第二十八話

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第二十八話

 ***  ロータリーの風景が途切れ、気が付くと元の白い光に包まれていた。  何故か、全身の力が抜けて起き上がる事が出来ない。  俺は、いつの間にか睦月に膝枕される形で、光の中に身体を横たえていた。決して柔らかくは無いが、細くて繊細な筋肉が頬に心地よく馴染む。  握っていた手を唇に近付けると、睦月が俺の中指と薬指を舌で舐め上げる。唾液を伴った熱い舌が、互いに絡め合った指の付け根に触れる度、身体に小さな電気が走る。  「...睦月、それ股間にくるから勘弁してくれ」  「未咲の指、長いね。節がゴツくて、やらしい」  「人の手、やらしいって、お前...」  柄にもなく照れて離れようとすると、思いのほか強い力で睦月が手を握り込んできた。  ――!?  「駄目だよ、未咲。ここで手を離したら、放り出されちゃうよ」  「放り出されるって何処に?」  「ここは未咲が生きている世界でも、死後の世界でも無い。所謂、時空の隙間みたいな場所なんだ。僕みたいな地縛霊は、生と死のレイヤーみたいなところに閉じ込められてるから、外側からこうして過去の生の世界を眺める事が出来る。けど、未咲は未だ半分生きてるから、僕の手を離したら空間の力に押し流されて、何処に飛ばされるか分からないよ」  「ゴメン。ちょっと、何言ってるか分かんないわ」  「だよね」  睦月は困った様に笑うと「分かんなくてもいいけど、危険だから絶対に離さないでね」と言って、再びしっかりと手を握りしめてきた。  「あの時、未咲は僕を守るって言ってくれたけど、やっぱり恥ずかしくて先輩にレイプされてる事は言えなかった。それが、後々こんな取り返しの付かない事態を引き起こすとは思わなかったんだけどね」  ――アイツか...。パシリの田口から聞き出した、睦月を一方的に好きで一方的に犯しやがった先輩とやらだ。思い出すと腹の奥にどす黒いものが溜まっていくが、奇しくも、幽霊の睦月と会話できる切っ掛けを作った奴でもある。  「お前の事調べてるうちに分かった。けど、生きてる時に相談してくれてたら...」  「ほんと、そうだよね。けどね、あの頃の僕は未咲が傍にいてくれるだけで良かったんだ。ドン引きされたり、負担をかけたりしたくなかったんだよ」  「そんな...」  睦月の柔らかい唇がそっと額に触れる。  「そんなこんなで、学校は結構キツかった。だからって訳じゃないけど、僕のキャラじゃないのにクラブ行ったりしてみてさ。友達いないし、全然つまらなかったけど、そこに未咲が居た。カッコイイなぁって思ってたら、地元の駅が一緒でビックリした」  「ああ、それでクラブで見かけたって」  「そう。それで、未咲の事を観察する様になって。だから、僕、川本さん責められないんだよね。同類じゃんって」   睦月は遠くの時間に想いを馳せる様に、眩しく細めた目でぼんやりと宙を見つめる。その先に同じ物を見るように、俺もその目線の先を追ってしまう。  「ちょっとした事でも、未咲を知れるのは嬉しかったよ。僕の学校は地元でチャリ通だったけど、未咲の学校は都心にあって、それも何か似合ってるなって思った。けど、未咲はあんまり真面目に学校行ってなくって。昼前に授業抜け出して駅の方に行くと、のんびり電車に乗る未咲を見る事が出来た」  「あー...大抵、午後から授業出てたしな」  睦月の唇が、額から頬にかけてゆっくりと滑る。  こうして触れ合っていられるのが、本当に夢みたいだ。あの頃の俺は、どんな風に睦月に触れて、どんな風に愛していたのだろうか。  「未咲ってば、寝ぐせとか全然気にしないし。シャツの裾がいっつもだらしなく出ててさ。カッコイイのに可愛くて、見てるだけで幸せな気持ちになったんだ」  「声、かけてくれたら良かったのに」  「勇気が出なかった。だから、あのバス停で僕を見つけてくれて嬉しかったんだ」  ――そうか。高架下で幽霊の睦月を見つけたのが最初かと思っていたけれど、それよりずっと以前に、俺は睦月を見つけていたんだ。  「それからは、クラブに行くと未咲から声をかけてくれるようになった。嬉しかったよ、凄く。けど、未咲の側にはいっつも東雲が居たからさ。僕は、それ以上を未咲の求めるつもりなんか無かったのにね」  「なんで、そんな、罪悪感たっぷりな顔すんだよ。お前のせいじゃないだろ?」  睦月は「ありがとう」と言うと小さく言うと、再びその熱い舌で俺の眼球をゆっくりと転がす様に舐めた。  「未咲、僕を嫌いにならないで」  そうして、俺はまた二年前の過去に滑り落ちていった。  ***  「睦月、来てたんだ!」  夜中のバス停で見つけた、捨て猫みたいな綺麗な男。あの時、まるで何かの引力に引き寄せられる様に、俺は睦月を抱きしめてしまった。  そして、今日もクラブの人いきれの中、小柄な睦月を目ざとく捉える俺が居る。  「未咲」  俺の姿を認めて、睦月の表情がホッとした様に和らぐのが分かる。小動物みたいなその反応に、思わず心臓が小さく跳ねた。  「お前、怪我治ったの?」  「大分いいよ。あの時は、ありがとう」  「別に。俺、何もしてないし」  睦月が俯きながら小さく首を振る。  「僕、嬉しかったよ。最近、どこにも居場所が無かったから、未咲に声かけてもらって――」  「――もらって?」  「正直、舞い上がった」  恥ずかしそうに笑う睦月を抱きしめたくなる衝動を、辛うじて抑える。が、ちょっとくらいならと頬に触れようとした瞬間、睦月が脅えた様に後ずさった。  「何もしないよ」  「違くて...」睦月が俺の背後を上目づかいにチラリと見るのが分かる。  振り向くと、東雲がむっつりと黙ったまま、こちらを激しく睨みつけていた。  「東雲、こえーよ。睦月、ビビッてんじゃん」  「何ソイツ。てか、未咲、いつの間にそんなのと仲良くなってんの?」  「別に...地元の駅がたまたま一緒だったんだよ。一人でここ来てるし、声かけるくらいいいじゃん」  俺と東雲が言い争いを始めると、睦月は「ゴメンなさい」と言って、フロアからバーカウンターの方に逃げて行ってしまった。  「睦月ッッ」  呼び止めようと手を伸ばす俺を、東雲が引き留める。  「未咲、放っておきなよ」  「けど、アイツ慣れてないし。何かあったら――」  「何もないよッ。その辺の奴に持ち帰られて、勝手に楽しむんだろ」  「適当な事、言ってんじゃねぇよッッ」  頭に血が上り、反射的に俺は東雲の手を強く振り払った。加減が出来ずに指先が甲を引っ搔いてしまい、東雲が赤くなった自身の手をじっと見つめる。  謝ろうとした瞬間、ブチ切れた東雲から力一杯に頬を打たれ、不覚にも床に尻もちを付く。不穏な空気をまき散らしている俺達を囲む様に、フロアに人垣ができる。  「帰るぞ」  立ち上がって、エントランスに向かおうとする俺の手を、東雲が再び強く引っ張った。  「お前ッ、いい加減にしろよッッ」  俺の抗議が一切聞こえないかの様に、東雲は無言で人垣を掻き分けてフロアを突っ切る。抵抗するが、尋常じゃない力で手首に指が食い込んでいく。  実際、一発ぶん殴って振りほどく事も出来たが、こうなった東雲は何をしでかすか分からない。一年近くの付き合いで、俺は東雲の薄暗い執着心を十分に理解していた。  投げ出される様にトイレの個室に押し込められ、便器に腰を打ち付ける。  後ろ手に鍵を閉める東雲の股間は、既に膨れ上がってギチギチに固くなっていた。  「ソレ、勃ち過ぎだろ」  呆れと諦めがない交ぜになった気持ちで、息を荒げる東雲を見つめる。  「未咲のせいだよ」  打たれた時に切れた唇から流れる血を、東雲の舌が吸い取る様にベロりと舐める。  シャツのボタンが外され、舌が首筋から胸に下っていく。  「んっ......」  声を抑える俺を試す様に、東雲の舌が更に下腹部まで落ち、ガチャガチャと乱暴にベルトが外される。  「ねぇ、未咲。こんなにセックスしてるのに、何で俺の中は埋まんないの?」  咥えられながら、妙に冴えた俺の頭はその答えを容易に導き出す。  ――それはさ、東雲が別に俺の事を好きじゃないからだよ。  なのに、俺の口から出た言葉は別の言葉だった。あの時、本当の事を言うべきだったのか。今となっては良く分からないけれど。  「なぁ、もう止めないか?お前の言う仕返しってヤツ」  俺の股間に顔を埋めながら自身を扱く東雲の耳に、その声が届く気配は無かった。    
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