心に沁みる珈琲2

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心に沁みる珈琲2

「じゃあ、夕方には帰ってきますから」 「今日も行くのかい?」 「はい、ちょっと用事があって」 週に二日あるお休みの日。首元には薄手のスカーフ、肌の出る場所には日焼け止めをたっぷり塗って、UVカットの日傘を準備。日焼け対策を万全に整えた私は、カフェの裏口から外に出た。もちろん、朔之介さんの母親について調べるためだ。ここ最近は、休みごとに東京に出向き、古い地図で朔之介さんの生家のあった場所を調べて、当時の登記簿からその後を調べてみたりと色々と忙しくしていた。そんな私を、朔之介さんは、わざわざ見送りに出て来てくれていた。 「今日も暑くなるそうだから、気をつけて行くんだよ」 そう言った朔之介さんは、少し心配そうだった。なにせ、最近までは休みの日はだらだらと過ごしていた私だ。急に活動的になったので、何かあったのかと気がかりなのだろう。やっぱり朔之介さんは優しい。彼のこういう細かい気遣いは、時に心を温かくしてくれる。 (ああ、好きだなあ) しみじみとそう思う。同時に、彼に惹かれてよかったとも思う。この歳になって、そういう人と出会えたことはとても貴重なことなのではないか。胸の奥から湧き上がってくる、この甘酸っぱい感情。久しぶりの片思いは、なんともくすぐったく、同時にもどかしい。 すると、朔之介さんが何かを手渡してきた。見ると、それは細身の水筒と何個かの飴だった。 「熱中症が怖いからね。水分補給を忘れずにね。これ、アイスレモンティー。甘い方が好みだったよね? それに、塩飴。よかったら食べて」 ――ああ、朔之介さんの笑顔が眩しくて見えない……! 優しさの追い打ちに、私は身震いすると口元を手で覆った。心臓が早鐘を打って、全身が熱い。 「守りたい、この笑顔」 「ん?」 「いえ。なんでもありません。ありがとうございます!」 思わず、変なことを口走ってしまい、暴走しそうになる自分をなだめる。危ない、変な女だと思われるところだった。動揺を顔に出さないように苦労していると、朔之介さんは私の頭を見て、微笑みを浮かべた。 「それ、似合っているね」 「そうですか?」 「ああ。橘さんの髪色に合ってる」 嬉しくなって、頭のそれにそっと触れる。そこにあったのは、菊江さんが差していた櫛だ。黒塗りの漆に、紫色の藤の花。金粉がまぶされたそれは、彼女が「私に」と遺してくれたものだ。一度は受け取りを断ったものの、菊江さんが亡くなった後、長男さんがわざわざカフェに持ってきてくれた。 終活にと色々と準備をしていた彼女だが、遺言書も作っていたらしい。それと一緒に、小さなメモ書きを残してくれていたそうだ。長男さんが見せてくれたメモには、こうあった。 『この櫛が一番似合う彼女に差し上げてください』 一度は断ったものの、そうまでされては受け取らないわけにはいかない。私は、ありがたく頂戴することにして、彼女に倣って気合いを入れたい時に着用することにした。すると、なんでもできるような気がするから不思議だ。菊江さんは、本当に多くのものを私に遺してくれた。 「じゃあ、行ってきますね」 朔之介さんに笑顔で挨拶をする。すると彼は、うっすらと目を細めて、「行ってらっしゃい」と送り出してくれた。鎌倉の町に出ると、途端に暑い日差しが身を焼いて、夏が来たのだと実感できる。この季節のうちに、彼の母親について調べがつけばいいのだけれど。 私は、早くも頰を伝い始めた汗をハンカチで拭うと、観光客でごった返す道を、駅に向かって歩き始めた。 「……どうしたものかしらね」 「こりゃ参ったね」 「ううん……」 彼の母親のことを調べ始めてから、二週間ほど経った。 私と青藍さん、豆腐小僧は、調べ物の成果を持ち寄って、鎌倉の御成通りにある小さなコーヒースタンドにきていた。ここは、立ち飲みで珈琲が楽しめる店で、店頭ではマフィンやスコーンなどの販売もしている。時間はないけれど、一杯だけ美味しいのを飲みたい時に重宝する、そんな店だ。私たちは、カウンターで各々珈琲を飲みながら、お互い持ち寄った情報を交換し合っていた。その結果、わかったことがある。 朔之介さんの父親が経営していた店は、東京大空襲で店が焼けた後、立て直すことができずに潰れてしまったこと。従業員や経営者家族は、戦後の混乱の中、散り散りになってしまって、今はどこにいるかわからないこと。跡地には、現在、外資系の商業施設が建ってしまっていること。 「猫たちを総動員して、店があったあたりに住んでいるあやかしに聞き回ったけど、夜逃げ同然でいなくなったことくらいしかわからなかったわ。どこに行ったのかすらわからない。そもそも、戦争に嫌気がさして、あの辺りのあやかしは戦後から様変わりしたのよ。すっかり忘れてた! 迂闊だったわ」 悔しそうに顔を歪めたのは、青藍さんだ。すると、豆腐小僧もお手上げといった風に肩をすくめた。 「僕は、古い戸籍から行方が辿れないかと思って調べてみた。明治っていうと、戸籍の基礎になった『壬申戸籍』ができた頃なんだけど、まだ差別なんかが色濃い時期に作られたものだから、今は見られないようだよ。まあ、そもそも今は個人情報の保護にうるさいからね。素人が調べるのは、ここが限界だ。探偵でも雇った方が手っ取り早いかもね。ああ、人間社会ってなんでこう面倒なんだろう」 どうやら、ふたりとも有用な情報は得られなかったようだ。私も、図書館で集めてきた資料のファイルをパラパラとめくってはみたものの、がっくりと肩を落とした。 「私は、土地の権利関係なんかから、辿れないかと思ったんですが……戦争で一面焼け野原になった後の土地の変遷が複雑過ぎて、よくわかりませんでした」 一通り話し終わると、私たちは盛大にため息をついた。 「詰んでない? コレ」 「うっ……。正直、私もそう思います」 「アタシが調べた当時は、まだ店が潰れる前だったからね。従業員の話を聞くのも、そんなに苦労しなかったんだけど。その人たちも、今はもう生きていないだろうしね」 「まったく、人間はあまりにも短命すぎるな。もどかしい」 二週間もの時間をかけたにも関わらず、何も得られなかった私たちは途方にくれてしまった。もしかしたら、とは思っていたけれど、流石に一世紀以上も前のことになると、そうそう簡単に調べることはできないらしい。覚悟はしていたけれど、流石に事実を突きつけられるとキツイものがある。けれども、ここで諦めるわけにもいかない。 「ま、すぐにわかるわけないですよね。焦らず、確実にやっていきましょう」 「アンタ、結構しぶといわよね」 「そうでもないですよ、かなり落ち込んでますし。この歳になると、成果やら奇跡は簡単に舞い込んでこないって理解しているだけで」 半ば自棄気味に、焼きたてのスコーンにジャムをたっぷり乗せて食べる。果肉を残して作られた、手作りならではの優しい甘さは、ほろ苦い珈琲にぴったりだ。 「あら、詩織。それ美味しそうね。アタシにも一口頂戴よ」 「嫌です。自分で頼んでください」 「ケチね~。そんなんじゃ、いつまでたっても結婚できないわよ」 「この程度を許容できない男性なんて、こっちからお断りですね」 もぐもぐとスコーンを咀嚼しながら、青藍さんと軽口を叩き合って現実逃避をする。疲れた心と脳に、甘味が優しく染み渡る。大人になってから、太ることを気にして甘いものをあまり積極的に食べなくなったけれど、口にすると途端に癒される自分に気がつく。ストレス発散に甘味を選ぶようになると、悲惨な末路が待っているのを理解しているものの、甘いものの魅力にはなかなか抗えない。 (子どもの頃みたいに、気兼ねなく食べられたらいいのに。いや、運動量も違うし、代謝が衰えたから無理か) そんなどうでもいい事をつらつらと考えながら、これからどうするべきかと思案に暮れていると、はたとあることを思いついた。 「そうだ。『子どもの頃』だ!」 私はポンと手を打つと、勢いよく青藍さんを見た。その時の私の表情があまりにも必死だったのか、青藍さんはギョッとして、整った顔を引攣らせている。 「青藍さん、朔之介さんって子どもの頃、どこに住んでたんです!?」 「な、なによ、急に」 「確か、父親の持っていた別荘に住んでたんですよね? 別荘って普通は避暑地に作るものだと思うんですが……そっちの方面で調べてみたらどうでしょう。建物は残ってないかもしれませんが、戦禍に見舞われてないぶん、東京よりも調べやすいんじゃないでしょうか」 すると、感心したように豆腐小僧が私の頭を撫でてきた。 「へえ、君にしては目の付け所がいいんじゃないか?」 「君にしては(・・・)っていうの、余計なんですけど」 ジロリと豆腐小僧を睨みつけ、彼の手を払いのける。朔之介さんは奥手過ぎるきらいがあるけれど、この人は逆にスキンシップが多すぎる。豆腐小僧は手を払われたのにも関わらず、ヘラヘラ笑って、そうかい? と悪びれもしない。すると、私の言いたいことを理解したのか、青藍さんは明るい調子で言った。 「確かにそうね。そっち方面で調べてみるといいかも。問題は場所よね」 「朔之介さんは覚えていないでしょうか?」 「小さい頃に連れてこられたっきり、ほぼ家の中で過ごしてたのよ。自分がどこにいるかなんて、把握していたのかしら。それに、あの当時のことはあんまり思い出させたくないのよね」 すると、その言葉を聞いた豆腐小僧は、途端に眦を釣り上げた。 「そうやって、君はまた朔之介を甘やかそうとする。別にこれくらい、聞いたっていいじゃないか」 「……うるさいわね。アンタに朔のなにがわかるってわけ!?」 「少なくとも、対等な友人として彼のことは理解しているつもりだがね」 剣呑な空気を醸し出し始めたふたりに、思わずため息を零す。苦笑いを浮かべている店主に視線で謝りつつ、朔之介さんが幼少時に過ごしていた場所に想いを馳せる。彼の両親は東京に住んでいた。当時の交通事情を鑑みても、そんなに遠い場所に別荘を持たないとは思うが……。思考を巡らせながら珈琲を啜っていると、今まで豆腐小僧といがみ合っていた青藍さんが、いきなり「あっ!」と大きな声を上げた。 「ど、どうしたんですか?」 青藍さんは目を爛々と光らせ、満面の喜色を浮かべると、自分の頰を両手で挟んで身をよじった。 「そうよ、そうよね。明治でしょ? あそこしかないじゃない! ああ、アタシの馬鹿!」 「君が馬鹿なのは重々承知しているから、もったいぶってないで、早く結論を言ってくれないか。イライラする」 「そんなにイラつくなら、聞かなきゃいいでしょ!? 何の役にも立ってない癖に。濃口醤油で煮付けてやろうかしら」 「はっ! 煮るなら出汁を利かせて、薄口で頼むよ」 「まあまあまあ……」 また喧嘩を始めたふたりを、必死になだめる。減らず口が止まらない豆腐小僧の口を押さえて、青藍さんに話の続きを促すと、彼は少し不服そうではあったが教えてくれた。 「当時ね、上流階級に人気の別荘地があったのよ。公爵やら、有名な作家やらがこぞって移り住んだ場所が」 「へえ。それはどこなんですか?」 「――鎌倉、よ」 青藍さんによると、当時、東京大学医学部に招聘されていた、「日本近代医学の父」ドイツ人医師エルウィン・ベルツによって、海水浴の健康への有用性が広められた。彼は、自身が掲げる「保養の思想」の下、世界に草津温泉を紹介したり、病気にかからないための保養の重要性を説いた。ベルツは、レジャーではなく保養の手段として、海水浴の有用性を説いたのだ。そして、自身で下見をした後、由比ヶ浜が海水浴に適していると方々に紹介した。なんと、彼が主治医を務めていた伊藤博文や大隈重信、当時の皇太子などに湘南地域に別荘を作ることを推奨したりもしたらしい。 それによって、鎌倉は一躍、注目を浴びた。明治二十二年に横須賀線が開通したことも大きい。東京・横浜からの交通の便が改善されたことにより、鎌倉の別荘地としての地位は確固たるものになった。その結果、当時の上流階級や、後の鎌倉文士と呼ばれることになる文学者たちがこぞって鎌倉に移り住んだのだ。 「懐かしいわ。あの頃、いきなり見知らぬ人間がどっと押し寄せてきて、一気に町が活気づいたの。あちこちに洒落た洋館が立ち並んでね、古くから住んでいるあやかしどもは、みんな目を白黒させていたわ」 青藍さんは、当時のことを思い出しているのか、くつくつと肩を揺らして笑っている。けれど、笑いが収まった途端にすうと目を細めて、表情を消して言った。 「朔の父親はね、金にがめつくて、見栄っ張りな奴だったの。成金の権化みたいな男。流行りのものには手を出さなければ気が済まない奴が、当時の上流階級がこぞって土地を買っていた鎌倉に、興味を持たないわけないわよね?」 「つまり……?」 「灯台下暗しとはこのことよ。あの子は、鎌倉にいた。七里ヶ浜のサナトリウムに入院させられたのも納得だわ。単純に近いものね。不治の病に罹った息子を放り込むには、最適だもの」 私たちは無言で顔を見合わせると、お互いに頷きあった。鎌倉に住まう人々やあやかしとは顔なじみも多い。東京とは違って、当時のことをかなり深くまで掘り下げられるかもしれない――。 胸のドキドキが止まらない。私たちは残っていた珈琲を一気に飲み干すと、時間がもったいないとばかりに、夏の日差しが燦々と降り注ぐ鎌倉の町に飛び出したのだった。
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