南部 三時

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南部 三時

小生(しょうせい)、苗字が南部(なんぶ)、名を三時(みとき)という。産声をあげたのは二ヵ月前の一九四四年五月二五日。第二次世界大戦の、海上を翔ける重巡洋艦【清村(しむら)】の医務室であった。  父である南部勲(なんぶいさお)は清村の艦長を務める男であるが、なにぶん気が触れていたようで、小生を孕んでいた愛人を軍艦内に連れこんで、出産に至る。  小生がもっとも苦労したのは産道を抜けるときであった。いや、本当に苦痛であったのはもっと前の話であるが、受精より以前の小生は、記憶が混濁しているため割愛する。  当時、うつ伏せで寝る母親に嫌気がさして胎盤を蹴飛ばしてしまったのが困難のはじまりだったと記憶している。破水して陣痛を起こしてしまったのだ。急遽下界に向かうこととなった小生は心の準備が毛ほどもできておらず、よりによって足から向かってしまった。  軍医には頭から出るようにと再三の通告を受け、さらに誓約書まで書かされたのであるが、このていたらく。まことに不服の致すところではあるが『赤子ゆえ致し方ないということでここはひとつ、怒りを収めて頂きたい』と産声の次に謝罪を申して、なんとか矛を収めてもらった次第である。  ところが、その謝罪の次に出たのがビチビチの大便と、羞恥心を重ねてしまったことが小生の人生における最大の汚点といえよう。便だけに。  その汚点を嘲るつもりなのか、小生の名をクソにするか三時にするかで艦内の意見が真っ二つにわかれたらしい。結局、僅差で三時(さんじ)に産まれたので三時(みとき)というひねりのなさすぎる直球な名前に軍配があがった。対抗馬がクソであることを考えると、まあ良しとする。  
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