雨空の下で君を待つ

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雨空の下で君を待つ

彼女の姿を見かけるようになったのは、数日前の事だ。道路の拡張工事の為に、古くからその地に根を張り巡らせていた大木が伐採された翌日の雨の日だったと思う。 彼女はしとしとと降り注ぐ雨の中、傘もささずに道路脇にある大木の切り株に腰掛けていた。うちの近所では見たことの無い女性だったが、どこにでもいそうな普通の女性だった。 セミロングの黒髪は雨に濡れているせいか、真っ直ぐに伸びている。俯いていて表情はよくわからないが、車の風圧で煽られた前髪からチラリと見えた瞳は茶色で、じっと地面の水たまりを見つめていた。 その姿はどこか不気味ではあったけれど、悲しみに打ちひしがれているようにも見えた。 何か大切なものを失った人のように見えるし、地図を失った人のようにも見えるし、自殺しようとしている人のようにも見えて、放って置けなかった。 「あの、大丈夫ですか?」 勇気を出して彼女に歩み寄り、声をかける。すると女性は初めて自分に気がついたように顔を上げて、花が咲くように微笑んだ。 それはそれは優しく穏やかで美しい笑みで、見るもの全てを虜にするような可憐さと妖艶さを併せ持っていた。 (なんて綺麗な人なんだろう) 遠目から見たときには分からなかったが、まるで女優のように顔が整っている。黒い髪は水を含んで艶めいていたし、細められた瞳は慈愛に満ちた聖母のような温かさを孕んでいた。 つい見惚れてしまったが、ハッと我に返っては持っていた傘を差し出す。 「これ、良かったら使って下さい」 既にずぶ濡れの女性だったが、ずっと冷たい雨に晒されるのも可哀想だ。そう思って差し出した傘に女性は手を伸ばし、自分の手を掴んだ。 驚いて硬直する自分の手に、女性は頰を擦り寄せて愛おしそうに目を閉じた。まるで探し続けていた何かを見つけて、その豊満な胸に抱きしめた時のような穏やかな笑みだった。 女性の桜色の唇が開く。 「やっと、来てくれたのね」 そう呟く女性の声が聞こえると同時に、自分の傘を持っていた右手が消えて天地がひっくり返った。何がおきたのかわからないまま、呆然としていると全身に強い衝撃が走り自分は意識を失った。 * * * いつもと変わらないある朝の日、僕は何となくつけたテレビが語るニュースに耳を傾けていた。どうやらうちの近所で交通事故があったらしい。道路を横断しようとした人が車に跳ねられるという、よくある不幸な事故だった。 『車を運転していた○○容疑者は、「当時は雨が降っていて、前が霞んでよく見えなかった」と供述しており』 (酷い土砂降りでもなかっただろうに、傘とか見えなかったのかな?) 被害者は自分と一つしか変わらない若い人だった。警察によると事故現場付近に傘が落ちていなかった事から、被害者は傘もささずに歩いていたと推測されるという。 (傘をさしてれば少しは違ったのかな) 同じ雨の日に偶然通りかかった事故現場で手を合わせる。決して何かが変わるわけでは無いけど、あの事故の日にこの場所にいたら、結末を知っていたら、僕は傘を差し出していただろう。 黙祷を済ませてふと顔を上げると、切り株の上に腰をかけた誰かがいた。こんな雨の日に傘もささず、冷たい雨に打たれ項垂れる人が。もしかしたら被害者の遺族かもしれない。 そう思えば自然と脚を踏み出して、その人に傘を差し出していた。 「あの、これ、良かったら使って下さい」 * * * お風呂から上がった私は、いつもの癖でテレビの電源をつけた。チャンネルはニュース番組のままで、今朝起きた不幸な交通事故の特集を組んでいた。 『この事故は被害者に共通していることがあるそうですね』 『二人とも雨の日に傘をさしていなかったとか』 『数年前にも女性が同じような事故に遭っていたようで、この土地の地形に問題があるのではないかという見解が』 チラリと映った事故現場を見て、私は全てを悟った。 そこに映っていたのは、無残に切られた大木の切り株と、そこに腰掛けて微笑む女の姿。女の両手にはそれぞれ傘が握られており、その持ち手には誰のものかもわからない手首がぶら下がっていた。 終
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