最期の贈り物

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少年が僅かに眉尻を下げた。 「こんな風に考えてみてはどうですか?」 染み入るような優しい声だ。 「貴女は彼の心の中で一生、生き続ける」 「―――――…」 「人間(ひと)は手が届かないものほど強く欲する生き物です」 …まったく厄介ですね と、呟くようにつけ加えた。 「其れ故、二度と会えない貴女の面影は深く刻み込まれる。  様々な思い出と共にね」 女はリングをぎゅっと握りしめた。 『愛しい人の、永遠(とわ)に忘れ得ぬ恋人になれる…?』 その言葉は蜜のようにとろりと脳内を満していく。 女は思う。 人の心は移ろい易い。 5年後、10年後、20年後――――― 今のままの気持ちでいられるかどうかは、誰にも判らない。 ならば… 運命に抗う事なく、素直に受け入れてみても良いのではないか? 死は思いがけない甘美な響きを持って(いざな)う。 女は涙を拭うと爽やかな笑みを浮かべた。 不意に少年が羽織っていたパーカーから、古びた懐中時計を取り出した。 針のない奇妙な時計の文字盤には、鏡文字で描かれたⅠからⅧまでの数字が並んでいる。 「そろそろ――時間です」 何故だろう… その時が間近に迫っていることを、半ば当然のように感じていた。 穏やかな表情で頷く。 仄かな光がゆっくりと女の身体を包み込む。 そう言えば… 薄れゆく意識の中でぼんやりと考えた。 少年が何者なのか…聞きはぐってしまった――― そうね、多分… 大きな輪郭が吸い込まれるように、滲んで溶ける。 最期の瞬間、女の唇が言葉を刻んだ。 『ありがとう、天使様』 カツン… 女の手からこぼれ落ちたリングが床に当たり、微かな音を立てた。 ピッ、ピッ、ピッ。 静寂を破るように機械音が響き渡る。 急に辺りがざわめきだした。 「先生、患者さんの容態が!」 看護師の金切り声が、闇を震わせる。 ピィ―――――… 規則的に聞こえていた心電図のフラット音の、強弱が消えた。 「心肺停止です」 「直ぐに心臓マッサージを。  君、除細動(心臓電気ショック)の準備をして」 きびきびとした、医師の指示が飛ぶ。 ばたばたと走り回る足音。 少年が煩い蠅でも追うような手つきで、無造作に空を払うと闇は静寂を取り戻した。
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