十兵衛 対 義経 ~隅落(すみおとし)~

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十兵衛 対 義経 ~隅落(すみおとし)~

 あの世では毎週金曜日夜八時に地獄プロレスが放映されている。  生前に名を馳せた英雄豪傑が腕前を披露する番組で、仏界天界、果ては魔界でも視聴率?は高い。  今宵もリングで勝負に臨む二人がある。  一人は稽古袴姿の柳生十兵衛三厳であり、もう一人は鎧兜で武装した凛々しい若武者・源九郎義経だ。  ーーカァーン!  試合開始と共に、十兵衛は無心に踏みこんだ。  義経は刀を抜く間もない。  十兵衛は兜の緒を右手でつかみ体全体で押しこむ。 「むう!」  義経は押し返さんと前に出た。  その瞬間、 「うう!?」  義経の体が前方に一回転し、背中からリングに落ちた。  二十キロ近い鎧を着こんだ義経は投げられた衝撃に、リングの上で背を反らせてうめいている。  刹那の間に何が起きたか?  十兵衛は義経を体ごと押した。  それを押し返さんと義経は前に出てきた。  その瞬間に十兵衛は右足で踏みこみ、右手で義経の体を押し上げーー  左足は後方へ半円を描き、同時に左手は義経の右手首をつかんで引いていた……  手先で投げているように見える事から「空気投げ」とも称されるこの技は、三船十段考案の「隅落(すみおとし)」であった。  二十一世紀には使い手のいないとされる、柔道界幻の秘技である。  もっとも、十兵衛は父宗矩から学んだ「無刀取り」の技の一つをしかけたに過ぎぬ。  実戦的ではないので型だけを学んだのであったが、それがこの局面で咄嗟に出たのだ。 「今のは…………」  呆然と己が両手を眺める十兵衛。  武の深奥は見えたと同時に、はるか彼方へと遠ざかった。  もう一度やれと言われても、できぬだろう。  無と成った十兵衛は、技の極みに達していたのだ。 「ーー非礼を詫びよう!」  十兵衛が呆然としてる間に、義経は鎧兜を脱ぎ捨てていた。  その顔には不敵な笑みすら浮かんでいる。  呆然としていた十兵衛だが、義経の本気モードに血の気が引いた。 「見るがいい、真・八艘飛び!」  鎧兜の重さから解放された義経は、十兵衛の周囲をロープの反動を利用して飛び交い、更に必殺の「一ノ谷インフェルノ」で十兵衛をKOした。  やはり、とんでもなく強かった。  だが、十兵衛も隅落をしかけて半ば放心していた隙をつかれての敗北だ。  両者、最初から本気ならば、どうなったかはわからない。 「きゃー、義経様ー!」  春日局はリングサイドで大騒ぎだ。十兵衛を応援していたはずだが。  兵(つわもの)どもが夢の跡……  そして人々はまた来週の地獄プロレスに胸を弾ませるのだった。 「でもプロレスじゃないじゃない」  聖母様は小首を傾げた。たったそれだけの仕草が、美しくも可愛らしい。 「いいなあ……」  剣神は聖母様の仕草にデレデレしていた。彼の好みは、正しく聖母様のように、美しくも少女の心を失っていない女性であった。 「……ふん!」  聖母様の洗練された右フック(カミソリパンチと称される)が剣神を吹っ飛ばした。 「そんな都合のいい女はいません!」  聖母様は眉をしかめ、額に血管も浮かばせて憤っていた。  彼女の好みは精悍にして少年の心を失っていない男性なのだが、剣神とはウマが合わない。 「やるなあ、あいつ」  武神は剣神や聖母様と共にテレビを観ていたが、長い髭を撫でて楽しげだ。  軍神もまた十兵衛の試合が見たくなった。
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