4章

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 キリスト教の教えの中にそんな話がある。  神が最初に造った人間のアダムとその妻エバは何も知らない無垢な存在で、自分たちの行動に疑念を抱くこともなく神の用意した楽園の中で満ち足りた暮らしを送っていた。しかしある日、知恵を得る果実を食べてしまったことで自分たちが裸でいることを恥ずかしく思ったり、いろんなことに気付いてしまう。そのおかげで二人は楽園で暮らせなくなったのだ。 「隼斗くんはたくさん勉強をしたから、みんなと同じように過ごすのが難しかったのかもしれません。知恵がつくと、視野が広くなるし、先生の教えを鵜呑みにすることも無くなります。でもそれは悪いことではありませんよね?」  小林の話を父親も祖母もきょとんとしながら聞いている。司書の先生が一体何を語り出したのかと訝しんでいるのだろう。 「アダムは知恵の実を自分の意志で食べているんです。蛇やエバに騙されたと言い訳しているが、結局のところ彼自身が知りたいと願ったから食べた。知らないことを知りたいと願うのは人として当然の欲求です。だから隼斗くんの姿勢は間違っていない。これからも、この子にはたくさん勉強させて、興味を持つ多くのことを身につけさせてやってください」  お願いします、と小林が頭を下げると「でもねぇ……勉強ばっかりなんてのは可哀想で」と案の定、祖母が眉をひそめたまま微笑んだ。見るからに品の良い、優しそうなおばあさまである。きっと幼くして母を失った孫を憐れみ、彼女なりに隼斗を可愛がっているのだろう。しかし自分の想像の枠を超える孫のことを、彼女はどうしても理解できないのだ。 「この子はお母さんの言いつけをいまだに守って、勉強熱心なのはいいんですけど、もう少しお友達と楽しく遊ぶことがあってもいいんじゃないかと思うんですよ」 「勉強が可哀想なんて誰が決めたんですかね」  小林は嫌味になりすぎないよう気を付けながらも、きっちり言い返した。 「私にはやりたくもないドッジボールを楽しいと偽ってやっている方がよほど可哀想に見えましたが」 「……」 「これから通う中学では、そんな嘘の笑みを浮かべる必要もなくなるでしょう。優秀な子が揃っているだけに、隼斗くんだけが浮くことは無いはずです。お母さまは隼斗くんの特性を見抜いて、実に良い進路を選択されましたね」
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