第二十四話

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第二十四話

 ***  「その写真さぁ...ゴメン。俺、見たわ」  四本目の煙草をパッケージから引き抜きながら、コタさんは事も無げに言った。  「まじっすかー。まぁ、あんな面白いモン、誰かネットに上げますよね。俺、当時は怖くてエゴサ出来なかったんで」  「怖くなくても、エゴサしてる未咲くんって思い浮かばない」  「確かに。俺、SNSとかあんまやんないしな」  こうして口に出してしまうと、案外、自分の身に起きた事件も大した事では無い様に思えた。  引き籠って、当時の交友関係を全て絶った結果、俺は自分の中で凝り固まった何かを増幅させ過ぎでしまったのかもしれない。  「あの写真さ、ネットで結構高く売れてたんだよ」  「あんなんが?」  「未咲くん、エロいし綺麗だからさ」  「なんですか、それ」  「だよな」と、コタさんが何故か照れた様に笑う。  「出来る限りだけど、俺の方で買い占めて処分しといた。あ、変な意味じゃないよ。あの部屋の写真だったから、後々面倒な事にならないようにね」  ――そんな事をしてくれていたのか。  川本さんが言っていた通りだ。  当時の記憶を封印して以来、俺は二年間、自分の中の時を止めてしまっていた。けれど、その間、外の時間は確実に動いていたのだ。  「スイマセン、本当に迷惑かけました」  逃げ続けていた事への謝罪など、今更してもどうにもならない。が、今の俺には、ここから向き合う以外の選択肢は無い様な気がした。  思えば、ここまで俺を連れて来てくれたのは、睦月なのかもしれない。  アイツの事を知りたくて動き出した癖に、実際、分かっていくのは俺の事ばかりなのだから。    「直球だけど、東雲君は何で死のうとしたんだろうね」  本当に直球な疑問をコタさんはフラットに口にした。  東雲が残した言葉。あれはやはり遺書だったのだろうか。俺宛ではない、だけど、俺に向けられた東雲の心の叫びが心臓にじんわりと歯を立てる。  「俺...全然知らなくて......」  この病院に来て以来、初めて泣いた。東雲が姿を消した時も、涙なんかで無かったのに。  いや、あの頃は泣き方が分からなかったのだ。何に対して泣いたらいいのか、俺は考えようとさえしなかった。  再会した東雲はあまりに遠くなっていて、現実感を持つ事が出来ない。  しかし、夢の中やコタさんとの会話の中に東雲は存在し、俺の記憶の中で生きた像を結ぶ。その生きた東雲が、死に向かって遠のいていく。  ”未咲、ゴメンね”  屋上でも聞いた、あの言葉。  東雲は、何を持って行こうとしているのだろう。最後まで、肝心な事だけは何も説明せずに。  「俺、東雲の事、よく分かんないし...正直、今も何でこうなってんのか分かんないです」  コタさんは、啜り上げる俺を気遣いながらも、ふと何かに想いを馳せる様に遠くを見た。  「未咲くんさ、あの子とはどうなってたの?」  「...あの子?」  「いつになく未咲君から入れあげてた印象があったし、凄い大事そうにしてたから。噂で聞いたけど、残念だったよね」  俺は心底何のことだか分からずに、コタさんをボンヤリと見つめてしまう。  「未咲くん...覚えてないの?」  「覚えてないって、何がですか?」  「あの子だよ。えーと...名前、何て言ったかな」  ――あの子?残念だった?あの子って誰だ。  不安と焦燥が足元からズルリと這い上がる。何か、とても大切な事を忘れているような。    「ああ、そうだ。思い出した」  ――やめてくれ。  コタさんが口にする次の言葉を聞きたくないと、俺の全身が拒否しているのが分かる。  ――お願いだから、その名前を言わないで。  なのに、心の奥のところでは、その記憶を強く追い求める。  「そうだ。確か...佐東 睦月って子」  ”ねぇ、未咲。その子を好きにならないで――――”  コタさんの言葉と東雲の叫びが、頭の中で交差して弾ける。  途端に、激しい痛みが頭の芯を光の様に貫いた。  「うあぁぁッッッ」  頭を押さえて蹲る俺に、驚いてコタさんが走り寄る。  「未咲くんッッ」  真っ暗になる視界の向こうに、切り取られた映像がフラッシュの様に次々と浮かび上がる。  クラブの片隅で、ぽつんと所在なく佇む睦月。  嬉しそうに大好きなコロッケを頬張る睦月。  誰も居ない深夜のバス停で、一人泣きながらベンチに座り込んでいた睦月。  ――そうだ。睦月は居たんだ。  なのに、どうして...。  『お願いだから何か言ってくれよ、睦月。俺が何かしたなら謝るから』  『違う...。未咲は何も悪くないッ』  『だったらッ』  『触るなッッ!!!』  夢で見たシーンが鮮やかに蘇る。  ああ、そうだ。そうだよ。  あれは、睦月だ。  地面に打ち付けられて、割れて飛び散った文字盤。  多野倉が睦月に送ったのと同じ、俺のあの時計だ...。  そして、暗くなる視界と共に映像は闇へと吸い込まれていった。  次に目覚めたのは、東雲の病室だった。  家族用の簡易ベッドに寝かされ、隣では呼吸器と点滴に縛られた東雲が眠っていた。  外は相変わらずの雨で、夕方近くなって窓の向こうは更に暗さを増している。  「未咲くん、大丈夫?」  心配そうに覗き込むおばさんに詫びを入れながら、経緯を確認する。  「未咲くん、喫煙室で急に倒れたって聞いて。たまにお見舞いに来てくださる琥太郎さんが、病院の人を呼んでくれたみたい。幸い何でもなかったみたいよ。疲れとかストレスが溜まってるんじゃないかって」  「あ...コタさんは?」  「仕事があるからって。すごく心配そうにしてたけど」  ”仕事”というワードに触発された、スマホで時間を確認する。  ”17:58”  ――今日は、店に行こう。いい加減、休み過ぎだ。  簡易ベッドから起き上がり、掛けて貰っていた毛布を簡単にたたむ。    「おばさん、迷惑かけちゃって御免なさい。俺も仕事があるんで、また来ます」  東雲の様子を確認して病室を出ようとするも、「未咲くん」と呼び止められる。  「聖ね、さっき脳死判定がおりたの」  背中に浴びせられたその言葉が、俺の脚を凍り付いた様に動かなくする。  「心臓も大分弱ってるから、もう、そんなに持たないみたい」  「......」  「だから、これが最後になるかもしれないけど...会いに来てくれて有難う。聖...喜んでたと思う」  最後の方は涙でかき消されるおばさんの声を聞きながら、振り向いて東雲に別れを告げる勇気を、俺はどうしても持つ事が出来なかった。    
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