第1話

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第1話

 嫁と別れた。死にたい。死ぬまではいかなくともなんかこう、どっか行きたい。  最初は王宮で一緒に働いている文官仲間に愚痴ったそんな一言だったと思う。  その一言が、何がどうなってこうなったのか、その経緯を誰か説明してほしい。 「命を懸けて大魔王を倒す旅に出たい、という勇者はお前か」  風が吹けば桶屋が儲かるどころの騒ぎじゃない。伝言ゲーム大失敗にもほどがある。  だが面と向かって素直にそう言ってしまうには、相手が悪すぎた。  大失敗した伝言ゲームのゴールは、この国の国王陛下だったのだ。  先月、嫁に出て行かれた僕は、39歳にしてバツイチになった。子供はいない。  連日残業続きで、その日も午前様だった僕は、普段は冷めた晩飯が置いてあるはずのテーブルに、食事の代わりに紙が二枚置いてあるのに気付いた。  嫁の書き置きと離婚届だった。  書き置きにはたった一言「別れます」と書かれていて、三行半って言うだろせめてもう三行くらい頑張れよ! とか色々ツッコミの言葉が脳内で渦巻いたが、ツッコむ相手もいないので脳内に留めた。  カレンダーで今日がエイプリルフールでないことを確認して、僕はため息をつく。  ここですぐに嫁を追いかければまた何か違う展開があったかもしれないが、残業明けの僕にそんな気力はなかった。  寝て起きたら夢だったってことになるかもしれない、とベッドにダイブして、朝起きても書き置きはそのままだった。  きっと数日で戻って来るだろうと残業に追われる毎日を送ってみたが、一月が過ぎても嫁は戻って来なかった。  僕は離婚届を出した。一カ所の不備もない書類はその日のうちに問題なく受理され、僕はバツイチとなった。  同僚にはああ言ってみたものの、自分としては実はそれほど堪えていなかった。  仕事が忙しくほとんど家に帰れていないので、まだ実感がわいていないのかとも思うが、我ながら薄情なことだ。  嫁のことはそれなりに愛していたつもりだし、三行半以下の三行半を書き置きにされたこともショックといえばショックなのだが、少なくとも死にたいとか消えたいとまではいかない。あの愚痴は、いわゆるその場のノリ。  だから、旅に出るだとか、魔王を倒しに行くだとか、あまつさえ命をかけるなんて事は、考えたこともなかった。  僕はよっぽど『私じゃないです人違いです陛下』と言ってしまおうかと思った。  しかし僕が唖然としていた数秒で、国王は頼もしげに大きく頷いた。 「うむ、答えずともよい。今さら愚問であったな。そなたの王宮での仕事振りは、文官長からもよく聞いておる。昼も夜もなく、国のためによく働いてくれていると。その力をもっと大きな事のために使おうと、よく決心してくれた」  いやいや。違いますし。  僕が働くのは国のためというよりは、給料のためですし。  昼も夜もなく働いてるのは、ただの残業ですし。人増やしてもらえれば解決しますし。  つまり、辞令のせいです辞令の。 「正式な辞令を用意した。今日からそなたを、魔王対策課勇者に任命する」  ああ……辞令来ちゃいましたか……。  そんな役職初めて聞くので、どれくらい偉いのかイマイチ分からない。課長くらいなのか、それとも係長クラスなのか。  ていうか何の訓練も受けてなければ魔法の一つも使えない僕のような凡人文官に、なぜ魔王退治が出来るなどと思えるんだろう。せめて武官か、魔法課の人間に頼めばいいのに。  頭の中で反論が十も二十も浮かんでは消える。どれも口から出ては来ない。  出て来たのはたった一言。 「はい、承りました」  辞令には逆らえない、悲しき公務官の性。  こうして僕は39歳にしてバツイチの勇者になった。  ……夢ならさっさと醒めてほしい。
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