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はじめてのおつかいと、春色ランチ4
「いらっしゃいませ! 朔之介さんの? よく来たねえ。爺ちゃんに挨拶していきなよ!」
やってきたのは、鶴岡八幡宮に続く若宮大路沿いにある、鎌倉銘菓を販売している菓子店だ。店内は観光客や修学旅行生でごった返していて、大変忙しそうではあったが、店員さんは私が声を掛けるとにこやかに対応してくれた。案内されて、店の奥に一歩足を踏み入れる。するとそこには、巨大な何かが鎮座していた。
(……なんだこれ)
それはどこまでも丸かった。よくよく見ると、全身が羽毛で覆われている。けれど、足も手も頭すらないので、ただの灰色の毛玉にしかみえない。しかし、その存在感たるや、今にも天井に届きそうなほど大きい。
(コレに、どうやって挨拶をしろと……?)
私がひとり固まっていると、店員さんは容赦なくそれを揺さぶった。
「爺ちゃん、起きて。ほらお客さん!」
どうやら、それは眠っていたようだ。ようやく覚醒したらしい灰色の毛玉は、ぶわりと羽毛を大きくふくらませると、もぞもぞと体を動かして――頭頂部からひょっこりと顔を出した。
「ほろっほー」
「……」
――それは、どうみても巨大な鳩だった。頭を忙しなく動かし、おもむろに灰色の羽毛にくちばしを突っ込む。時折、バタバタと羽ばたく真似をすると、辺りにとんでもないサイズの羽が飛び散り、店員さんが散らかさないでと文句を言った。
「クルル……?」
「ひっ!」
真っ赤な丸い瞳でぎょろりと見つめられて、思わず後退る。素早く、それでいて直線的にカクカクと動く鳩の巨大なくちばしが、今にも襲ってきそうで足が震える。
(は、早く用事を済ませて帰ろう……)
私は、使命をまっとうするために、勇気を出して紙袋を差し出した。
「いつもお世話になっています。さ……朔之介さんからのおすそ分け、です」
すると、その鳩はぬうと顔をこちらに近づけると、カクンと首を傾げた。
眼前に迫った巨大な鳩のくちばし。私は悲鳴を飲み込むと、ぎゅっと目を瞑る。すると、何かふわふわしたものに全身が包まれた感覚がしたので、恐る恐る目を開けた。
「ほろっほー」
「わっ……」
それはあの鳩だ。何故か私の傍に近寄ってきていた鳩は、卵よろしく私をそのふわふわの羽毛で包み込んで、うっとりと目を瞑っていた。すると、店員さんの豪快な笑い声が聞こえてきた。
「あっはっは! アンタ、爺ちゃんに好かれたね! やるじゃない!」
「ええー……」
私はやけに心地良いその感触に包まれながら、店員さんのよかったねという言葉に、戸惑いを隠せなかった。
「はあ……どうなることかと思った」
店外で待っていてくれたサブローと合流して、今度は鎌倉駅を目指す。残る包みはふたつだ。これでやっと半分……と胸を撫で下ろし、サブローの後をついて歩いていく。やがて駅の構内が見えてきた頃、りぃんと鈴の音が聞こえて、思わず立ち止まる。
見ると、そこにひとりの雲水が立っていた。深く笠を被り、無言で佇んでいる。托鉢を行っているのだろう。その姿は、どこか独特の雰囲気を纏っており、どうにも近寄りがたい。
ここ鎌倉では、こういった雲水の姿を度々見かけることができる。
托鉢とは、禅宗の修行僧たちが、日々の糧を得るために行っている修行なのだと、誰かに聞いたことがある。鎌倉では彼らが生活の一部に馴染んでいて、こうやって街角に立っているだけでなく、人々の自宅を訪れてお布施をもらうこともあるのだとか。こういう、他ではあまりみない文化が浸透していることが、鎌倉が古都である所以なのだろう。
すごいなあ、なんてのほほんと考えながら雲水の前を通り過ぎようする。すると、先程まで先導していたはずのサブローが、雲水の前にちょこんと座っているのに気がついた。
「こら、サブロー。邪魔しちゃ駄目でしょ」
「何言ってるのさ。次のおすそ分けの相手は、この人だよ」
「えっ!?」
思わず顔が引き攣る。私とサブローが話している間も、雲水は黙したままで何のリアクションもない。
(……やっぱり近寄りがたい)
ごくりとつばを飲み込んで、遠慮がちに雲水の前に立つ。それでもなお、何の反応もない彼に、そっと朔之介さんから預かった包みを差し出した。
「……お、おすそ分けです」
――りぃん。
すると、彼はまた鈴を鳴らすと、包みを受け取って私に向って深く一礼した。
「財法二施 功徳無量 檀波羅蜜 具足円満 乃至法界 平等利益……」
そして、低い声で何やら唱えると、ゆっくりと顔を上げた。
「……っ!」
その時、ちらりと笠の内部が視界に入り、思わず息を飲んだ。
少しこけた頬。薄い唇。すっきりと剃髪された頭。禅僧らしいストイックさを滲ませているその顔の真ん中には――巨大な目が、ぽつん、とひとつだけ存在していたのだ。
何の感情も宿していないように見える、その瞳。
まるで凪いだ湖面のような瞳に、視線が奪われる。
私と雲水の間に、目に見えない何かが繋がっているような感覚を覚えて、途端に動けなくなる。この瞳を見ていれば、世界の真実の一欠片を知り得るような――そんな、根拠のない確信。澄んだ瞳に囚われてしまった私は、無心でその瞳を見つめ続け、徐々に周囲の喧騒が遠くなっていった。
――りぃん。また、雲水が鈴を鳴らした。
はっとして我に返る。ぞわぞわと全身に鳥肌が立って、慌ててその場から一歩退いた。そして、激しく鼓動している胸を宥めながら、失礼しますと足早に駅に向かったのだった。
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