我儘なお客と、特別なパンケーキ2

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我儘なお客と、特別なパンケーキ2

 休憩の準備をしていると、豆腐小僧が私をじろじろと見ているのに気がついて、思わず動きを止めた。 「へえ、君がここの新しい従業員」  豆腐小僧から注がれるあまりにも不躾な視線に、ムッとしつつも頷く。すると彼は、ふうんと意味ありげに目を細めると、いきなり縁側の方を指差した。 「せっかくだ、君の話を色々と聞かせてくれたまえ。ああそうだ、庭を眺めながら食べるのはどうかな。縁側に座ろう。僕は、あそこがたいそうお気に入りなんだ」  豆腐小僧の提案に、はあ、と生返事をする。   カフェの敷地内には、それなりに広い庭がある。そこには色々な庭木が植えられていて、木々の合間を縫うようにして小路が整備されている。一見すると、ぼうぼうと下草が生えているようにも見えるが、絶妙なバランスで花々が顔を覗かせており、計算づくで造られた庭なのだと感心する。今の時期はあやめが花の盛りを迎えていて、雨に濡れた鮮やかな赤紫の花と木々の新緑が一層色を濃くし、梅雨時期の庭を彩っていた。  カフェの縁側は、そんな庭に面して造られており大変眺めがいい。  天気のいい日には、クッションとミニテーブルを置いて、そこを急造の客席とするくらいだ。さすがに本降りのうちは辛いが、ちょうどいい具合に小雨になってきた。少し濡れてしまうかもしれないけれど、縁側で休憩することになった。  彼が持ってきてくれたのは、作りたてのおぼろ豆腐。  おぼろ豆腐とは、寄せ豆腐とも呼ばれていて、豆乳ににがりを入れて圧縮する前のもの。ガラスの器に入れられた純白のそれは、手に持っただけでふるふると震え、如何にも柔らかそうだ。それを出汁醤油とおろした生姜、青ネギで食べるという。  なんとも美味しそうな話に、ウキウキで準備を整える。すると、私が座ろうとした場所に、朔之介さんが素早くハンカチを引いてくれた。 「橘さん、どうぞ」 「へ? あ、はあ……。ありがとうございます」  戸惑っていると、更には冷えたらいけないと、上着まで貸してもらって恐縮する。ほんのりと上着から感じる彼のぬくもりに動揺しながら、遠慮がちにお礼を言った。朔之介さんは、別に構わないと微笑むと――私から随分と離れた場所に座った。その距離は、ゆうに二メートルもある。 「……」  さあさあと霧のような雨が私の脚を濡らしている。梅雨独特の温い雨につられて、思考も停滞してしまったようで、一瞬どういうことか分からず固まる。けれども、頭を振って脳を無理やり覚醒させると、恐る恐る彼に声を掛けた。 「あの、一緒にお豆腐食べるんですよね?」 「ああ」 「パンケーキのこと、相談するんですよね?」 「ああ」  ――なら、なんでそんな遠くに。  思わずそんな問いが口から出かかった時、そこに豆腐小僧がやってきた。 「おやまあ、朔之介。君は、相変わらず感覚が生前(・・)のままのようだね。もっと近くに座ればいいじゃないか」 「未婚の女性にみだりに近づくものじゃない、相手に失礼だろう」 「仕事の間は、誰かれ構わず笑顔を振りまいているじゃないか。プライベートとメリハリをつけるのは結構だが、この態度はあまりにも冷たくはないか? 彼女は君にとっての、特別(・・)ではなかったのかな?」 「……は? 何をわけの分からないことを言っているんだ?」  すると、途端に豆腐小僧はお腹を抱えて笑いだした。 「なるほどなるほど! あの(・・)、超過保護な青藍がカフェに女性店員を受け入れたというから、僕はてっきり、朔之介のところにお嫁さんが来たんだと思っていたんだが――違ったようだね? 面白いことになると思って来たのに、残念だ!」 「「はあ!?」」  思わず、朔之介さんと声を揃えて声を上げる。そして、同時に顔を見合わせると、首を傾げた。豆腐小僧は、私たちの様子を眺めて、実に楽しそうに笑っている。 「ふうむ。僕が見るに、非常に気も合っている。さすが青藍が選んだお嬢さんだ。あれかな、僕にはまだ話せないだけで、水面下で色々と進んでいるというわけじゃないね?」 「馬鹿か」 「絶対に違います」  豆腐小僧はくつくつと笑うと「実に必死だね」と、私と朔之介さんの間に座った。 「誤解したことは謝ろう。しかし、明治男(・・・)が、ひとつ屋根の下で異性と暮らすという意味を考えたら、誰しもがそう考えざるを得ないと思うがね」  ――明治男?  不思議な単語に、こそりと首を捻る。けれども、私が口を挟む暇すらなく、豆腐小僧は怒涛の勢いで朔之介さんと話し続けている。 「これは青藍が決めたことだ。僕には決定権はないよ」 「ははは! まあ、別にいいと思うがね! 婚姻を結ぶ前から同居することぐらい、現代じゃあどうってことはない」 「……ど、どうってことないのだとしても、出来れば避けるべき事態だろう?」 「やあやあ、うぶ(・・)だね! だが、少々うぶ(・・)が過ぎる。君は初恋を拗らせた女学生か何かなのかい? そもそも、君が生きていた当時だって、商家の坊ちゃまの好むものと言えば、花街で女遊びと決まっていたじゃないか。清廉潔白を装おうとしても、そうはいかない」  すると、途端に顔を真っ赤にした朔之介さんが、「僕は違う!」と抗議の声を上げた。 「僕は、幼い頃から年がら年中寝付いていたから、そういうものにはとんと縁がなかったんだ」 「そうかいそうかい。それでそんな、うぶ(・・)に。難儀なことだ」 「やめてくれ、さすがに怒るぞ」 「おや、事実を言ったまでだよ。君は現代に於いては、異常なほどにうぶ(・・)だ。これは間違いない」  話だけを聞いていると、まるで喧嘩しているようだ。けれども、よほど親しいのだろう。ふたりの表情は穏やかなままで、気の置けない友人という印象だ。  そういう関係っていいな、なんて思いつつおぼろ豆腐を口にする。正直、彼らの言っている意味の半分以上は理解できなかったから、少々暇を持て余している。  すると、そんな私に気がついた豆腐小僧が、心底楽しそうに教えてくれた。 「おや。もしかしてお嬢さんは、朔之介の事情を知らないのかい? ――このどうしようもなく、うぶ(・・)な男は、鬼になる()は、東京にある大店の坊ちゃまだったのだよ」  *  豆腐小僧の話によると、あやかしにはふたつのタイプがあるのだそうだ。  それは、元々あやかしとして「在った」タイプと、人間から「堕ちた」タイプだ。朔之介さんは後者のようで、元々は明治時代に生まれた人間だったらしい。ちなみに、豆腐小僧は前者。最初から、あやかしとして生まれ落ちたタイプだ。 「だから、女性に慣れていないと言っていたんですね? 確かに、当時は今ほど女性に対して自由な空気はありませんでしたから」  明治時代と言えば、まだまだ恋愛が自由にできなかった時代だ。個人の感情よりも、家同士の繋がりが重要視されて、見知らぬ相手と望まぬ婚姻を結ぶことはままあった。そして、「恋愛」という価値観が徐々に出来上がってきた頃だったように思う。  必死に、大学で学んだ明治期の小説を思い出す。当時の文豪たちが描いた男女の関わり合いを思い出してみても、手を触れ合うことすら躊躇するような――そんな控えめな雰囲気があった。未婚の男女が一緒にいることを恥じる風潮もあったと思うし、相思相愛のふたりであっても悲恋で終わる物語も多かったように思う。当時は、昭和期から始まり現代にまで至っている、恋愛至上主義的な世相とは随分違ったのだろう。そういうことなのであれば、彼の現代の感覚からすると硬派過ぎる言動に納得できる。  すると、朔之介さんは複雑そうに眉を顰めると、若干唇を尖らせて言った。 「……これでも、少しは現代に慣れようと努力はしているんだ。だけど、客以外にあまり人間の女性とは関わってこなかったから、仕事以外となると、どうすればいいかわからなくて」 「確かに! 青藍は、君の傍に女性を置きたがらなかった。今、鎌倉は噂でもちきりだ。青藍が認めた女がいる! 朔之介に嫁ができたのかもしれない――そういう噂でね。かく言う僕も、そのお嬢さんを見物しに来たクチなのだが」 「珍しもの見たさか。趣味が悪いな、お前」 「ハハハ! なんとでも言うがいい!」  そういえば、肉屋の奥さんも、私がカフェで働くことになったことを知ると、酷く驚いていた。青藍さんは、時々怖いこともあるけれど、私にはよくしてくれている。他の女性を受け入れなかったというのは、一体全体どういうことだろうか。  いくら考えてみても答えはでなそうだ。諦めた私は、なおも話し続けている豆腐小僧の話に耳を傾けた。彼は、自分が如何に「今」を謳歌し、朔之介さんが「昔」に縛られているのかを熱く語っていた。 「朔之介とは長い付き合いだが、正直、こう思う。――さっさと、あの頃の古臭い価値観から脱却して、この僕のように自由に生きるべきだとね!」  豆腐小僧は自分に酔っているのか、まるで舞台俳優のように手を広げ、謎の自信を見せている。  その時、ふと誰かの視線を感じて、通りに面した垣根に目を向けた。  カフェをぐるりと取り囲んでいる垣根は、胸ほどの高さしかない。だから、覗こうと思えばいくらでも中が見られるのだが、そこに四人組の女性グループがいた。何か気になるものでもあるのか、彼女たちは熱心にこちらを見ている。恰好から見るに、地元民ではなく観光客のようだ。  豆腐小僧は彼女たちに気がつくと、笑みを浮かべてひらひらと手を振った。  するとどうだろう、彼女たちは途端に黄色い声を上げた。 「きゃあ! こっち気づいたよ~!」 「お店の人かな。かっこいい~。あ、隣に座ってる男の人も好みだわ。モデルかな……?」 「ここカフェなんだね、定休日だって。残念~」  彼女たちの反応に首を傾げる。王子様っぽい朔之介さんならまだしも、女性たちの視線の多くは、豆腐小僧に注がれているような気がする。けれど、私の隣にいるのは紛れもない小僧だ。それも大豆のようなまん丸の顔をした、丁稚風。なのに、豆腐小僧がパチン、と片目を瞑れば、黄色い声とともに女性たちが腰砕けになったのが見えた。 「ハハハ、女なんて僕にかかればイチコロなのだよ」  ……なんだこれ。  調子に乗っている丁稚姿の少年に、唖然とする。 「ぶふっ……」  そして、思わず噴き出しそうになって必死に堪える。  人の好みは様々だから、豆腐小僧をかっこいいと思うこと自体はいいと思う。けれども、どうみても、やんちゃ盛りの小僧にしか見えない彼がモテモテなのには違和感があって、それは正確に私の笑いのツボを刺激してくるのだ。 「……橘さん?」  すると、そんな私に朔之介さんが気がついた。一瞬、怪訝そうな顔をした彼は、何やら気がついたのか、納得したように頷くと――俯いてしまった。彼の肩が僅かに震えているのが見える。どうやら、彼も私と同様に笑いを堪えているらしい。 「朔之介、君も僕には劣るかもしれないが、見かけは悪くない。余計なおせっかいかもしれないが、もう少し努力することを勧めるよ。そうすれば、薔薇色の人生になること請け合いだ!」 「うっ……くくっ……」 「イケメンであればすべてが許される。それが、今だ。現代はそう――いわば、イケメン新時代!!」 「……っ~~!!」  私たちの様子にまったく気がついていない豆腐小僧は、イケメンはかくあるべし、と滔々と語っている。更には、彼の語るイケメン像はなんともナルシシズムに溢れていて、小僧姿とのミスマッチ感が恐ろしい勢いで増していく……! 「僕が意中の女性に捧げる文句はこれだ。『今晩、僕と熱い夜でも過ごすかい?』 ……ああ! 別に参考にしてくれて構わない。料金は請求しな……って、んんん?」  彼が最大級の殺し文句を放った瞬間、やっとのこと私たちの異変に気がついてくれた。もう、腹筋が限界を迎えようとしている。私は、ぽかんとしている豆腐小僧の肩を掴むと、ふるふると首を振り、もう無理だと伝えた。  すると、怪訝そうな顔をしていた彼は、はっと何かに気がついたように目を見開くと、恐る恐る私に声をかけてきた。 「詩織、さん……といったか」 「……は、はひ……」 「君は、あやかしの姿が見えるのだったか?」  こくこくと頷く。すると彼は、途端に真っ青になってしまった。 「嘘だ」  慌てて自分の姿を見下ろした豆腐小僧は、くるりとその場で回転した。すると、現れたのは絶世の美青年。涼やかな目元、オシャレに整えられた髪に、銀縁の眼鏡。着ているものも、見るからにハイブランドで固めてあって、先程までのでんでん大鼓柄の着物の面影はこれっぽっちもない。 「は、はははは。失礼したね! あれは僕の仮の姿! こっちの美しい姿が、僕の本当の姿……って、話を聞いてくれないか!?」 「……ひーっ!! もう無理!! お腹痛い……!」 「普通の人間には、普段はこっちの姿に視えているのだよ! だから、油断して……って笑うのは止めたまえ! 心底泣きたくなるから!」 「あははははははは……!」  朔之介さんとふたりして、お腹を抱えてうずくまる。  人間の姿に化けた彼の姿は、確かにイケメンだった。けれど、どうにも小僧姿がダブってときめけそうにない。仕舞いには、息も絶え絶えになって、朔之介さんとふたりで縁側に蹲ってしまった。お腹が痛い。こんなに笑ったのは、一体いつぶりだろう――。 「もう忘れてくれ……!!」  豆腐小僧の悲痛な声が響く。すると、如何にも寝起きという顔の青藍さんが、カフェの奥からひょっこりと顔を出した。 「うるさいわね!! 静かにしなさいよ、小僧!!」 「――ひっ! 青藍、す、すまなかった……」  豆腐小僧は、怒号を浴びせられた途端、ぴんと背筋を伸ばすと、しょんぼりと項垂れてしまった。それがまた、おかしくて。私は声を必死に抑えながらも、その後しばらく笑い続けたのだった。
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