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最終話(挿絵付)
バス停のベンチから眺める高架下の光景は相変らずだ。
腕時計が示す時間は、午前三時。
前回は時間を間違えた。未咲がね。
一時に来ちゃうんだもんなぁ。二時間も早いって。
まぁ、仕方がない。だって、あの世界での未咲は僕を知らないって事になってたんだし。
腕時計に目を落とした時に気が付いたけれど、制服の袖口が綺麗なままだ。見ると、ブレザーのボタンは取れてないし、ネクタイも健在。
どうやら、僕が学校でレイプされてるっていう設定は、この世界では無くなっているらしい。助かった。明らかに”神さま”の嫌がらせだけど、あれは正直キツかった。
僕が佐東睦月として世界の隙間に紛れ込んだのは、実を言うとこれで三回目になる。
二回目の時は幽霊としてだったけどね。
あの時は焦った。折角、未咲と同じ世界にまた居られると思ったら、あの世とこの世なんだもの。
最初はガッカリしたけれど、直ぐに仕方ないやと諦めた。
だって、未咲が東雲に刺された時に思った事は本当だ。例え、二度と会えなくなったとしても、僕は未咲には生きていて欲しかった。嘘じゃない。
だけど、虚空の暗闇の中で僕は求めてしまった。未咲を。未咲だけを。
その執念で再び世界に紛れ込んだ僕だが、執念が裏目に出て幽霊になってしまったという訳だ。我ながら、粘着質だなぁと思う。
『睦月を独りにできない』って未咲は良く言うけれど、それは少し違う。
僕は案外平気なんだ。独りだって。未咲さえ居れば、あとは何も要らない。
それが、東雲との決定的な違いだ。
ゼロ回目。つまり、僕がナチュラルに佐東睦月として存在していた頃、僕は既に未咲と出会っていた。そして、付き合ってもいたんだ。
未咲にした片思いのエピソードは、実は一回目の話ではない。ゼロ回目の話だ。
大好きな未咲に思いを告げ、恋を成就させた僕は毎日が幸せの絶頂だった。
が、悲劇は起こる。しかも、誰かが起こした惨劇の煽りを食らった悲劇だ。
ゼロ回目の僕は、事件に巻き込まれた。
東雲の時の様に、何処かの誰かが想定外に世界のバランスを崩し、”神さま”が辻褄合わせをした。その修復のためのピースとなったのが僕。
理不尽に命を奪い、未咲と引き離してしまった事に”神さま”は多少の罪悪感を抱いたのだろう(神様が罪悪感って変だけど)。上手い事、僕を一回目の世界に紛れ込ませた。そうして僕は、この高架下前のバス停で未咲と再会したんだ。
最も、再会したと感動してたのは僕だけで、未咲はそれを一目惚れと思っていたみたいだけど。
多少の設定のズレは致し方ない。
僕はこの世界でも懸命に未咲にアプローチして、再び手に入れるつもりだった。が、東雲の存在は思った以上に大きかった。
『ポッと出のくせに』って東雲が言ってたみたいだけど、残念ながら歴は僕の方がずっと長いんだ。
けれど、そんな理屈は通用しない。多勢に無勢。その言葉がピッタリくるように、紛れ込んだ世界のルールに僕は従わざるを得ない。
そう思ってはいても、頼みの未咲に初対面扱いされるのは、かなり辛かった。不安が募った僕は未咲との分かり易い絆を求めた。
何でも良かったんだ、別に。それが、たまたまこの時計だったというだけで。
好きな人と同じものを持っていたいなんて、何だか女の子みたいだ。けど、僕は未咲と同じ印が欲しかった。まぁ、お守りみたいなものかな。
それが実際にお守りとして機能するとは、その時は思っていなかったけれど。
執念で幽霊になったにも関わらず、またしても世界の掟に踏み込んでしまった僕は、今度こそ打ち止めを覚悟して未咲が眠る病室に別れを告げに行った。
あの時は、苦しませちゃって悪かったなぁ。しかも、身体の自由が利かない未咲に、密に興奮していた事は絶対にナイショだ。
秘密がもう一つ。
僕は、あの時、嘘をついた。
『一度だけでいいから、未咲に抱いて欲しくなった』
そのせいで掟を破ったかの様に言ったけど、ここで告白している通り、僕は未咲とゼロ回目の世界で付き合っていた。普通にセックスもしていたし。
だからと言って、抱いて欲しい願望が無かった訳じゃないけど、それが掟を破った主な理由では無い。流石にね。
幽霊になって二年ぶりに会った未咲は、何だか時を止めてしまったみたいで、ひどく世界から孤立している様に思えた。未咲には生きていて欲しかったけど、そんな風に苦しい生を引き摺る姿は見たくなかった。
東雲も同様だ。
だから僕は、僕のエゴを交えて修復されたこの世界に、決着を付けようと思ったんだ。
僕との記憶を蘇らせる事で、あの世界の未咲と東雲の時計は動きだす。それは、未咲を酷く傷つける事だけど、そうしないと先には進めない。
たとえ、その進む方向が生であっても死であったとしても。
それが、幽霊だった僕が掟を破ってまで消えようとした本当の理由。
腕時計は賭けだった。
ベッドサイドにあったあのお守りを持って行けば、いつかまた何処かの世界で未咲と再会できる様な気がした。
我ながら懲りないというか、生粋の執念深さというべきか。
その執念にまさか未咲が乗っかってくるとは思わなかった。
果ての虚空の中で、実態を持たない身体を抱える様にして、僕は小さく震えていた。
覚悟や諦めをてんこ盛りにして自ら来た場所だけれど、やっぱり未咲と離れて一人で居るのは辛かった。
あぁ、これがあと何年続くのか。もしくは永遠に続くのか――。
そんな風に思っていたところに、未咲の声が聞こえた。
幻聴?妄想?願望?
そんな風に、自身の形を持たない耳を疑ったが、その声は正に未咲のものだった。
僕が、未咲の声を聞き間違える訳がない。
『睦月、時計を午前三時に合わせろッ。絶対に迎えに行くからッッ』
気が付くと、僕はバス停のベンチに腰かけていて、目の前には高架下の風景が広がっていた。
僕には確信がある。
未咲は僕を見つけるのが上手いし、僕は未咲を騙すのが上手い。幽霊級の執念深さで。
街頭の光を遮る様に、座る僕の目の前に大柄な影が落ちる。
僕は、再び腕時計に目を落とす。
クラシックなその針が示す時間は午前三時。
二十七時は、ちょっとした奇跡が起こる時間だ。
零れる笑みを抑える事をせず、僕は影の主に向かって顔を上げる。
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