我儘なお客と、特別なパンケーキ6

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我儘なお客と、特別なパンケーキ6

『詩織はこれが好きね』 『うん、大好き!』  幼い頃によく食べたふわっふわのパンケーキ。もちもちしていて、とっても分厚い。それに、パンケーキが溺れるほどにメイプルシロップを掛けて食べる。料理上手な母お手製、わが家の定番のおやつ。それを食べると、まるで自分が世界一の幸せ者であるかのような気分になったものだ。 『ママのパンケーキ、とっても美味しい。何が入っているの?』  一度、興味本位でそう聞いたことがある。何故なら、母の作ってくれるそれは店で食べるものと明らかに違ったからだ。  けれども、母はいつも不思議な笑顔を湛えて、口元に指を当ててこう言うのだ。 『――内緒。大人になったら教えてあげるわ』 「お母さん、あのパンケーキのレシピ、なんだったっけ!」 『どうしたのよ、急に』  スマホでテレビ通話を繋げて、厨房の壁に立てかける。そして、電話に出た母に向って、いきなり頭を下げた。 「お願い、お店のためにパンケーキのレシピが必要なの」 『お店? それって新しい勤務先のこと?』 「そう!!」  母は画面の向こうで少し考え込むと、快諾してくれた。 『わかったわ。娘のためだもの』 「やった。前に教わったのに、文量がうろ覚えで困ってたんだよね。今度、お礼に美味しいものご馳走するからね。準備してくる!」  気合を入れて、材料と道具を揃える。私が用意したもののなかには、小麦粉などの定番の材料の他に――真っ白に輝く四角いアレがあった。  母が作ってくれたパンケーキの秘密。それは、「豆腐」だ。 「それにしても豆腐だなんて、よくパンケーキに入れようと思ったね?」 『当時、お豆腐を食べてくれなかったアンタに、どうにかして食べさせようと工夫した結果だったのよ』 「子どもの頃は、もっとすごいものが入ってると思ってた。なんで秘密にしたの?」 『バラしたら、食べなくなるでしょ』 「まあね」  他愛のないことを話しつつ、母の指示に従って、調理を進める。  使用するのは絹ごし豆腐だ。水気を切って、ボウルに入れたそれを泡立て器でしっかりと混ぜる。クリーム状になったら、そこに卵とプレーンヨーグルトを加える。そして、あらかじめ混ぜ合わせておいた、薄力粉、砂糖、塩、ベーキングパウダーをふるい入れるのだ。家庭で作る場合は、もちろんホットケーキミックスで大丈夫。 『……ねえ、詩織。三分の一くらい、ボウルの外に零してるじゃないのよ』 「うっ」  ボウルの脇に積もった粉の山を見るなり、母は盛大にため息をついた。 『ちゃんとボウルのなかに入れてくれない? 量った意味がないじゃない!』 「誰にでも失敗はあるものよ」 『アンタは、料理に関しては失敗しかないじゃない! まったくもう……!』  若干顔を引き攣らせながら、素知らぬ顔で調理を進める。ボウルの中身をしっかりと混ぜ合わせると、大分もったりとしている。母いわく、水分量は卵の大きさや豆腐で左右されやすいので、あまりにも粉っぽい場合は牛乳を、水っぽい場合は様子を見て粉を足せばいいとのことだった。 『じゃあ、生地の様子を見せて』  母に言われて、お玉で生地を持ち上げてボウルに落とす。すると、ボタボタッと途切れ途切れに生地が落ちていった。満足そうに頷いた母は、私にフライパンを熱するように指示した。  ――さあ、決戦の時だ。  若干、ひやひやしながらフライパンを温める。黒炭料理製造マシーンである自分の能力を、遺憾なく発揮しない(・・・)ためにも、ここは気合を入れなければならない。  ほどよくフライパンが温まったら、お玉で生地を投入していく。最初のひとすくいは、面積小さめに流し、接地面が固まるまで少々待つ。そして、その上にまた生地を乗せて厚みを作っていくのだ。これは、かなりもったりした生地だからできる芸当。専門店の金型のようなものがなくても、家庭で簡単に厚いパンケーキが作れる裏技だったりする。  ほどなくして、フライパンの上にクリーム色の生地がこんもりと盛り上がった。端の部分が沸々と泡立ってきて、順調に熱が入っているのが分かる。 「よし、いい感じ……! 後は全体に火が通れば!」 『絶対に強火にしたら駄目よ』 「わ、わかってる」 『なら、その手をコンロのつまみから離しなさい』 「何故、そこに私の手があることを知っているの……!?」  すると、母はにやりと不敵に笑うと、「何年アンタの母親やってると思っているの」と笑った。  火力は据え置きのまま、フライ返しをしっかりと握りしめて、穴が開くほどフライパンを見つめる。そして、母の合図と同時に生地をひっくり返すと――綺麗なきつね色に焼けていた。 「やった!」  歓声を上げて、けれどすぐにまたフライパン上の生地を見つめる。あとは裏面を同じ様に焼けばいいだけなのだが、ここで焦がしたら元も子もない。気を抜かないようにしなければ……!  すると、そんな私を見て、電話越しの母がしみじみと呟いた。 『まったく、アンタは昔から変わらないわね』 「……なにが?」 『不器用な癖に、一生懸命やるところ。集中すると、唇を尖らせるところ。誰かのために頑張れるところ。好きな人のためなら、努力を惜しまないところ』  私は何度か瞬きをすると、気恥ずかしくなって視線をそらした。 「それって、アラサーに言う台詞じゃなくない?」  すると、母はからからと笑って言った。 『馬鹿ね。娘は、いくつになっても娘よ』 「……うん」  ちょっぴり気恥ずかしくなった私は、小さく返事をして、パンケーキが焼けるのを待つ。  すると、母がぽつりと何か呟いた。 『……本当、安心した』 「ん?」 『ううん、なんでもない。大丈夫、きっと上手く行くわ』 「そうだね。そうだったら……いいな」  母に向かって頷く。そしてまた、フライパンに視線を落とした。  ――母と一緒に作ったパンケーキは、綺麗に焼き上がった。ふっくらと焼けたそれに、トッピングを綺麗に盛り付ける。完成したものを朔之介さんたちに見せると、彼らは揃って顔を輝かせた。 「詩織、やるじゃない!」 「頑張ったね」  嬉しさのあまり笑みを零す。胸がポカポカするのを感じながら、けれどすぐに表情を引き締めた。なんていったって、本番はこれからだ。 (どうか、これが大首の初めての「味」でありますように)  私は心の中でそう願うと、客席に足を向けたのだった。  *  既にとっぷりと日は暮れて、窓の外には大きな月が出ているのが見える。  店休日のカフェは、しんと静まり返っていて、普段の賑やかさを知っていると、少し寂しく思えるのは私だけではないはずだ。  盆を手に、ゆっくりと座敷席に向かう。するとそこには、大首の他に見慣れない姿があった。 「ねえ、もう帰ろうよー」  大首に、どこか間延びした口調で話しかけているのは、中折れ帽を被った狸だ。まだ春だというのに、何故かアロハシャツを着ていて、肩から下げたバックに大量のお守りをストラップよろしくぶら下げている。四肢の毛を緑色に染めていて、まるで手足がブロッコリーのように見える。純和風な店内にあって、その姿はかなり浮いていた。  彼は私に気がつくと、あっと声を上げて頭を下げた。 「コイツがご迷惑おかけしてます。すぐに連れて帰りますからー」  すると、大首は白い歯を剥き出しにして怒りを露わにすると、駄目よ! と金切り声を上げた。そして、私の手元の皿をじろりと睨みつけた。 「……今度こそ、私が食べたことのないものでしょうね」 「そうであると、信じています」  そう言って、テーブルに皿を置く。大首はそれをまじまじと覗き込むと、「これは?」とやや高圧的に聞いてきた。 「豆腐パンケーキです」 「……豆腐?」 「絹ごし豆腐を、生地に練り込みました。大豆は北海道産ですが――鎌倉で塩が作られているのをご存知でしょうか。そこのにがりを使用しています。トッピングは、朝採れの苺をホットソースにしました。白色のいちごと赤い色のものを使い、色彩も鮮やかに工夫してみました。これも地元農家が作ったものです。ソースに入れた蜂蜜も、鎌倉の養蜂場で採れたものになります」  一息で言い切って、大首の様子を伺う。すると彼女は無言のまま、皿の中を見つめていた。  この一皿を作るのに、豆腐小僧を始め、多くのあやかしに協力を仰いだ。急なことだったのにも関わらず、皆快く応じてくれ、そのお蔭でこの一皿は特別なものになった。 「生クリームも、神奈川の牧場で作られたものを使用しています。一見、ただのパンケーキに見えますが、『地』の材料をふんだんに取り入れました。いわば、『地パンケーキ』です。……如何でしょうか。これは――食べたことがないのではありませんか」  大首はなおも無言のままだ。狸は、私たちに気を遣ったのか、そんな大首の顔をしきりに覗き込んでは、「食べて帰ろう?」と声を掛けてやっている。 「……わかったわ」  すると、やっとのことで大首が口を開いた。そして、彼女は私を見るなり、こう言った。 「この人――たぬ吉さんも一緒でいいなら、食べるわ」 「え? 僕?」 「取り皿を用意して。この人と半分に分けてちょうだい」 「わ、わかりました!」  言われるがまま、厨房に駆け戻る。そして、皿を手に戻ると、パンケーキを切り分けてふたりの前に並べた。 「どうぞ、お召し上がりください」 「私、たぬ吉さんが食べてからにするわ」 「ええ……?」  たぬ吉は、困惑しながらも恐る恐る手をナイフとフォークに伸ばした。  そんな様子を、大首は瞬きもせずに見つめている。  ふとカウンターの方を見ると、朔之介さんや青藍さんも固唾を飲んで見守っているのが見えた。……上手くいくだろうか。私は喉がやけに乾いているのに気がつくと、無理やり唾を飲み込んで湿らせた。 「じゃあ、先にいただくねー」  カチャカチャと食器が触れる音だけが店内に響いている。  豆腐入りのパンケーキは、かなりの分厚さがある。こんがり焼けた表面に、たぬ吉さんがナイフを入れると、途端に周囲の生地が沈み込んだ。切り分けたパンケーキに真っ赤なソースをたっぷり絡めて、更には生クリームをナイフで塗りつける。彼は、少し複雑な表情でそれを見つめていたかと思うと、恐る恐る口に入れた。 「んっ……!! うんまい!!」  途端、ぱあっと表情が明るくなる。たぬ吉さんは勢いよく二口目を切り分けると、今度は思い切り齧りついた。 「豆腐って聞いてちょっと怖かったけど、全然豆の味はしないんだねぇ。しっかりと卵の風味がする。うん、優しい味だ。それに、なんてふわふわなんだろう。でも、しっとりと水分を含んでもいる。これが豆腐由来の食感なのかなー?」 「は、はいっ……! ええと……豆腐のおかげで、冷めてもパサつかないという利点もあるんですよ」 「へー。ソースもジューシーで美味しい。苺がどっさりトッピングされているのも嬉しいね。『地パンケーキ』かあ。これはいい。よく考えたなあ……」  ――やった……!  なんだか、パンケーキを通して母を褒めて貰えたようで誇らしい。  これならいけるかもしれない。そう思って、大首の様子を伺う。けれども、すぐに浮かれた気持ちは萎んでしまった。なぜなら、彼女の表情はまだ沈んだままだったからだ。 「いやあ、美味しいね!」  そんな大首を他所に、たぬ吉はあっという間に一皿平らげてしまった。そして、なんとも名残惜しそうに、皿の上に残ったホットソースをスプーンで掬いながら言った。 「豆腐入りのパンケーキだなんて、オイラ初めて食べたよ! いやあ、珍しい(・・・)。やっぱり――珍しいものはいいなあ(・・・・・・・・・・)!」  するとたぬ吉は、自身が「珍しいもの」に如何に愛情を注いでいるかを語り始めた。彼は、普段身につけているものすら、「珍しいもの」に拘っているようだ。被っている中折れ帽は、かつて某有名日本映画の主人公が使っていたもの「らしい」。着ているアロハシャツは、湘南出身のロックバンドのボーカルが着用していたもの「ならいいな」。大量のお守りは、限定発売のもので、今は手に入らないものばかり――家も、そういった類のもので溢れているのだそうで、彼の「珍しいもの」への愛情はかなりのもののようだ。 「それは、すごいですね……」 「そうなんだよ。自分でも厄介な趣味をしているとは思っているんだけどね。でも、やめられない。なんてったって、二度と出会えないかもしれない何かと会える楽しみがある。ねえ、君もそう思うだろ?」  たぬ吉は、ご機嫌な様子で大首に話を振った。  すると、それまで黙っていた大首がやっと口を開いた。 「そうね。そうよね。あなたは根っからの『珍しいもの』が好きだものね――だから、私とも付き合っているのよね」  その不貞腐れたような口ぶりに、たぬ吉は首を傾げた。 「なに変なこと言っているんだよ。それより、ほら……早く食べなよ。美味し――」 「黙って!! そんなの、今はどうでもいいじゃない!」  大首の様子がおかしい。  彼女はたぬ吉の言葉を遮り、まなじりを釣り上げると、勢いよく喋りだした。 「ああ、これでわかったわ。あなたはどこまでも『珍しいもの』が好き。むしろ、そういうものなら、何でも喜ぶのね! だから――だから、いつまでも私と結婚してくれないんだわ!!」 「ま、待って。一旦落ち着こうか? ねえ……」 「これが落ち着いていられるもんですか! 私は、あやかし『大首』。それも、お歯黒じゃない大首――こんな珍しくて……滑稽なあやかしは他に居ないもの!!」  大首は人の頭ほどある瞳を歪ませると、ひと粒でバケツが満杯になってしまいそうなほどの涙を、ボロボロと零し始めた。 「結婚したら、私はお歯黒になるわ。だって歯を染めるのは、既婚者の証だもの。そうすれば、私の唯一のアイデンティティが失われてしまう。ねえ、知っている? 付き合って、もう100年も経ったのよ。普通なら、とっくに……」  ――結婚しているはずだわ。  そこまで話し終えると、大首は嗚咽を上げ始め、話せなくなってしまったようだ。  信じられないほど大きな涙の粒は、彼女の瞳から絶え間なく流れ落ち、床を汚していく。私たちは、その様子を呆然と眺めていることしかできなかった。どうやら、「食べたことのないパンケーキ」が欲しいというのは、たぬ吉の反応を窺うためだったらしい。  するとその時、たぬ吉が動いた。大首の隣に行き、バックからタオルを取り出すとおもむろに涙を拭き始める。けれども、彼女が零す涙の量は到底タオル一枚で拭ききれるものではなくて、畳も、たぬ吉も――彼の着ていたものすべてを、あっという間にびしょ濡れにしてしまった。すると、それを見た大首はイヤイヤと首を振り始めた。 「取って付けたように優しくしても無駄よ。やめて! いつもその服が汚れるの、すごくすごく嫌がるくせに!! 私なんて放っておいて帰りなさいよ。こんな私よりも、そっちを心配したらいいのよ!!」 「君を置いて帰ったりしないさ」 「嘘。絶対に嘘よ。頭のなかは、服のことでいっぱいに決まってるわ!」 「違うよ、お願いだ。話を聞いてくれ……」  ひたすら拒否し続ける大首の涙を、たぬ吉はひたすら拭き続けている。  しかし、相手は巨大な生首だ。体格差は歴然としていて、大首が勢いよく首を振ったせいで、小柄な狸は吹き飛ばされてしまった。 「ちょ、大首さん!? さすがにこれは……!」  堪らず、間に入ろうとする。けれども、誰かに肩を掴まれてしまった。そこにいたのは青藍さんだ。彼はゆっくりと首を振ると、私の背後を指さした。つられて後ろを向くと――そこには、痛そうに自分の体をさすりながらも、再び大首に寄り添ってあげているたぬ吉の姿があった。 「イテテ……。いいから、僕の話を聞いてくれないか。まったく、君は……」  たぬ吉はそう言うと、バックから何かを取り出した。そしてそれを彼女の前に置くと、にこりと笑って言った。 「僕は君と、きちんと結婚するつもりだったよ」  それは結婚指輪の入ったリングケース。ぱかりと開けると、ケースの中央で眩しいほど美しい石がキラキラと存在を主張していた。 「いつ渡すかタイミングを図っていたんだ。どうやら、僕が意気地なしだったせいで、君を傷つけてしまったようだ。――たとえ、僕と結婚したことで姿が今と変わってしまっても、変わり者の僕を好きだって言ってくれる君が、堪らなく好きだよ。結婚してくれないか」  優しい声で紡がれた言葉。そこには、溢れんばかりの愛情が籠もっていて――一瞬、硬直していた大首はくしゃりと顔を歪めると、どろんと煙を纏ってその姿を消した。 「は、早く言ってよ。ばかああああああああ!」  そして煙が晴れた場所に現れたのは、小さな小さな雌の狸。  彼女はリングケースを大切そうに胸に抱くと、たぬ吉に思い切り縋り付いて――また、涙を零したのだった。
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