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第三十九話
東雲からのメッセージを読み終えて携帯をポケットにしまい込む。
何度も読み返して、これで通算十一回目だ。
見上げる空は久しぶりに晴れ渡っていた。未だ午前中の澄んだ空気を深く吸い込み、「ありがとう」の言葉と一緒に遠く吐き出す。
何かの悪戯にしか思えないメッセージの着信だったが、俺にはあれが紛れもなく東雲から発せられたものである事が分かった。
不器用で、浅はかで、破滅的で、寂しがりやの東雲――。
俺は、東雲の事を本当に理解していた訳では無かったし、東雲自身も自分の事なんかちっとも分かってはいなかっただろう。
だけど、たとえ憎しみ合った事があったとしても、俺達は蜜な時間を過ごしてきた。そんな俺と東雲にしか分からない肌感は、未だ身体に染み込んで離れない。
誰が疑ったとしても、俺だけはあのメッセージを送ったのが東雲本人だと断言できると思った。
思えば、俺も、東雲も、そして睦月も、何だかみんな独りぼっちだった。
三人で寄り添えればいいのだけれど、それは土台無理な話だ。
『何人とセックスしても、俺、独りなんだよ』
昔、東雲がそんな風に言っていたのを思い出す。
そうだ、身体を重ねるだけでは埋まらない。その孤独と空虚を互いに満たす事が出来る相手は、残念ながら一人だけだ。
それが、運命なのか、信念なのかは分からない。ただ、俺は、何か強い引力に引かれる様に、睦月の元に呼び寄せられた様な気がしていた。
――だから、ゴメン、東雲。
俺は、今度こそ偽善や誤魔化しから抜け出して、睦月の元へ走っていく。
それが、お前が言ってくれた『ちゃんと生きて、幸せに』に応えられる唯一の方法だ。
「西之さん、夜までどうします?」
退院の手続きや荷物の整理を手伝ってくれた川本さんが、手持ち無沙汰で同じ様に空を見上げる。
睦月を取り戻す鍵を占い師のバァさんに託した俺と川本さんは、直ぐにでも夜中の高架下に向かいたいところだったが、これ以上笹倉さんに心配をかけるのは流石にNGだと思った。せめて、ちゃんと退院してからにしようという事で、今日まで逸る気持ちを抑えてきた。
法則は全く分からないが、この時間の経過が睦月の不在に何らかの影響を及ぼすのかと不安は過ったが、今はやれる事をやるしかない。
だって、この企みにより、俺はこの世界を離脱する事になり兼ねない――勘でしかないが、そんな風に思えた。
だったら、ある程度の落とし前は、つけておきたかった。
「俺、夜までちょっと用事あるから、それ済ましてきちゃうよ。わざわざ来てくれて有難うね」
川本さんは、何かを察したのかもしれない。「そうですか」と少しだけ不安げに眉を顰めた。
俺達は、夜にまた『真夜中』で落ち合う事を約束して、一旦別れる。
深夜二十七時。睦月と出会った時間。占い師のバァさんが寝ている時間。
そんな時間に、女の子を外で待たせる訳にはいかない。
何が起こるか分からないから、草太くんにも同行してもらい、店から三人で連れ立って高架下に行く事にした。
「後でね」と川本さんに手を振り、踵を返す。
向かう先は、若干の気合が必要だ。
「よしッ、行くか」
もう一度空を見上げ、重い足を地面に踏み出す。
***
実家の佇まいは、相変わらず厳かで人を寄せ付けない雰囲気があった。
母親に連絡した時に、電話口から発せられた帰ってくるなオーラが家全体に立ち込めている様な、そんな気がした。
諦めてアパートに戻ろうかと日和る気持ちを奮い立たせ、インターフォンに手を伸ばす。
意を決してボタンを押そうとしたその瞬間、門の内側でドアがガチャリと開いた。
――まずいッ。
いや、別に不味くはないのだが、俺は反射的に身体を固くする。
「未咲?」
防犯カメラを見て不審に思った母親が出て来たのかと思ったが、予想に反してドアの向こうから現れたのは兄貴だった。
「兄貴、なんで......」
「俺が何でここに居るのかと言うと、ここが俺の家だからだ」
――一年半ぶりの再会で言う言葉がそれかよ。
相変わらずの物言いにムカつきを隠さない俺に、兄貴が構う様子は無い。が、続けて意外な言葉を発してきた。
「そしてここは、お前の家でもある。だから、とっとと入って来い」
「え――」
ポカンとする俺に、またもや構う事なくドアが閉じられようとする。
「入らないなら、とっとと帰れ」
「あ、待ってッ。つか――ただいま」
慌てて門を開け、玄関ドアまでの階段を駆け上がる俺を見て、兄貴がふっと笑った。
「おかえり、未咲」
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