ep.1 黒薔薇の兄弟②

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ep.1 黒薔薇の兄弟②

二年生になったばかりの春、土曜日のお昼。家にクリーム色の手紙が届いた。金色の封蝋ふうろうは、薔薇の形をしたシーリングがされていて、母は気を失いかけた。僕は何もわからないでいたけど、その日の夕食は僕の好物ばかりでとても嬉しかった。食事が終わって、お風呂から上がると、母が髪を乾かしてくれた。僕をリビングの椅子に座らせ、母も僕の前に座った。 「由吏、由吏は薔薇様ばらさまになるんだよ」  「なに?それ」  「お手紙にはね、もう由吏のもう一輪はすでにいるんだって。由吏が薔薇様になることをずっと待っていたに違いないの。由吏、いいね、あなたは立派なもう一輪になるの。もう一輪の薔薇様を決して、何があっても、どんなに苦しくても裏切ってはいけないの」 「なあに?なんだか怖いよ。薔薇様って?僕は僕だよ、ママ」 「由吏。わたしの何より大切な由吏、おいで」 ママが手招きして、僕は席を立ってママの前に行った。ママは僕の体を両腕で包んで、痛いくらいだった。由吏、由吏とママは僕を呼び続けた。 「ママ、泣いてるの?」  ママは答えなかった。僕を抱く腕の力だけが強くなって、なんだか僕はこれから自分の身に起こることが想像もつかないものになるんじゃないかという考えに取り憑かれて、大きな声で泣いた。そのあとはいつも通り、ママが本を読んでくれて……確か、シートン動物記。いつの間にか僕は眠りについていた。日曜日にはママとパパと教会に行った。いつもより二人が熱心にお祈りをするから、僕も同じようにした。そして、珍しく神様にお願いごとをした。  [ずっとママとパパといられますように!〕  その日の夜、ママとパパが寝る部屋に呼ばれて、一緒に眠った。本は読んでくれなかった。パパが僕の右手を握っていて、ママは僕が眠るまで頭を撫でてくれた。幸福と少しの不気味さで口の中が渇いたけれど、いつの間にか眠ってしまった。その次の日曜日、僕はサン•ヨハンの特別学生寮[シュヴァルツゲハイムニス《黒の秘密》]に入れられた。別名、薔薇の温室。「由吏君」 ミサの前に話した梶尾神父様だ。 「ミサは終わりました。お祈りに熱心なのは感心だけど、もう二十時を過ぎているからね。寮まで送っていってあげよう」  教会からシュヴァルツゲハイムニスまでは歩いて十分もしない。 そして、シュヴァルツゲハイムニスは二階建てのゴシック調の建築で、僕の部屋とその他にベッドがある部屋が二つ、少し離れた場所に使用人室一つ、ダイニング、五人は一度に入浴できるバスルームがあるという程度のもので寮というのも少し違和感がある。実質は薔薇を逃さず育てる温室のようなものだ。送っていってもらう間、星桜会のことを梶尾神父様に尋ねてみたが、参加はするものの詳細は知らないと言われた。それ以外のことは何も話さなかった。寮の前で神父様と別れた。僕だけが住む寮の使用人、七十歳の桜庭文人さくらばふみひとさんが出迎えてくれた。フミさんと僕は呼んでいる。 「お帰りなさい、薔薇様。一時間ほど前に、もう一輪の黒薔薇様がおいでになりました。今回は……無期限だと、仰っておられました。いつもの部屋にご案内しております。薔薇様がご帰宅されたらすぐに部屋に来るように伝えておくよう申しつかっております。」 僕の顔が険しくなったことにフミさんは当然気づいている。同じ色の薔薇同士は基本的に特別寮に二人で住むが、凛は一輪に選ばれたときにまだ一年生になったばかりであったため、僕が現れるまで自宅で眠ることを許された。そして、凛は四年生の時、僕と一緒にこの寮に移ってきたのに、満足なピアノの環境がないことに癇癪かんしゃくを起こしてすぐに自宅に戻った。薔薇達は学園の立派な音楽ホールをいつでも使えるというのに、凛は本当にわがままだ。そして、気が向いた時だけ温室にやってくる。泊まっていくことは多くない。滞在する、というとき、たいていそれは、機嫌のいい時ではないから僕は冷や汗が出た。 「……分かりました。フミさん、もう今夜はお休みになってください。きっとフミさんはサーモンの入ったベーグルを作っておいてくれているでしょう?」「もちろんです。凛様は紅茶だけご所望されましたので、ティーカップを二つご用意してお部屋に先ほど運んでおきました。……それでは、おやすみなさいませ」  フミさんがランプを持って使用人室へ向かうのをぼうっと見ていた。凛、凛。
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