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 エンリル王国は砂漠の中に在りながら、驚くほど活気に満ち溢れていた。潤沢な水量を持つオアシス都市国家であり、大陸の東と西を繋ぐ交易路の大動脈でもあった。東西はもちろんのこと、南北からも数多の交易商人がこの国に訪れては、特産品や工芸品などの取引が盛んに行われていた。中でもレイラン王のお気に入りは、遥か東国よりもたらされたとされる片刃の剣であり、軽く反りかえった形状に加え、ほんのりと赤みを帯びたヒヒイロカネと呼称される、特異な金属でできていた。  流水で身を清め、額の傷を洗う。王家を象徴する紋が施された外套を纏い、質素な輝きを放つ冠をのせ、正装をもって謁見の間へと向かう。もちろん、腰にはヒヒイロカネの剣を携えて、各公務の補佐官を全て集める徹底ぶりであった。 「アダトよ。少々かしこまり過ぎではなかろうか?」  先王より継いだ玉座に腰を下ろす。細かな金細工がふんだんに施され、豪華と言うより他は無い。すぐ横にも同様に座が据えられている。玉座と比較すると何とも落ち着いた外観であったが、元来妃の為の、即ち、今は亡きレイラン王の母の為に用意されたものであった。 「古くからの友人であるとはいえ、相手は一国の姫君でございます。どこぞの使者であるだとか、大臣などではありませぬゆえ」  ううむ、と唸り杖を受け取る。先端にはエンリル王国を象徴する、狼の頭部を模した装飾が円形の透かしとして掘りこまれている。光にかざせば光陰に狼が浮き出るようになっており、国を挙げての式典の場では、民衆の前で光と影の狼を出現させる場合もあった。  間延びした、朗らかな声が国の名と、シェフナ姫の名を告げる。補佐官の列に加わったアダトが膝を着くと、他の補佐官も彼に倣い頭を垂れた。太鼓の音が鳴り響き、正面の扉が大きく開け放たれる。登りたての銀の月が、大理石の白い床を眩く照らしあげた。  伸びきった三つの影が、謁見の間へと歩を進める。決して気後れする事も無く、堂々とした足取りで補佐官たちの前を進む。背筋を伸ばして王を見据え、凛とした空気を帯びている。三人は玉座の前で足を止めると、王の前に膝を着いた。 「此度は突然の来訪に関わらず、盛大な歓待を心より感謝いたします。ハニガルバト王国より参りました、シェフナでございます」  透き通るような声で彼女は言った。 「遠路はるばるよくぞ参られた。余がエンリルの王、レイランである。面をあげよ、シェフナ姫」  彼女の顔を月の光が映し出す。肌は綺麗な小麦色で、伸ばしていた髪は短く切っている。すっきりとした面立ちながら、丸みを帯びた目元や、ふっくらとした唇など、随所にはかつての影も残していた。 「大きく、なったな……」  口をついて出た言葉がこれであった。同い年であるにも関わらず、まるで祖父母のような自らの物言いに、レイラン王は顔を赤らめはにかんだ。  対してシェフナはピクリとも笑わず。仮面を着けているのかのように無表情を貫き通していた。 「本来ならば、日頃からご挨拶にお伺いすべきものを、都合により後回しにしていた事、弁明の余地もございません」  王は自らの胸に冷たいものを感じて手で触れる。冷たい金属や、冷水のような物があるはずも無く、ただ月の光だけが王の胸元をも注ぎ照らしていた。半ば強引に微笑み誤魔化す。 「よいよい、お主にはお主たちなりの訳があったのであろう? 余の方こそ会いに行けずにすまなかった」  レイラン王の謝罪を受けて、彼女は深々と頭を下げる。そのようなつもりで言った訳ではないはずなのに、自らの立場が、心を歪めて意図せぬ言葉を彼女に伝える。自国のことばかりに忙殺されてきたこれまでの事を、王は今更ながらに酷く後悔していた。  おもむろに立ち上がると王は、アダトを呼んで杖を押し付け、冠を外す。王家の紋が施された重たい外套を、乱雑に玉座へ放ると、シェフナの手を取り強引に立ち上がらせた。 「もう、堅苦しいのはもう終いだ! 行くぞシェフナ! 宴だ! 今から宴を始めるぞ! お前には話したい事、聞きたいこと、山ほどあるぞ! 一晩では足りんくらいにな!」  レイラン王は凛々しく力強く、無邪気な笑みを浮かべている。それは闇をも照らす光のようであり、少女の曇った胸の内を光をもって払おうとする。彼の子どものような瞳がすべてを見透かすかのようで、決して見透かされてはなるまいと、目を合わせることができなかった。
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