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「は? それだけでいいの?」
結局僕は、フルートの退学を望まなかった。
かといって親愛の情を向けられるほど優しくもなれない。
その代わり、もう僕を殺そうとしたり、魔法で攻撃したりしないでほしいとお願いした。しどろもどろになりながら、思わず土下座までしそうになりながら……
そうまでして、なんとか勇気を振り絞って言った願いが、それだけと言われた。
それだけ……それだけ、だって?
その時、僕の中で何かが弾けてしまった。
「それだけって、それが一番大事ですよ! 苦労して入学したのに、おじさんに何度も頭を下げたのに、ようやく、ようやく授業に出られたのに……まだまだ死にたくないのに、何も成していないのに!」
なんだろう、貴族にとっては命なんて軽いものなのだろうか?
「それなのに、今日ここに来てから何度も……ここだけじゃない、どこでもお貴族様は僕ら平民の命なんて、いつも気まぐれ一つで刈り取るじゃないか!」
夢も希望も、どんな努力も、貴族の一声で簡単に無かったことにされる。それが貴族と平民の関係だ。
初めて耳にするような全く知らない罪状を言われたり、突然の命令を守れなかったり、酷い時にはそんなことすら無く、何もわからないまま命も財産も没収される。そんなことが日常茶飯事だった。
正直、この貴族だらけの学園に通うなんて、野生の森に道具無しで野宿するよりもずっと怖い。
日頃の不満も合わせた僕の必死の言葉にフルートも少しうろたえている。
「な、なによ……でも、そういうものじゃない!」
そう、世の中そういうものなのだ。いくら不満でも理不尽でも、受け入れるしかない。今までも、これからも……
「なあフルート、お前は生まれてからずっと貴族だ。そして恐らくこれからも変わらない」
先生が語り掛ける。
「そしてアグリも、ずっと平民だ。いつ貴族の我が儘で死んでもおかしくない、平民だ」
「わ、私は我が儘なんて──」
「言ってないか? お前はアグリに死ねと言わなかったか? せっかく入学した、人生を大きく変えるチャンスを掴むためにきた、この学校から出ていくように言わなかったか?」
「ううう……言ったわよ!」
フルートは納得できないと言いたげな視線で、先生を射抜いている。
「それは、お前にとっては感情のままに言った言葉だろうけど、アグリや平民にとっては死刑宣告と同じだ。お前たち貴族にとっての王命だ。わかるな?」
王命。
その言葉で、フルートの顔から血の気が引いた。
「俺の生まれも貴族の家だ。だが、あちこち旅して、何度もアグリのような平民たちと共に夜を明かした。王都、町、領地の端にあるような村々でもよくお世話になった」
先生が自分の過去を語っている。
貴族らしからぬ気さくさがあったけど、貴族らしい気品も纏っていたから不思議だった。
それにしても、平民に、ましてや農民にお世話になるという言葉を使ったことに驚いた。
「だから、ある程度はどちらの事情も分かっているつもりだ。貴族にしたって、意味もなく平民の命を軽く扱っている訳じゃないこともな……」
優しい、でも少し悲しい目でフルートを見つめる。
お貴族様にはお貴族様の事情がある。たぶんそういうことなんだろう。ただの平民である僕にはわからないが……
「ただ、知っておいてほしい。平民にとって貴族というのはどれほど理不尽な力を持っているかを。そして……」
少し間を開けて、僕とフルート、そしてまだ残っていた他の生徒たちを見回した。
「魔力や体力、家柄や教養に違いはあるが、貴族も平民も等しく一生懸命生きていることを」
それが今日の授業の、本当の総括だった。
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