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3話
一夜限りと限定するのはわけがある。壮太は軽度のうつ病故か、人に依存しやすい傾向にある。過去に痛い目に遭ったことがあり、それ以降、恋愛はしないようにしていた。昨日の葵は本当に素敵な人で、多分、ひとめぼれしたのだろうけれど、それ以上のめり込んでしまうと葵にどんどん依存してしまう未来が目に見えて分かるので、この恋ともよくわからない感情はそっと胸の内にしまうことにした。それが最善だと壮太には分かっているのだ。
医療モールから出て隣の薬局へ足を運ぶ。いつもここで薬をもらい、その足で大学へ行くのが二週に一度の壮太の日課だった。九月になったとはいえ、残暑は厳しい。早く涼しい空間に入りたくて、足早に薬局へ入った。いつもの事務のお姉さんが笑顔で出迎えてくれる。処方箋を渡し、イスに腰かけてスマホを見た。講義までは十分に時間がある。大きな試験が一月に控えているので図書館に行って勉強でもした方がいいのだろうが、こう暑いとやる気も起きない。涼むだけ涼んで、気が向いたら勉強すればいいか、など考えを巡らせていると、名前を呼ばれた。今日はいつもより早かったな、と思いながら窓口へ足を運ぶ。刹那、体が硬直した。
「……え?」
窓口にいたのは、白衣を着た葵だった。葵の手元には壮太の薬らしきものとお薬手帳が置いてある。見間違いかと目をこすったけれど、目の前の人物の顔は変わらない。
「中川壮太様、用意できましたよ」
「……はい」
ぎこちなく進み、辺りをきょろきょろと見渡す。幸いにも患者は他になく、スタッフもこちらを見ていない。
「葵さん?」
葵はにこり、と笑顔を見せ、胸元についた名札をちらつかせた。『原 葵』と確かに書いている。ご丁寧にひらがなのフリガナ付きだ。
「なんで、ここに?」
一夜限りと思った男が目の前で白衣を着て薬を渡そうとしているこの状況を壮太は理解できなかった。つまり、葵は薬剤師、壮太は患者ということだ。思いもよらぬ展開に思考が追い付かない。
「最近ね、異動でこの店に配属になったんだ。まさか君がここの患者だなんて思わなかったから、入ってきたときは二度見しちゃったよ」
名前もバレてしまったし、自分の飲んでいる薬もバレた。当然、病名を察することなんて専門家だから容易いだろう。再会できた嬉しさ反面、色々なことを知られているという事実は揺るがないため、どうしようかと動揺を隠せないでいると、葵は慣れた手つきで薬の説明を始めた。が、そんなのもう頭には入ってこなくて、はい、はい、と壮太は適当に相槌を打つだけだ。
「これ、湿布薬は初めてだよね。腰にこうやって貼って、」
勿論腰痛目的で出してもらったなんて葵に言った覚えはない。これはわざとなのだろうか。無言で頷いていると、葵は爽やかイケメンスマイルを浮かべてきた。
「あ、腰、じゃなかった?」
「腰、です」
あなたのせいです、と付け加えたくて仕方なかった。いや、半分は自分がハッスルしすぎたせいかもしれないけれど。
会計を済ませると、葵は薬をビニール袋に入れて手渡してくれた。ちょん、と指が触れただけで心拍数が上昇する。
「お大事にね」
「はい、ありがとうございます」
ぺこり、とお辞儀をして壮太は薬局を出た。なんて心臓に悪いんだろう。今後、ここへ来るたびに葵と顔を合わせることになるなんて。ため息をつきながら袋の中を確認すると、見覚えのない紙切れが入っていた。
「えっ……」
そこには葵の名前とラインのID、困ったことがあったら遠慮なく、の文字が書いてあった。壮太の決意を揺るがす思わぬアイテムの入手に、頭の中で、それを捨てるか否か、大きく揺れていた。本来ならば、一夜限りと決めたのだから捨てるべきなのだけれど。
「本、返さないと……だよな」
ホテルに置き忘れていた本を思い出し、無理矢理自分を納得させて、気付けばラインに登録している自分がいたので意志が弱いなぁ、と溜息をついた。
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