第二十六話

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第二十六話

 閉店後、店の片づけをしながら、笹倉さんにさっきの助け舟の礼を言う。  「俺も詳しい事とかは良く分かんないけど、その幽霊の話が持ち上がってからじゃない?未咲くんの調子がおかしくなったのってさ。だからもう、関わりを持つのは止めた方がいいって」  東雲に写真をバラ撒かれて以来、家から出られなくなった俺の生活を救ってくれたのが笹倉さんだ。  事情が事情なだけに、引き籠り状態になった俺に対して学校側も強く登校を進めてくる事は無かった。  名誉が優先される西之家の性質上、表向きは入院による長期療養となっていたが、休学中に留年が確定した時点で俺は自主的に退学届けを出した。その頃はもう、家族は俺に対する期待を一ミリも持っていなかったから、何ら説得される事も引き止められる事もなかった。  医大生だった兄貴は実家から大学に通い、遊ぶ事もなく黙々と勉強に励んでいた。小遣いも十分に与えられてた筈なのに、全くトチ狂っているとしか思えない。  実家はそれなりの平米数があるが、男兄弟が長時間同じ空間に居ると何らかの鬱屈は溜まっていく。次第に兄貴と揉める事が多くなり、家に居づらくなった俺は、一人暮らしをする事になった。  見栄っ張りな母親が当面の生活費を振り込んでくれたが、「流石にないな」と思い、自分の食い扶持くらいは自分で稼ぐ事にした。  笹倉さんの店では、高校入学当初から助っ人程度でバイトさせて貰う事があった。その頃は歳を胡麻化していたが、改めて働かせて欲しいとお願いした時、俺は自身の事情をあらかた打ち明けた。  笹倉さんは「そっかー。若いのに、なかなかパワフルな人生だね」と言っただけで、あっさりと俺を雇ってくれたのだった。  長くなったが、そんなこんなで笹倉さんには頭が上がらないと言うか、逆らった事など無かった。  だが、今回ばかりは彼の心配を押し切ってまで、睦月に関わるのを止められない。  「何かあったら、俺でも草太でもいいから連絡するんだよ」という有難い言葉に頭を下げながらも、俺は結局、睦月に会いに行く。  「未咲、もう来ないかと思った」  今日もポツンと碧く光る睦月は、俺の姿を認めると悲し気に笑った。  「お前さ、この世の果てみたいな顔しながら、そんな事言うなよ」  「しょうがないじゃん、僕、地縛霊なんだから。この世の果てみたいな顔くらいするよ」  「...そうだな」  困った様なハの字の柔らかい眉毛の下で、緑がかった瞳の色が小さく震えている。  ――ああ、今日も綺麗だな。  焦がれる様に、白く透き通る睦月のその頬に触れる。そしてその薄く柔らかな唇に優しくキスをした。  「――!!」  触れられて驚いた睦月が、小さく跳ねる様に身体を離す。  「未咲、なんで!?」  「...なんとなく、今ならお前に触れられる様な気がした」  動揺して説明を求める睦月の身体を引き寄せ、そのまま強く抱きしめる。  心臓は動いてはいないが、その体温や柔らかい髪の感触が触れた手の先から質感を持って伝わる。  これは、睦月が生きていた頃の情報だ。俺が思い出す事で蘇らせた生前の睦月の実態だ。  Tシャツがじんわりと温かくなり、胸に顔を埋める睦月が静かに泣いてるのが分かる。  「未咲、僕の事思い出したの?」  「全部じゃないけどな」  「怒ってる?」  「何で怒るんだよ」  俯く睦月の顔を上げさせて、その頬を流れる涙を舌で舐め上げる。  「すげーな」  「なにが?」  「幽霊のくせにちゃんと、しょっぱい」  「...失礼だよ」  むくれる睦月の薄い唇を、今度は強く吸う。  強張る睦月が次第に溶けるみたいに開いていく。  触れ合う舌は温かく、流れる唾液は甘くたおやかで、俺はその全てを余すことなく受け入れて飲み下す。  高揚する頬も荒くなる息も、目の前の睦月はこんなにリアルなのに生きてはいない。その事が不思議なのか悲しいのか分からないまま、ただただその細い身体を抱き寄せた。    「なぁ、お前...何で死んだの?」  腕の中で睦月がビクリと身体を震わせた。  「何で、制服着てんの?何で、この場所に居んの?」  質問から逃れようと、睦月がその小さな手で俺の胸を押し返す。  「答えたくない?」  「違う...。答えられないんだ」  「どうして?」  「神さまと約束したから」  言って、睦月は不安気に俺の目を覗き込んだ。まるで「信じて無いでしょ」とでも言いたげに。  この瞬間、俺はもう一つの事実を思い出した。  ――そうだ。一見、クールに見える睦月は、こんな風にコロコロと表情を変える奴だった。そして、幽霊として出会ったばかりの夜に見せたみたいに、笑うと一気に幼く途轍もなく可愛くなるのだ。  「神さまとの約束は破っちゃダメなの?」  「約束は神さまとじゃなくても破っちゃダメでしょ」  あまりに正当な睦月の言い分に、俺は思わず口を噤む。  そして、真相を描くパズルの重要なピースを握るのが神さまだというファンタジーに、内心笑ってしまう。まぁ、幽霊を目の前にしながら、頭ごなしに神さまをファンタジーで片付けるのもどうかしているが。    「...未咲は、何でそんなに僕の事が知りたいの?」  「お前を独りにしたくないからだよ。俺が睦月の事を思い出す事で、こうして触れる事が出来ただろ」  「けど、思い出す事で辛い気持ちにもなったでしょ」  「東雲の事?」  返事の代わりに、睦月は唇を噛んで項垂れた。  「傷にすんな」噛み締めた唇を親指でなぞり、睦月の強張りを取ってやる。  「俺はさ、最初に幽霊のお前を見た時、一目惚れだと思ったんだよ」  「......」  「けど、違った。俺は生前のお前に会っていた。そして、どうしようもなく、お前の事を愛していたんだと思う。多分、その強い思いに引寄せられたんだ」  顔を赤くした睦月が、恥ずかしそうに目を逸らす。  「いや、ぶっちゃけてる俺の方が、大分恥っずいからな」  「分かってる。ゴメン」  「自信があるんだよ、俺は何があっても睦月が最優先だ。だから、東雲の事も、一緒に背負っていたいんだ」  長い沈黙の後、涙が再び睦月の長い睫毛を濡らした。そして、絞り出す様に俺に訴える。  「駄目だよ、未咲...」  「なんでだよ」  「僕と世界を合わせ過ぎるのは危険だ。未咲が帰れなくなっちゃう」  「帰るって何処に?」  「生きてる方」  何となく、そんな気がしてはいた。ここ数日間の身体の重さや、沼の様な眠り。  けれど、不思議な程、狼狽える気持ちは湧いて来なかった。  「言ったろ、お前が最優先だ」  今度は、声を上げて泣く睦月を抱きしめ、あやす様に背中をポンポンと叩く。  「それと、後は俺の欲望」  「欲望?」  泣きじゃくりながら、睦月が不思議そうに顔を上げる。  「やっぱ俺、睦月とセックスしたい」  赤く泣き腫らした顔を更に赤くしながら、睦月は俺の頬をギュッと抓った。  
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