4話

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4話

一日の講義を終え、帰り支度をしながら机の上に置いたスマホを眺めていた。登録はしたが、連絡をするか否か決め兼ねている。本を返すだけ、と自分に言い聞かせてはいるが、そもそも連絡手段を得た瞬間に自分の決意は揺るいでしまうのではないか、と思うのだ。一夜限りと思ったからこそ、普段言わないようなことややらないことをやってしまった。そんな失態を晒した相手と今から仲良くするだなんて、なんだか壮太が気まずい。それに、もしかしたら体だけの関係、いわゆるセフレになってしまうかもしれないと思うと、それは避けたかった。また他人に依存するような生活になるのだけはご免だ。 「そっか、薬局に行けばいいのか」 薬局にいるのだから、薬局に行って、直接本を渡せばいい。単純な話だ。それで本を返すという役割は終わる。わざわざ連絡を取る必要もない。ナイスアイディアだ。壮太はそう考え、家路に向かっていた足を薬局の方向へ向けた。時刻は17時を過ぎている。まだ葵は勤務中のはずだから、行けば会えるはず。さっと渡してさっさと帰ればそこまで仕事の邪魔にもならないだろう。薬局に着くと、深呼吸してから自動ドアをくぐった。が、目の前に広がる光景は朝の穏やかな雰囲気ではなく、患者でごった返している待合室だった。中ではスタッフがバタバタと忙しなく動いている。この時間に来たことがなかったので、まさかここまで多忙だとは予想もしていなかった。 「中川くん、どうしたの?」 振り返ると、患者に薬を渡し終えた葵が立っていた。まさかこのタイミングであの時の忘れ物を届けに来ました、なんて言えない。言い辛い。 「あ……相談に来たんですけど、忙しそうなんで」 「んー、そうだね」 苦笑しながら周りを見る葵を見ると、ここで呼び止めているのすら罪悪感を感じてしまう。早く葵を仕事に戻さなくてはならない。気のせいだろうか、周囲の視線が痛い。 「ら、……ライン、します」 「そうしてもらえると助かるよ。待ってるね」 「はい、失礼します!」 ぺこり、と頭を下げると壮太は慌てて薬局をあとにした。とんでもなく居心地が悪かった。足を止めさせてしまったことも申し訳なかった。今後、用事があるときはこの時間帯は避けることにしよう。しかし。 「言ってしまった……」 壮太は帰り道、項垂れていた。その場の勢いでラインする、なんて宣言してしまった。相談したいなんてことまで言ってしまった。また来ます、とか言えばよかったのに、と後悔する。どうしてこう、日本語が不自由なんだろう。そんなことをぐるぐる考えていたら家に着いた。中に入って部屋へ進み、ベッドにごろん、と横になる。壮太の部屋は四階建てアパートの二階にある。一人暮らしには広めの2LDKだ。壮太はもっと狭くていいと言ったのだが親にもっと広くセキュリティがいいところにするよう言われ、言い合いで負けてしまって妥協案でこのアパートになった。親の勧める物件はもっとお高いアパートだったのでそれよりかは随分よかった。天井を見ながら壮太はため息をついた。 「ライン、どうしよ……」 相談事なんてない。いや、あっても葵に話すような内容ではない。だが連絡すると言った手前、何もしないのはもっと気が引ける。仕方なく、終わったら行くので連絡ください、とだけラインを送り、壮太は目を閉じた。右手にはスマホを握ったままだ。
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