空を仰いだ。春らしい、花曇りの今日は熱くもなく寒くもなく、出かけるには丁度いいだろう。
「行ってきます!」
私は、元気に挨拶をすると、ボディーガードの三毛猫と連れ立って、鎌倉の町へと繰り出したのだった。
「休日の鎌倉を歩く時は、コツがあるんだよ」
鎌倉祭りは、4月の第二日曜日から第三日曜日にかけて行われる。つまり、前日の今日は土曜日。鎌倉は、ただでさえ普段から混み合うことが多い。土曜日ともなれば、たくさんの観光客でごった返す。
「地元民はね、鶴岡八幡宮やら小町通りは通らないんだ」
「どうして?」
「だって、タラタラ歩く観光客に付き合っていられないじゃないか!」
確かに、観光客は周囲を眺めながら歩いているのもあって、非常に足取りがゆっくりだ。それに付き合うのは、確かに地元に住む人は辛いかも知れない。サブローはくるりと私の方を振り返ると、三本の尻尾をゆらゆらと揺らした。
「さあ、こっちだよ。裏道を早く覚えなよ。それが鎌倉で生きるための必須条件だからね」
「あ、待って!」
サブローが入って行ったのは、小町通りから少し入り組んだ場所にある路地だ。観光客でごった返す道から一歩なかに入ると、そこに広がっているのは閑静な住宅街。人ひとりすれ違うのもやっとのような狭い道を通って、家々の門戸が立ち並ぶ静かな道を行く。
「ここの家の木陰は、風が気持ちよく通るから、昼寝にぴったりなんだよ」
「へえ」
「あと、たまに煮干しをくれる!」
猫又的おススメ情報を聞きながら、鎌倉の家々を眺める。さすが鎌倉といったところだろうか。各家庭の庭先は丁寧に整えられていて、花々が町を鮮やかに彩っている。春を感じるという意味では、季節ごとに移り変わる色んな種類の植物を目にできるぶん、住宅街の方がいいかもしれない――そんなことを思っていると、ふと縁側でくつろいでいる住民と目が合った。一瞬、その人の生活圏に勝手に入りこんでしまったような錯覚を覚えて、急いで頭を下げて、狭い小路を小走りで進む。
(なんだか、ソワソワする)
迷路のような細い道を進みながら、鎌倉に住まう人々の生活の匂いを間近で感じる。観光名所とはまた違う、鎌倉のもうひとつの顔を知れたようで、ちょっぴり嬉しい。そうこうしているうちに、あっという間に駅の方に出た。
「こっちこっち」
そうやって辿り着いたのは、小町通りから見て駅の反対側にある御成通り。若宮大路と並行して、鎌倉駅西口から300メートルほど続く御成通り商店街は、小町通りに比べると観光色も薄く、やや落ち着いているように見える。最近は色々と新しい店も出来てはいるようだが、オシャレななかにも地元民の生活に根ざしている雰囲気が感じられて、なんとも親しみやすい。
訪れたのは、そのなかにある一軒の精肉店。
看板にしては控えめなサイズのものに、小さく屋号が書いてある。木の風合いを活かして作られた和風の入り口は、一見すると肉屋には見えない。しかし、ガラス戸の向こうをよくよくみると、ずらりと鶏肉が陳列されているケースがあるのがわかる。壁には近隣のイベントのポスターなんかも貼られていて、地元の人たちに愛されている店、という雰囲気が滲み出ている。
「らっしゃい!」
私たちが入るなり、眩しい笑顔で迎えてくれた男性店長の頭上には、ぴん、と立った狐耳があった。彼は、大きな尻尾をゆらゆら振ると、買い出しかいと気さくに声を掛けてくれた。
ここは、狐の夫婦が営んでいる鶏肉専門店だ。値札には、値段とともにおすすめの調理法が書かれていて、とても親切だ。うっすらピンク色をした鶏肉たちは見るからに新鮮で、惣菜の販売もしており、定番のコロッケやチキンカツが陳列されている。
(……う、美味しそう)
隣で、客がアツアツ揚げたてコロッケに齧りついているのを横目で見ながら、ぐっと我慢しておすそ分けに来たと告げる。すると、店長は意外な顔をして、奥にいる誰かに声を掛けた。
「あら! 朔之介さんから? ありがとう」
現れたのは、大きなお腹をした妊婦さん――店長の奥さんだ。もうすぐ臨月なのだろうか。よたよたと危なげな足取りの奥さんを、店長が気遣ってあげている。
奥さんは、私から包みを受け取ると、中身を覗き込んで相好を崩した。
「今日のランチはこれで決まりね」
「そうだな」
ふたりは微笑み合うと、揃って私にお礼を言った。その様子は見るからに親密そうで、私は内心ショックを受けていた。なぜならば――奥さんは、どうみても人間だったのだ。
すると、そんな私をよそに、ふたりにサブローが声を掛けた。
「赤ん坊、もうすぐ生まれるんだって? どっちに似るのかな。奥さんに似たらきっと美人になるだろうし、旦那さん似だったら立派な尻尾を持っているんだろうね!」
「ふふふ。私、可愛い尻尾がある子がいいわ」
「俺としては君に似ていて欲しいんだけど」
こりゃ熱々だ! 参ったねとサブローは陽気に笑うと、私の肩にひょいと乗ってきた。
「そうそう、このお姉さんね。今日から、朔之介さんと青藍姐さんのところで働くことになったんだよ」
「そうなの? 私も時々お茶を飲みに行くのよ。青藍さんが、女性を雇うとは思わなかったわ。よろしくね」
「……よ、よろしくお願いします」
私はぎこちなく頭を下げると、別れの挨拶をして、足早にその場を去った。
(……ドキドキしてる)
次の場所に向かいながら、少し熱くなった頬を手で冷ます。
そして、先導しているサブローに、疑問に思っていたことを尋ねた。
「あの人たちみたいに、人間とあやかしの夫婦ってたくさんいるの?」
すると、サブローは立ち止まりもせずに、とことこと歩きながら言った。
「そりゃ、たくさんいるよ。別にこのあたりじゃあ、あやかしは珍しくともなんともないからね」
「そっか」
――共存。
その言葉の意味が、やっと分かってきたような気がする。
私は、少しだけ顔を上げると、鎌倉の町を行く三毛猫の後を追ったのだった。
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