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ガチャン、ガチャン。
あれ。私が門を閉めると、山びこのように次いで重なる音は、
「…はよ」
隣の、林堂家のものだった。
「おはよう、湊人。…あれ、朝練は?」
「…ねぼー」
目が半分も開いていない。トレードマークのツンツン頭もところどころしょんぼりしていて、あ、それは寝癖か。ともかく、なんだか具合が悪そうに見える。
「大丈夫?体調、悪いんじゃ…」
私が数歩あゆみ寄ると、
「…単なる寝不足だよ、遅れんぞ…」
ふいっと身を翻して、言い終わる前からもう坂を降り始めてしまう。
「あ、ちょっと…!」
昨夜は、湊人のほうがぼうっとしていたというか、つんとしていたというか。「ただいま」の声は小さく、食事のときも口数は少なかった。
もしかしなくても、鷹矢くんとお付き合いすることになった事を、私がちゃんと伝えられていなかったから。そう思い、ひとつしっかり呼吸をすると、椅子深く腰掛け両手を膝に、背筋を伸ばした。一定のペースで麻婆豆腐を口へ運ぶ湊人を見据えて、
「あのね、湊人。昨日は言い出せなかったんだけど、実は…」
でもその蓮華は止まることなく。
「ああ。おめでと」
ひょい、ぱく。合間に短くそう言うだけだった。
「えっ」
「もう知らない奴、いねぇんじゃね?」
確かに昼間、一日中教室はその話題で持ちきりで、あの中にいれば、嫌でも耳に入ってくることだった。でも、伝えそびれていたってやっぱり、自分の口から言いたかったから。
こちらを見もせず、むすっと食べ続ける湊人を見つめながら、すぐには言葉が出なかった。
「なあに?どうしたのー?」
「あ…」
「…こいつ、王子と付き合うんだって」
「みな…」
「えっ?そうなの遥ちゃん、恋が実ったのね?おめでとうー」
「あ、えと、ありがとう…」
「っそーさま」
照れや色々で縮こまる私とは逆に、勢いよく立ち上がる湊人。いつもより格段に速く食事を終えて、食器を下げ始める。
その横姿、背中。じっと見つめるけど、瞳で会話はできないままで、こうなるまでちゃんと言えなかったことへの後悔が、後から後から湧いて染み出す。
それがじんと頭を重くする。まだ半分以上残ったお皿の中身に目を落としていると、
「ま、」
トン、と、肩に、ささやかな熱をとじこめた掌。
「頑張れ」
見上げたら、私の横を通り過ぎざま、湊人が微笑っていた。ちょっと意地悪ないつものじゃなくて、かなり不器用な一瞬の。
「ん…ありがと!」
やっと重なる視線、見守るようなそれを、ここに入れるとほっとして、私はそれから思う存分おばさんの料理に舌鼓を打ったのだった。
「湊人!」
滅多に一緒に登校することはなくても、出会えば並んで歩くのに。ぐんぐんと下りゆく、湊人の背中に追い付けない。だから私もムキになる。その顔色が、寝不足だからというだけじゃない気がして。
「ね!待ってよ」
「……」
言いそびれていたことは、昨夜微笑って許してくれたんじゃなかったの?
「湊人ってば!」
ぐりんっと、急にこちらを振り向いた。スポーツバッグの重量は、その反動で湊人の腰をしたたかに叩く。
「なんだよ」
「置いてかないでよ」
ぶっきらぼうに言い放つその顔へ、間髪容れずに詰め寄る。後ろ歩きの湊人の横につくのは簡単だった。
「…オレと並んで歩いてっと、なんか言われんじゃねーの」
「え?」
「付き合い立てで浮気の噂はまずいだろ」
やれやれといった表情で、意地悪く眉をへこませる。よかった、いつもの湊人だ。
「…私のこと、心配して?」
返事はない。口を結んだまま、湊人は目だけを向こうへ追いやった。
「なんだ、大丈夫。平気だよ!」
湊人というやつは、いつもこうなんだ。普段は図々しいくせに、変なところで遠慮する。家族同然、一番近い仲なのに。
「だって湊人は家族みたいなもんじゃない。クラスのみんなもそう思ってるだろうし」
ね?と笑ってみせるけど、
「……オレは困んだよ」
顔を背けた湊人の目には映っていない。
「え?」
「とにかくっ、一緒に行くのは無し!先、行くかんな!」
すぐ隣にいるっていうのに、八重歯が見えるほど大きく、口を開けて怒鳴るものだから響く響く。
私がその声量にたまらず目を瞑っている間に、湊人はもうあんなに遠くを走っている。さすが俊足。
それにしても、早朝からご近所迷惑なやつだ。袖にされた私は、プリーツを撫でて鞄を肩にかける。日差しまでまだ眠そうにしている空を時折見上げながら、少しだけ歩みを速めた。
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