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少なくとも始まりだけは厳かだった酒宴の場も、夜が更けるにつれて、より賑やかに、より騒がしく、より破廉恥になっていた。中でもレイラン王の酒癖は決して良いとは言えず、仮にも一国の姫であるシェフナの前で吐くべきではないような、赤面すべき言葉を散々喚きたてては男衆共の笑いを取っていた。
一方でシェフナは酒に一切手を付ける事無く、またブタ一頭を使った料理さえも大して口にしていなかった。常にどこか浮かない表情で、彼女の心がここではない、どこかに絶えず向けられている事に気づいたのは、レイラン王では無く、アダトの方であった。
「シェフナ姫」
酒宴は渦巻く炎のように騒ぎ、熱狂していた。一人静かに立ち上がり、宮殿のバルコニーへと向かうシェフナをアダトが追う。月光の注ぐ欄干に片手を置いて、酒では無く水の入った杯を摘むようにして持っている。アダトは彼女の背に軽く頭を下げると、隣に並んだ。
「レイラン王子も立派になられましたね。失礼、レイラン王でしたね」
街の随所で篝火が焚かれ、この国名物の夜市が開かれている。そこで商人たちは遠路はるばる持ち込んだ珍品、名品の数々をやり取りしていた。証人に限らず、各地からの旅人や観光に訪れる者にも人気があり、エンリル王国が栄えた理由の一つであった。
「アダト。物資を提供して頂いた事、心より感謝いたします。私たちは直ちにここを出発します。レイランにも、アナタにも、これ以上の御迷惑をお掛けするわけにはいきません」
「迷惑だなど――」
「迷惑だなど思ってはいないぞ、シェフナ!」
レイランが酒の入った杯を手にバルコニーに現れる。顏はやや赤らんでおり、声は大きいが呂律は上手く回っていない。彼はシェフナの横の欄干にもたれ掛かると、杯を煽った。
「お前はここに居ればいい。もう夜も更けているのだ。一晩くらい泊まっていけるだろう?」
「レイラン王よ。私は遊びに参った訳ではないのです。名残惜しい事でございますが、私共は直ぐにでも立ち去る所存です」
杯の中に青い月が浮かんでいる。誰だったか。太陽と月は決して交わる事がないと、言ったのは。
「訳は? そこまで急ぐ理由は一体なんだ? 問題ごとなら俺にだってできることがあるはずだ! 俺は決して無力ではないのだぞ!」
「だからこそでございます。アナタは何も知らなくていい」
「それでは何もできぬだろう!」
冷たい夜風が、額の傷に優しく触れる。あれほど多くの血を流しながら、洗ってみれば何のことも無い。指先にも満たぬほどの、極めて小さな切り傷でしかなかった。
「何故そこまで他人行儀なのだ! 俺とお前との仲ではないか」
開きかけた口を閉じ、シェフナは杯に口を付ける。乾いた喉を水が潤す。目の奥に微かな痛みを覚え、二本の指で強く目頭を押さえる。ぼやけた視界の中で、青い月が浮かんでいた。
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