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我儘なお客と、特別なパンケーキ3
結局、笑いすぎてちっともアイディアが浮かばなかった私たちは、何か得るものがあるのではないかと、パンケーキが評判の店に行ってみようということになった。ちなみに、豆腐小僧はさっさと帰ってしまった。本当に、私を見にきただけだったようだ。
雨が上がった鎌倉の空。ところどころ黒い雲は残っているけれど、透き通るような青が雲間から垣間見えて、明るい日差しが町並みを照らし始めている。水たまりを避けつつ、普段よりは人通りの少ない町を歩いていく。
鎌倉といえば、やはり寺社が有名ではあるけれど、多くのカフェがあることでも知られている。うちのような古民家カフェから、かつての文豪が通ったといういわれのある店、昔ながらの喫茶店……様々な店がいたるところにあって、それぞれの名物を味わいに、カフェ巡りをするのも楽しい。
「そういえば、こういう風に異性と一緒に出かけるのは抵抗ないんですか?」
しっとりと濡れた町を歩きながら、朔之介さんに尋ねる。
すると彼は、少し困ったように眉を下げた。
「これは仕事の一環だろう? 市場に仕入れに行くようなものだし、問題ない」
「ふうん」
――そうはいいつつも、若干の距離がある。
そのことを少し面白く思っていると、目的の喫茶店に到着した。
訪れたのは、鎌倉駅東口から徒歩一分のところにある喫茶店だ。
1945年に創業したという老舗で、小町通りの入り口すぐそばにある。その店の佇まいは、何度か改装をしていることもあって、それほど古めかしさは感じない。けれども扉の横には、最近はあまり見なくなった食品サンプルが飾られていて、通りがかった人々の目を引いていた。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、店員さんがにこやかに対応してくれた。休日はかなり混むらしい。今日は平日だったおかげで、数分待っただけで済んで安堵する。
店内に入るなり、珈琲の香ばしい匂いが鼻を擽って目を細める。入り口傍にはガラスケース。その中に並んだ、なんとも美味しそうなケーキたち。なんと、つい最近まで使用されていたという古めかしいレジスター。ふと、壁に目を遣ると――。
(あ、カラメルが染みたプリンみたい)
そんな感想を抱かせるようなデザインのタイルが使われていて、こっそり微笑む。
「こちらへどうぞ」
シャンデリアから発せられた暖かな光に照らされながら、案内されるままに縦長の店の奥に進むと、目の前に広がった光景に思わず足を止めた。
「わ、綺麗……!」
ガラス越しに見えたのは、新緑が眩しい西洋式庭園だった。レンガで丸く形作られた花壇に、様々な植物が植えられていて、雨に濡れた木々が色鮮やかにその存在を主張している。時折日差しが強く差し込むと、きらきらと雨粒が光って、庭園を更に美しく浮かび上がらせる。案内された席も、中庭がよく見えるようにという配慮なのだろう、かなり大きく窓が取られていて、ぼんやりとした暖かい光に照らされた入り口付近とは、また違う雰囲気に包まれていた。
見事な眺めに、ぼうっとしながら席に座る。すると突然、店員さんにこう尋ねられた。
「ホットケーキを注文される予定はありますか?」
「へっ!?」
突然のことに驚きつつも、肯定する。かなりボリュームがあるらしいので、ふたりで一皿をシェアすることに決めて、私はブレンド、朔之介さんはアイスコーヒーを頼んだ。店員さんの後ろ姿を見送り、コソコソと小声で朔之介さんに話し掛ける。
「どうして、私たちが注文するのがわかったのでしょうか。アレですかね、実は店員さんもあやかしで、心を読んだとか……!?」
自分自身でも馬鹿なこと言っている自覚はありつつも、人外だらけの鎌倉ならありえるなんて思っていると、朔之介さんはくつくつと笑いながら教えてくれた。
「この店の名物だからね。注文する人が多いんだよ。分厚いから、焼き上がるまで時間がかかるんだ」
「そ、そうなんですか。心を読まれたんじゃなくてよかった」
「読まれたら困ることでもあるの?」
「いえ、別に!? そんなのこれっぽっちもありませんけど!!」
慌てて否定する私を、朔之介さんは柔らかい笑みを浮かべて見つめている。
その視線がやたら優しくて、何やらソワソワしてくる。朔之介さんの正面から、こっそりと座る位置をずらすと、ようやく人心地ついた。
――明治生まれで、女性に慣れていないという彼。
慣れていないからこそだと思うのだけれど、自分が浮かべている表情が、相手にどう見えるかを理解しているのだろうか。
(豆腐小僧じゃないけれど、イケメンはいいものだ)
役得だわ、なんて思いながら他愛のない話をしていると、しばらくしてホットケーキが運ばれてきた。それを見た瞬間、私は思わず歓声を上げた。
「わっ、分厚い! これ何センチあるんでしょう? しかも二段重ね!」
「取り分けることにして正解だね」
一枚3センチほどもありそうなそれを、じっくりと眺める。表面はきつね色にこんがりと焼けていて、断面は綺麗な卵色。従来のホットケーキの形状とはまるで違うそれに感心しながら、店員さんが用意してくれた皿に一枚乗せて、朔之介さんに渡した。
いざ、実食。ウキウキしながら、なみなみとメイプルシロップが入った器を手にする。四角いバター目掛けて、とろとろとシロップを掛ける。こんがり焼けたホットケーキの表面を、シロップが流れていく様は絶景だ。鼻を擽る甘い匂いに、期待感が募る。頬が自然と緩むのを感じながら、フォークとナイフをしっかり持って、ゆっくりとパンケーキに差し込んだ。
――ざくり。
意外なほどに硬い感触。ザクザクと力を込めて切り分けると、パンケーキの崖からメイプルの滝が流れていく。断面にじんわりと甘い汁が染みていくのを、よしよしと思いながら眺める。そうして、一口大にカットしたものをフォークに刺して――ぱくり。
「……んんっ! 美味しい!」
外側はサクサク。中はふんわり。卵の味がはっきりと感じられて、なんとも素朴な味がする。それは、ホットケーキを食べたいと思った時に、脳裏に浮かぶ味そのもの。甘さが程よく、どこかほっとする味なのは、子どもの頃におやつに食べたカステラの風味と、どこか似ているからだろうか。
合間にほろ苦いブレンドコーヒーを飲むと、口の中がさっぱりとリフレッシュされて、ほっとする。けれども、すぐに手はカトラリーに伸びて、また切り分ける作業に没頭する。気がつくと、あれだけ大きかったホットケーキがなくなってしまっていた。
「……ごちそうさまでした……」
ふう、と最後にブレンドを一口。
食べ終わると、途端に満腹感が襲ってくる。がっつき過ぎたかな……なんて思いつつ、ふと朔之介さんの方を見ると、一足先に食べ終わっていた彼は、何やら考え込んでいるようだった。
「どうかしたんですか?」
「いや、すごく美味しかったんだけどね、これをどう活かそうかと悩んでいたんだ」
それを聞いて、さっと青ざめる。
(私、完璧に満喫してた……! ここには、アイディアを探しに来たのに!)
自分の能天気さに呆れつつも、懸命に記憶のなかのホットケーキを探る。甘くて、ふわふわで、サクサクで……いやあ、美味しかった。また食べたい……って違う!
するとその時、あることを思いついた。
「このお店のホットケーキ、シンプルで王道な味でしたけど、見た目とってもインパクトありましたね」
「そうだね。それが受けているというのもあると思う」
「なんとなくパンケーキって言うと、お好み焼きくらいの厚さのイメージですもんね。こういう分厚いものを出す店も増えてきましたけど、まだまだ少数派です。……なら、こういう厚みのあるものなら……」
朔之介さんと視線を交わす。そして、ふたり同時に言った。
「「大首も食べたことないかも!!」」
――いけるかもしれない。
私と朔之介さんは、熱心に意見を交わした。
作るのは厚みのあるパンケーキ。けれど、生地には何か工夫をするべきだろう。トッピングも、今でしか食べられないような特別なものを――。
私たちは頷くと、席を立った。
そして早々に会計を済ませると、「他の店のパンケーキも食べてみよう」と鎌倉の町に一歩踏み出したのだった。
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