第二十七話

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第二十七話

 「未咲、手を握って」  唐突に、睦月がその白く細い手を差し出した。握ると、それはしっとりと滲む様に温かかった。  「お前、死んでるのに、体温あるみたいだな」  「僕に体温がある訳じゃない。未咲がコッチ側に来てるからだよ」  「そっか...」  握った手が引き寄せられ、睦月に促されるままに身体を屈ませる。俺と目線を併せた睦月が、その薄い唇から濡れた赤い舌を覗かせた。  エロいな、と思わず見惚れたその舌が、徐に俺の瞼と睫毛の間に差し込まれる。  「未咲、怖がらないで目を開けて」  指を絡めながら手を繋ぎ直すと、睦月は唾液に浸された自身の舌で、俺の右側の眼球をズルリと舐めあげた。  ――!!  鳩尾から脳天に向かって細い針金で突き刺される感覚があり、直後、目の前に広がる白い光に全身を飲み込まれていく。  「...睦月、何これ?俺...死ぬの?」  「死なないよ、まだね。ちょっとだけ、僕の見ていた風景を分けてあげたくなったんだ。きっと繋がるよ、未咲が頑張って追いかけて来てくれた僕と」  それしか頼りが無いかの様に、俺は睦月の手を強く握る。  全身を包んでいた白い光は、やがて霧を散らす様に背景に溶けると、そこには見慣れた景色が広がっていた。  「これ...」  「そう、僕らがいつも会う高架下の側のロータリーだよ。三路線あるバス停のベンチのところだ」  「......」  「未咲、思い出した?」  「俺達、ここで会ってたのか?」  「そう。未咲が僕を迎えに来てくれた場所」  ***  ――二年前    「終バス、もう行っちゃったでしょ」  深夜二十五時過ぎ。ベッドタウンであるこの駅から更に奥地へ向かうバスは、割と遅い時間まで走っている。が、流石にこの時間には運転を終了しているのは明白だ。にも関わらず、高校生らしき男の子が蹲るようにして、ポツンとベンチに腰掛けていた。  声をかけると、男は破棄の無い動作でゆるゆると顔を上げ、そして一瞬驚いた様に目を見開いた。  ――うわ、顔、ど真ん中じゃん。  モロ俺好みの顔をしたこの男は、声かけに応じる様子もなく再び俯いてしまった。  ――つか、泣いてる?しかも、何で制服ボロボロなんだよ。  今日は真面目に学校に行ったので、一旦家に戻って着替えてからクラブに向かう事にした。その際、ちょっと仮眠と思ったのが間違いで、俺は、まんまと東雲との約束の時間を大幅に寝過ごした。  ここ、地元の駅のロータリーでタクシーを拾って向かったとして、青山まで四十分程度はかかる。東雲からは『早く来いッ』のメッセージが連打され、既に累計十件以上に及ぶ。  そんな訳で、俺は非常に急がなくてはならない状況なのだが、捨て猫みたいに背中を丸めて俯くこの男を放って行く事ができなかった。  「こんな時間にどうしたの?」  声をかけるも、返事は返ってこない。まぁ、雰囲気的にそんな気はしてたが。  「君、可愛いからさ。こんな所に一人で居たら、襲われちゃうよ」  ”襲われちゃうよ”を言い終わる前に、糸の解れた制服の肩がピクリと小さく跳ねた。  「あのさ――」  脇の車道を走り抜ける車のライトに照らされた男の姿を見て、俺は重ねようとした言葉を飲み込む。  くしゃくしゃになった制服のシャツの首元に散る赤黒い痣、捲った袖から細く伸びる腕に残る拘束の痕、サラサラであろう髪は所々固まって束を作り、白く粉を吹いていた。  「お前、誰かに襲われたの?」  かれこれ二時間近く経っただろうか。東雲からのメッセージは三十件を超えた辺りで、見切りを付けた様に止まった。  俺たちは、コンビニで調達してきた紅茶のペットボトルを片手に、人気の無い深夜のバス停のベンチで寄り添うように座る。  「...怪我とか、へーき?...じゃない、よな」  かけてやれる言葉がさっぱり浮かばず、俺は無益な問いかけを繰り返す。が、男は気を悪くするでも無く、「うん」とか「はぁ」とか言いながら、小さく頷く事を繰り返している。    制服の下から覗く身体の様子からして、複数人に襲われた形跡が伺える。  そんな状況で、更にこんな見知らぬ――しかも自分より体格の良い男が隣に居て怖くは無いのだろうか。まぁ、自分からちょっかい出しておいて何なのだが。  「お前さ、俺の事、怖くないの?」  思わず問いかけると、男は初めてまともに俺の目をじっと見た。  緑がかったその大きな瞳が更に大きく見開かれ、夜の闇に際立つ白い肌は、紅潮するピンク色の頬を美しく映し出す。  「僕...あなたの事、知ってるから」  「え?」  この男が自分の事を知っているという事実より、その高く掠れた声が俺の心臓を大きく震わせた。    「みさき...」  「え、あ、うん。そう。未来の未に花が咲くの咲くで未咲」  字面なんか別にどうでもいいじゃんと思いながら、半ばテンパって言葉を繋ぐ。  「あなたの事、クラブで見かけて...」  「あ、MIX?今日も行く筈だったんだけど。あ、今から行く...わけないよね、その恰好で――」  失言に口を抑えるが、もう遅い。  「僕...すいません。こんな...恥ずかしくて」  羞恥心に顔を赤らめながら、涙声と共に身体が小刻みに震えている。否定してやりたいが、言うべき言葉が何も浮かばない。  反射的に、俺は、男の薄い肩を抱き寄せる。  ――いやいや、この状況でほぼ赤の他人の俺に触れられるとか、恐怖しかないでしょ。  頭では分かっていても、本能的で身体が先に動いてしまう。俺に、こんな庇護欲があったのだろうか。  しかし、予想に反して、男は俺の腕の中にその身体を預けてきた。  「ごめんなさい。僕...こんなに汚いのに」  心臓をわし掴みにされた様な痛みが走る。  「汚くないし、俺が守ってやるから」  ”お前、誰だよ”とツッコミを入れたくなる台詞を、俺は堂々と吐いた。  後から思えば、これは俺の庇護欲でも勘違いでも無く、ここまで俺達を運んできた絆の為せる技だったのかもしれない。運命なんて信じたりはしないが。  「名前、何ていうの?」  腕の中の大切な宝物に向かって、今更の様に尋ねる。  「佐東、――佐東 睦月」    
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