第二十九話

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第二十九話

 クラブでの一件以来、東雲との関係はギクシャクしていた。  まぁ、元々しっくり行ってるかと言われれば、決してそんな事もなかったのだが。  ただ、最近のセックスは、ちょっとした抗争さながらの凶暴さを伴っていて、愛し合いたいのか喧嘩したいのか、何だかよく分からなくなっていた。  身体から何かを出す行為は普通に気持ちが良い。けど、単にそれだけだ。  その頃の俺は、兎に角いつも疲れていた様な気がする。  「未咲、大丈夫?」  また、ボーっとしたいたらしい。  気が付くと、隣に居る睦月が心配そうに俺を見上げていた。  別に隠れてコソコソ付き合ってるというつもりは無かったが、睦月と会うのはクラブではなく、もっぱら地元の駅の周辺になった。  会うと言っても、特にどこへ行くという訳でも無い。バス停が見渡せる高架下辺りで待ち合わせして、そこら辺をブラついたり、ファストフード店でお茶したりする程度だ。  しかし、心のときめきをショートカットしてセフレと遊ぶだけだった俺にとっては、全てが新鮮だった。  今日も、こうして公園のベンチに並んで座っているだけで幸せな気持ちになれる。    「ゴメン、ちょっとボケっとしてた。大丈夫」  言って、睦月の柔らかい頬を指で撫でる。顔を赤らめて俯く仕草が可愛くて、思わず額にキスをしてしまう。  「未咲、ダメだよ」  「なんで?」  「東雲が怒るよ...」  「分かってる」  言葉とは裏腹に、そのまま睦月の小さく尖った顎を持ち上げ、唇を重ねる。  下唇を優しく噛んだ瞬間、吐息と共に小さく開いた歯の隙間から舌を差し入れる。  最初、固くしていた身体から次第に力が抜け落ち、腕の中で睦月がとろけていくのが分かった。  「睦月、きもちい?」  返事の代わりに、背中に回された小さな手が俺のシャツをギュと握った。  ――もうこのままホテルに連れ込んで、引ん剥いて、メチャクチャにして、あんあん喘がせたい。  と、いう生々しい性欲を理性で抑えながら、もう一度その細い体を強く抱きしめる。  「未咲、聞いていい?」  「いいよ。なに?」  「――東雲が、好き?」  「...アイツの事は、どうしたって恋人じゃなく、同士みたいにしか見らんなくて。それでも、大事にしてたんだ。けど、やっぱ上手くいかなくて。睦月の事、こんな好きになっちゃうし――」  再び頬に触れようとする俺の手を、睦月が俯いて避ける。伏せられた睫毛が小さく震えている。  「ゴメンね、未咲。僕が欲張ったから」  「違う、睦月のせいじゃない。俺、ちゃんとしたいんだ。けど、東雲がすげー不安定で。正直、どうしたらいいのか分かんなくって」  「未咲は、独りぼっちの人を放っておけないんだね。あの夜中のバス停で僕を見つけてくれたみたいに」  「俺、別にそんな優しくないよ...。自分勝手で、だらしないし」  膝の上で握りしめた拳の上に、睦月の手が優しく触れる。  「未咲は優しいよ。だから、独りの人を引き寄せちゃう」  「違うッ」  思わず強い言葉が出て、睦月の手がビクリと震える。  「あ、ゴメン」  「ううん。僕の方こそ、知った風な事言っちゃってゴメン」  「...違うんだ。優しさとか同情とかで、睦月と一緒に居るわけじゃない。お前を独りにしないのは、俺じゃなきゃ絶対に嫌なんだ」  俺の訳の分からない主張に、睦月は泣き笑いみたいな顔で小さく頷いた。  ***  「そう言えば、そんな事言ってたな、俺」  二年前から引き戻され、再び俺は幽霊になった睦月の膝の上で目を覚ます。  「ひどいなぁ、忘れてるなんて。まぁ、僕が消したんだけどね」  「それって、俺の記憶が飛んでる事に関係ある?睦月が何かしたのか?」  「何かしたかはさておき、こうして未咲に少しずつ記憶を返してるじゃない」  聞きたい事は山ほどあったが、それ以上に封印されていた情報の洪水が俺を翻弄する。ここまで自身で探ってきた睦月の過去を、睦月の目線で解説されている様な。  「けど、やっぱりあの頃の僕は、少し欲張りになってたんだと思う。未咲が何日も駅に現れなくなって、ちょっとパニクった。メッセージを入れると返ってはくるんだけど、”心配するな”としか言って貰えなくて」  ――そうだ。ちょうど東雲の依存が酷くなり、監禁まがいの状態にされていた時期だ。  「あの頃俺、東雲とヤリ部...マンションの部屋に籠ってて。部屋、出ようと思えば出れたんだけど、アイツどんどんおかしくなってって。怖くて一人に出来なかった」  「知ってる」  「え、なんで?幽霊だから?」  「違うよ。監禁、一か月くらいで急に終わったでしょ」  「うん...」  「あれ、僕なんだ」  睦月が何を言おうとしているのか、さっぱり分からない。が、空白になっていた過去に取返しの付かない何かが起きていた事だけは、漠然と理解できた。  「未咲は東雲を一人にするのが怖かったかもしれないけど、僕にとっても未咲と会えなくなるのは恐怖だったよ。だから、心配するなって言われたけど、ひたすら駅の高架下のところで未咲を待ち続けた」  地縛霊として閉じ込められた高架下に、生きてる頃の睦月が佇む光景を思い浮かべただけで、思わず胸がギュッと締め付けられる。  「そこに、東雲が来たんだ」  「――え?」  「未咲は待ってても来ないって言われて。監禁の事も聞かされた。未咲を部屋に縛り付けて、出て来たって...」  その時の事を思い出してか、睦月の唇が小さく震える。  「未咲に会わせて欲しいって、東雲にお願いした。まぁ、それが墓穴を掘る事になったんだけど。そしたら、条件があるって言われて、あのクラブに連れて行かれた」  「なんだよそれ。アイツ、そんな事全然言ってなかった...」  「僕が言わないでって言ったんだ。未咲には、知られたくなかった」  「何をだよ...」  悪い予感が胸に立ち込める。聞かなきゃならないけど、聞きたくない。  けれど、これはそもそも睦月を知るために始めた事だ。だから、俺は逃げる訳にはいかなかった。  「未咲、多野倉さんと話ししたでしょ」  「信じられないけど、お前に騙されて脅迫されたって...」  「脅迫してたのは東雲たちだったけど、多野倉さんを騙す役は僕だった。クラブで声掛けてその気にさせて、セックスに持ち込む。それで、バラまかれちゃ困る様な写真を撮って、東雲たちに渡すんだ。あいつら、あのクラブでいっつもそんな事やってて、多野倉さんには前から目をつけてたらしい。実家、お金持ちっぽかったでしょ?」  川本さんと待ち合わせして多野倉の職場に行く前に、実家を訪ねた事を思い出した。睦月をまるで疫病神の様に罵った母親の顔を思い出す。  「けど、睦月は単に東雲たちにやらされてたんだろ?」  「東雲とその仲間たちに言われてやった事だけど、判断したのは僕だ。僕が騙した事には変わりないよ」  「そんな――」  「仕方なかったんだよ」  断定的な睦月の声が、真っ白な空間に小さくこだまする。  「それが、未咲を解放する条件だったんだから」  
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