第三十三話

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第三十三話

   「そんな都合良く願われても、どっちもは無理だぞ。一人は逝って貰はなきゃ、バランスが取れない」   ――ここ、どこだ?  「どこでも無いよ。さっき、お前があの淫乱ストーカーにぶっ刺されて倒れた場所だ。ただし、時間は止めてあるけどな」  ――は?時間?何言って...  訳が分からないながらも傷に手を触れると、刺された背中から溢れる血はピタリとその流れを止めていた。だが、血液は凝固する訳でも無く、テラテラとイヤらしいまでに赤黒く鮮やかな輝きを保っている。  「なんだこれ――って、いッッてぇ」  身体を起こそうとした途端、傷口から脳天にかけて激痛が突き抜けた。心臓を殴られた様な衝撃で、目の前に星が散る。  「かはッッ」酸素を求めて吸い込む息が痛みで阻害され、上手く呼吸が出来ない。  「だから、人の話聞けって。あ、人じゃないな。”神さま”の話聞けっての。いくら時間が止まってるからって、お前の受けた傷は現実だ。西之 未咲だっけ?お前、もう直ぐ死ぬよ」  「な...何言って――。つか、さっきから、お前誰だよ」  痛みでどうにもならない身体を地面に張り付けたまま、歯を食いしばって顔を上げる。と、そこに居たのは、何の事は無い制服姿の女の子だった。  大人しそうな見た目に似合わない仁王立ちで、俺をゴミとばかりに見降ろしている。  「女子高生?なんで――」  「川本さん...?」  戸惑う俺を遮る声に目線を向けると、女子高生の背後に呆然と佇む睦月の姿があった。  どうやら睦月も何が起きているのか把握していないらしい。焦点の合わない視線を、行き場無く宙に漂わせる。  「睦月ッ」  意識をこちらに呼び戻す様に、掠れる声を絞り出して名前を叫んだ。  視線が地面に這いつくばる俺に注がれる。俺の姿を捉えた睦月の瞳が、急速に光を取り戻す。  「未咲ッ!」  くたびれたローファーが、弾かれた様に地面を蹴り出した。  謎の女子高生が目に入らないかの様に、真っ直ぐ駆け寄ってきた睦月は、血だらけの俺の身体を震えながら抱きかかえる。  「未咲、未咲ッッ。痛い?今、助けるからッ」  「睦月、服...汚れるから」  「そんなの...。僕のせいだ、僕が未咲を呼び出したから...」  「違うよ。お前が無事でよかった」  俺の怪我の様子に動転する睦月の頬を優しくなぞる。美しく温かい涙が、指先をじわりと濡らす。  ああ、こんな風に死ねるなら、それも本望かもしれない。諦めに似た安寧が、俺の心を静かに満たしていく。  「お前らさぁ、そういうトコだぞ。勝手に二人の世界作って、後は蚊帳の外かよ」  黙って俺達の様子を見ていたらしい女子高生が、飽きれた様に言い放った。  「川本さん、何で...」俺を膝に抱きながら、睦月が理解不能な顔で呟く。  「睦月、この女の子知ってんの?」  「知ってるも何も、川本 二葉は佐東 睦月のストーカーだ。今日も甲斐甲斐しく、佐東くんの後をつけて来たらしいぜ」  返事に窮する睦月の代わりに、女子高生が太々しく答える。が、その他人ごとみたいな口調に、何とも不思議な違和感を覚えた。  不可解な俺の表情を見て揶揄う様に、女子高生は続ける。  「ああ、今話しをしている私は川本 二葉では無い。私は、この辺を管轄する”神さま”みたいなモンだ。お前たちの現実世界では物理的な像を成さないから、会話がしやすい様に一時的にこの女の身体を借りている」  「ちょっと...川本さん、こんな時にふざけてんの?」  同じくこんな時に”佐東 睦月のストーカー”というフレーズが気になった俺だが、やれやれと言った風に首を振る女子高生改め”神さま”の様子を、大人しく見守る。  「ふざけてんのはお前らの方だろ。私は大真面目に仕事を熟してる。後ろを見てみろ」  睦月の手を借りながら、”神さま”の指し示す方に身体を傾ける。  「――東雲?」  背後にいた東雲は、俺の背中を刺したままの姿で、一時停止した映像の様にその動きを止めていた。その手から零れ落ちたナイフが、東雲の足元と俺の間に転がっている。  状況の異常さに頭を巡らせるより、血に濡れたナイフをぼんやりと眺めながら「あいつ、本気だったんだな――」と、今更ながら俺は東雲を理解した。  たぶん東雲は、一緒に居ても決して自分を心に入れようとしない俺の偽善を、殺したい程憎んだのだろう。  東雲は、俺を愛してはいなかった。それは、あいつ自身が良く分かっていた事だ。上手に人を愛する事が出来ない東雲の退路を防いでしまったのは、他ならぬ俺だ。  ――だけど、差し出せる心は一つしかない。  迂闊な俺が生んだ無残な結果は謝り切れる事では無いが、こうして睦月の手を握って死ぬ事に後悔は無いと思った。  「図々しくも、いい根性だ」  俺の思考を読み取る様に”神さま”は再び話し始める。  「それぞれストーカーを抱えてるくせに、人間ってのは本当に面倒だな。まぁ、そんな迷惑なお前たちに、朗報をくれてやる」  睦月が脅える様に俺の手を固く握った。  「大丈夫だ」と応えてやりたいが、未知の状況を目の前に、その手を握り返してやる事しか出来ない。  「私は”神さま”と言ってはみたが、ここに住み着く地縛霊の成れの果てみたいな存在だ。心筋梗塞で偶々ここに倒れた私は、地縛霊になりながらも別に誰を恨むでも呪うでもなく平和にやり過ごした。その行いで浄化されたのか何なのか分からないが、今は与えられた管轄としてこの高架下の清浄を保っている」  淡々と語る”神さま”の話の内容は全くもって冗談としか思えなかったが、時間の止まったこの空間の中では、抗いようの無い説得力を秘めていた。  「質の悪い念ってのは、一定数は必要だ。が、私が管轄するこの場所では勘弁だ。私が時間を止めなければ、佐東 睦月も後ろの東雲 聖に刺されていた」  神様に願ったあの一瞬の想像がその通りの結果であった事に、額から冷たい汗が流れる。  「――そこで提案だ。本来二人とも死ぬ筈だったお前達のどちらかの命を助けてやる。その代わり、助かった方の記憶からお前達二人の時間は消える。安易に思い出さない様に、東雲 聖と川本 二葉の記憶と事実も書き換わる。この時間、この場所での殺害事件は無かった事になる訳だ」  「二人共はダメなのか?」  「言ったろ?バランスが取れないんだよ。それに、何かを守るには何かの犠牲が必要だ。それは、西之 未咲、お前自身が身に染みて分かってる事じゃないか」  ダメ元の俺の願いは、至極全うな摂理によってあっさりと切り捨てられた。  リアリティの無い酷な選択をいきなり目の前に付きつけられ、俺と睦月は抱き合ったまま呆然としてしまう。が、そんな俺達に熟考に時間は無い様だ。  「残念ながら時間を止めていられる猶予はあと一分も無い。早く決断しろ。回答によっては、私も自分の欲求を諦める」  ”神さま”の無慈悲な宣告に追い込まれた様に睦月が呟く。  「どちらか一人って事は、未咲が助かる...」  あってはならない睦月の決断に、心臓がギュッと縮みあがった。  「睦月、馬鹿な事考えるな。全部俺のせいだし、もう俺...十分だからッ」  最悪の結末に慌てる俺の身体を、睦月が静かにコンクリの地面に横たえる。  「未咲、冷たいけどちょっと我慢しててね。僕がいってくるから」  「馬鹿ッ、やめろッッ」  ゆらりと立ち上がる睦月の腕を掴もうとするが、刺された時に神経を傷つけたのか、上手く身体が動かない。  そんな俺を置いていくかの様に、睦月は”神さま”に向かって歩を進める。  「睦月、行くなッ!死ぬのは俺だからッ。戻って――」  悲痛な叫びは、喉からゴボリと溢れ出した血液によって塞がれた。  「そろそろ、時間が動き出すようだな」  ”神さま”の宣告通り、傷を受けた俺の身体は、蝕まれる様に流血の再開を始める。貧血で遠のく意識の中で、もがく様に睦月の背中に手を伸ばす。  ――やめてくれ。頼むから、睦月を殺さないで。  涙で滲んだ視界の先で、睦月と”神さま”が言葉を交わしている。  ――何?何て言ってる?  激しい耳鳴りが邪魔をして、声が聞こえない。  ベタ付く血の溜まりを這いずる様にして、声にならない叫びを上げる。  ――睦月ッッ!  眼前に白い光が溢れる。  光は睦月を強引に包み込み、その姿を俺から遠ざける。  ――待って、行かないでッ。  俺の視界を光が完全に支配する直前に、遠く睦月が振り返った。  一瞬、耳鳴りが止む。  「未咲、愛してるよ」  はっきりと耳に届いたその言葉を最後に、睦月は高架下の空間と共に光に飲み込まれていった。                           
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