第十八話

1/1
131人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ

第十八話

  最近の病院はセキュリティの概念が大分しっかりしているらしい。  長山第三病院は、沿線上の郊外に位置する比較的大きめの総合病院だった。  設立は新しいらしく、入院患者の面会に関してもマニュアルが徹底されているようだ。東雲の友人だと名乗ったところで「ご家族かお知り合いの方にお問い合わせください」とあっさり門前払いを食らった。  そもそも、睦月から聞いたのは病院名だけで、そこに東雲が入院しているのか、単に通院しているだけなのか、それすら分からない。  我ながら、無謀と言うか勇み足というか...。    「未咲くん?」  反省しつつ、エントランスから表に出ようとしたところで、女性の声によって呼び止められた。  知り合いなんか居たかなと思いつつ振り向いた瞬間、予備動作無しに過去がどっと雪崩れ込んでくる。  ――東雲のお母さんだ。  サボりや校外での悪さを重ねていた俺と東雲の親は、よく学校から呼び出されていた。  偏差値は中の下くらいで、授業料がそこそこ高い私立校に集まる生徒達は、良い意味で競争心や反骨精神に乏しく、校内の雰囲気は穏やかなものだった。三者面談でも無い限り、普通の親は滅多に学校に来る事なんて無い。   そんな中、俺達二人に限っては、しょっちゅうお互いの親を見る破目に陥っていた。  「おばさん、あの...なんで――」  「看護師さんから聞いて、追いかけてきたの。背が高くてイケメンの子が来たって。病院の規則上お断りしたけど、多分聖の友達じゃないかって言われて」  軽く息を切らしながら微笑むおばさんは、あの頃から大分やつれてしまってはいたが、垂れ目がちで人たらしな東雲の面影を変わらず残していた。  「久しぶりね、未咲くん。また背伸びた?少し痩せた?聖は、結局全然身長伸びなかったから――」  一方的に捲し立てられる間、懸命に頭の中で状況を整理しようとするが、どうにも上手く行かない。  東雲が突然姿を消した後、俺は勿論、東雲の家も訪ねていた。しかし、何度行っても中には誰も居なくて、数週間した後に再度訪れた時には、家は引き払われた後だった。  それが何故――。  「おばさん、東雲は何処なんですか?なんで病院?」  碌に挨拶を返す余裕も無く、問い質してしまう。  ――身長が伸びなかったって何だよ。何で過去形で東雲を語る?   「ねぇ、俺に黙って、なんで東雲は居なくなったんですか?”あのこと”が原因なら、当事者の俺に説明くらい――」  掴み掛からんばかりの勢いに、観念した様におばさんが顔を上げた。  「聖からのお願いだったから、未咲くんには伝えなかったの。だけど、このタイミングで来てくれたって事は、聖が最期にあなたに会いたくなっちゃったのかもしれないわね」  「え...?]  目の前の光景をにわかに信じる事ができなかった。  二年ぶりに会った東雲は、喉に開けられた穴から人工呼吸器に繋がれ、穏やかにその瞳を閉じていた。  茶色がちなフワフワのくせ毛も、小柄で華奢な体躯も、本人が気にしていた厚めの唇も、何も変わってはいない。時を止めてしまったかの如く、俺が知っているあの頃の東雲だ。  それはまるで、寝息の代わりに繰り返される人工呼吸器の規則的な音が、東雲を凍結させてしまったかの様に思えた。    「学校の近くに、そんなに古くない廃ビルがあったでしょ」  呆然と佇む俺の隣で、おばさんが話し始める。  全身が冷たくなり、止まらない震えの中でその声に耳を傾ける。  「聖ね、飛び降りたの。五階建ての屋上だから、そこまで高い所じゃなかったんだけど、打ち所が悪かったのね。たまたま見つけてくれた人が救急車呼んでくれたんだけど、命は助かったものの、脳の損傷が激しくて。それから、聖は一度も目を覚まさないまま、今日まで来てしまった」  「飛び降りたって...」  「分からないの。聖が自分の意思で飛び降りたのか、誰かに何かされたのか。警察でも色々と調べてたみたいだけど、結局、何が起こったのかは不明のままだった」  青山と六本木の間の路地にある、その廃ビルは知っていた。確か、もう解体されて新しい建物に変わっている筈だが、東雲がたまにそこに出入りしていたのを思い出す。  俺とほぼ行動を共にしていた東雲だが、たまに俺に黙って妙な奴らと遊んでいる事があった。相手の連中は、俺が東雲と出会うより前からの付き合いらしく、何となく彼らとの交流に口を挟みにくい空気があった。  「けどね、本当は私、見つけてたのよ。聖の手紙」  「え?」  「それが、遺書だとは認めたく無くて、聖の死が自殺と断定されてしまいそうで、警察にも黙ってた」  「手紙には...なんて」  声の震えを止められない。  おばさんは、ひとつ深く息を吸い込み、「決して未咲くんのせいじゃないからね」と前置きした。  「”未咲、ゴメンね”って、それだけ」  静かな部屋に人工呼吸器とモニターの音だけが規則的に響く。  俺は、東雲の残した言葉を胸の中で反芻しながら、崩れ落ちそうな自分の身体を必死に支えていた。    
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!