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第壱柄【轗軻者】
第壱柄【轗軻者】
登場人物
南丹樫 叉門 なにがしさもん
硯 其之助 すずりそのすけ
黒滝 志十郎 くろたきしじゅうろう
颪田 充蔵 おろしだみつくら
萌久来 有造 めくらいゆうぞう
厳名 茂吉 げんなもきち
柯暮乃 一文字 かぐれのいちもんじ
五月雨 菫 さみだれすみれ
鎧戸 天雅 よろいどてんが
士斬 暁武 しざんぎょうぶ
花はただ咲く ただひたすらに
相田 みつを
街はざわついていた。
それは、ここ最近賑わせている瓦版の存在が多く関係している。
なにも、瓦版たちが当の本人ということではなく、瓦版に書かれている内容が、ということである。
「ちょっと、またなの?」
「義賊だと思っていたけど、これはどういうこと?」
そこに書かれているのは、数拾年前から行動を確認されている、“ネズミ小僧”という者の存在である。
悪徳な金持ちなどから金品を盗み、それを街へとばらまく義賊として名を馳せていたネズミ小僧であったが、その瓦版に書かれているネズミ小僧は少し異なっていた。
「今度はあの呪われた宝石を盗んだって、そんなもの盗んでどうするのかしら?」
「少し前は機密文書じゃなかったか?一体どういうつもりなんだ?何の為にそんなことしてるんだ?」
金や食べ物などといったものを盗んでいたネズミ小僧が、宝石だの意味のわからない紙きれだのと、そんなものを盗む意味が理解出来ずにいた。
瓦版を手に入れた人だかりが徐々に薄れていくと、1人の男が地面に落ちた瓦版を拾い、踵を返して何処かへと向かう。
「どうなっとるんじゃ、これは」
真っ白な短髪は天を仰ぎ、咥えている煙管からは煙がたなびき、青い襟元に白い生地、薄い橙色の亀甲花菱柄の羽織を纏ったその男は、やや深いシワを眉間に作りながら歩き続けていた。
煙管から流れる煙と同じ方向に歩みを進めていく男は、やがて並んでいる長屋の角を曲がって姿を消した。
「居場所はつきとめた?」
「ええ。いつでも行けるわ」
「少し痛めつけておこうね。じゃないと、奴は私たちを狙うかもしれない」
くしゃ、と丸められたのは、先程大勢の人に配られた瓦版だ。
ぽいっとその辺に棄てられてしまった紙きれは、傍に居た女性によって拾われ、正規の場所へと葬られる。
「じゃあ、2人で頼んだよ」
いつの間にか女性の隣にいたその人物は、口角をあげたまま何も答えず、何処かへと消えてしまった。
1人で勝手に行ってしまったその人物に対し、女性はやれやれとため息を吐き、自分たちに指示を出した目の前の人物に頭を下げたあと、同じように何処かへと向かう。
「ただいまー・・・。わあ!なんで鋏を持って立ってるの?怖いよー!」
「そのもさもさな髪の毛を綺麗に整えたいからですよ。どうしてそんなに湿気を吸うんでしょうね?それに硬くて太い。腕がなります」
「ならなくていいよ。有怖い」
「有ではなく有造ですよ、硯」
長屋の扉を開けた途端、目の前に立っている男に驚いたもう1人の男だが、わあ!と言いながらもそんなに驚いている様子は無さそうだ。
帰ってきた男は硯其之助、普段は火消しとして生活をしている。
黒いぼさぼさ頭にちらっと見える八重歯が特徴的で、紫の業平菱柄の着物を身につけている。
鋏を持って登場した男は萌久来有造、普段は髪結をしており、黒の天然パーマ。
赤い菊が描かれた着物の上に、白と黄土の千鳥柄の羽織を纏っている。
硯の髪の毛をどうにかして整えようとしている萌久来だが、何度か挑戦してみたものの、硯の髪質は一向に良くならなかった。
時には、櫛が簡単に折れてしまうほど硬い髪を持っている硯は、仕事柄なのか、自分の髪質がどうこうということには全くといっていいほど関心が無い。
初めて櫛が折れてしまったときの萌久来の硬直した表情は、今でも覚えているが。
「そんなことより、早くご飯にしよう。お腹空いちゃったよ」
「鮎の塩焼きにしましょう。というか、鮎しかありません」
「やったー!鮎大好き!」
囲炉裏の周りに串刺しにされた鮎を置いて行く。
香ばしい匂いが漂って来ていざ食べようとしたその時、屋根裏から何かが落ちてきて、硯の持っていた鮎を真っ二つにする。
「鮎が!!!」
「鮎の心配?余裕だね」
そう言って、構えていた刀の刃の向きを変えると、硯の顎下を狙って刀を振りあげる。
硯は上半身をのけ反らせながら、同時に目の前にいる男の身体を蹴り飛ばすと、刃先はそのまま空を斬る。
腕を床につけて身体を回転させながら着地をした硯だが、当たらなかったと思っていた刃が当たっていたのか、肩が斬られていた。
「蹴られるとは思ってなかったけど、うん。動きはまあまあだね。首を狙った心算だけど。とはいっても、思ってたよりも遅いかな?ねえ、千波(ちなみ)はどう思う?」
「不意の攻撃に対しての反応としては、良い方なんじゃない?というか霙(みぞれ)さん、勝手に行動するのは謹んでいただける?」
「なんで?俺の行動がおかしいというならさ、自分がどれだけ正しい行動をしているか証明してくれるかな?」
「そういうところです」
萌久来へ攻撃をしてきた女性は、黒い長髪を前髪ごと後ろで1つにまとめており、紺の忍装束を身につけている。
短剣で襲いかかってきた千波という女性に対し、萌久来は常に持ち歩いている鋏によって防御できた。
しかし、長さでは敵わず、萌久来は頬や腕に複数の傷を作っている。
一方で、硯を襲った男は、焦げ茶色の短髪を揺らしながらニコニコ笑っていて、赤のみくずし柄着物に、真っ黒な羽織だ。
「どちら様ですか?私達に何か御用ですか?」
萌久来が傷口を押さえながら問いかけてみると、霙と呼ばれた男がこう答える。
「千波の調査によるとさあ、君、十日前に藤袴っていう金貸し屋に盗みに入ったよね?変なお面付けてたよね?服装も今のとは違うよね?君がネズミ小僧ってことだよね?」
そう話しながら霙が指を指したのは、肩をぱっくり斬られた硯だ。
それを聞いて、萌久来は視線を硯に向けると、さらに霙が続ける。
「というわけで、君は殺すかどうしようか悩んでいるところなんだけど、まあ、どっちでもいいよね。でも邪魔されるのも嫌だから、ここで殺しておこうかな」
霙が刀を鞘に収め型を構えたとき、外で何かあったのか、見廻り番の笛の音が聞こえて来た。
「・・・近い。霙さん、その辺にしておきましょう」
「あーあ。せっかく手土産出来たと思ってたのに。しょうがないか」
2人が姿を消すと、硯は出血が酷くその場に倒れ込んでしまった。
「硯!?」
「まったく。あれほど慎重に動くようにと」
「うう・・・ごめんなさい、おっちゃん1」
「おっちゃん1とか2とかで呼ぶなっつったじゃろ。颪田、一昨日作った塗り薬持ってきてくれ」
「了解」
少し離れた場所にあるぽつんと建った小屋のような家屋。
そこに硯を運んできた萌久来は、そこにいる人物に事の経緯を説明すると、その人物は説明を聞きながらも手際よく処置をしていく。
一緒に住んでいるもう1人の人物が塗り薬を持ってくると、それを意識を取り戻した硯の肩に塗って行く。
硯の身体に包帯を巻き終えると、今度は萌久来の傷にも薬を塗って、包帯を巻いて行く。
その様子を眠そうに見ていた颪田は、足をブラブラさせながら大きな欠伸をしてからこう言った。
「ソノ、詰め甘い」
「がびーん!充に言われたくなかった」
「厳名さん、一体何者なんでしょう?」
「そうさな・・・」
硯と萌久来を治療した男は厳名茂吉。
白い短髪に白の着物、橙の亀甲菱形の羽織を羽織っている、普段は陶芸や医者として生活をしている。
もう1人の颪田充蔵は普段絵師の仕事をしており、黄色い長めの髪に痣だらけの身体、顔にはなにやら自分で描いたと思われる模様があり、緑の青海波柄の着物に紫の無地の羽織を着ている。
茂吉は羽織を靡かせ整えてから座り直すと、身体をゆっくり起こしていた硯に対してこう言った。
「相手がどこまで知っているのかわからん故、俺も何とも言えんが・・・。刀は手入れしてるんじゃろう?」
その茂吉の質問に対し、硯はおろおろしていたのだが、萌久来が代わりに答える。
「硯の分も私が手入れしています。ですが、抜く時間がありませんでした」
「いや、話を聞いた限り、抜けなくとも仕方のない状況じゃ。そこはよい。だが、また奴らが来たとき、刀が錆びていたじゃ話にならんと思うただけじゃ」
茂吉が薬草を確認していると、そこへ元気な声とともに乱入してきた人物がいた。
「うははは!!仕事の途中だけど腹減った!家帰るの面倒臭いからここで何か喰わせてくれよ!!厳名のおっちゃん!!!あれ?なんで其之助と有造までいるの?お前らも飯食いにきたの?」
「叉門!!」
「南丹樫、飯食うためだけに来るなって何度言ったと思ってるんじゃ」
「何かない?出来れば握り飯も持たせて」
「図々しい」
髪の毛に葉っぱを沢山つけて訪れた男は、南丹樫叉門。
普段は飛脚の仕事をしているため家にいることはあまり無いらしく、緑のはねた髪を後ろで1つに縛っており、動きやすいという理由で基本的には紺の作務衣を身につけている。
とても目が良いようで、山賊や追剥などをすぐに見つけて道を変更することが多々あるとか。
とはいえ、叉門の走りは猪にも似ているため、ちょっとやそっとでは捕まえることは出来ないだろうが。
それに、滅法良く食べる。
「ねえねえ何があったの!?」
「歩きながら話しますよ」
茂吉たちに礼を言うと、硯と萌久来はその場を後にする。
叉門はでかい握り飯を颪田に作ってもらい、それを食べながら萌久来の話を聞いていた。
「ふーん」とか「へー」とか、聞いているのかいないのか、いや、聞いているのかもしれないが、理解していないのかもしれない。
まあいいかと、叉門は仕事に戻るということでどこかへと走り去って行ってしまった。
「叉門は元気だなー」
「硯も似たようなもんですけどね」
「はあ・・・。酒が呑みてぇ」
仕事を終えた1人の男が歩いていた。
真っ黒で肩まであるかないかくらいの髪に、青の無地の着物に、白の生地に桜柄が描かれている羽織を召している。
男は黒滝志十郎といい、叉門と一緒に住んでおり、普段は大工を生業としている。
なぜ一緒に住んでいるのかというと、家賃を折半するためだ。
大勢で住んでもっと支出が減らせるのであればそれに越したことはないのだが、2人までしか許可出来ないとのことで、仕方なく2人で、ということだ。
とはいえ、黒滝の場合は同居人の叉門が飛脚という仕事で、長いと月の半分いないこともあるため、1人で住んでいるのと大差ないこともあるが。
仕事を終えて帰路を辿っていると、なにやら不穏な空気が流れる。
黒滝は歩きながらも、そのいつもとは違う空気が何なのか考えることもせずにいたため、突如として発覚したその原因に思わず目を丸くする。
「なんだぁ!?てめぇ・・・」
黒滝の前に現れた人物は、茶色の髪を後ろで1つに縛り、右目の下にホクロを落とし、着緑の紗綾形柄の着物に白の羽織を身に纏っている。
まるで辻斬りのようにいきなり襲いかかってきた人物に、黒滝は自分の腰のあたりに手を置いてみるが、そこには何も無いことを思い出す。
「(ちっ)」
心の中で舌打ちをしていると、相手は自らをこう名乗った。
「俺は蛍段次郎(ほたるたんじろう)。悪いが、その首討ちとらせてもらう」
「ああ!?俺は黒滝志十郎だ!!てめぇのことなんざ知らねえぞ?なんで俺を狙う?俺は刀も何も持っちゃいねぇぞ!」
「俺は辻斬りじゃない。辻番だ」
「・・・はあ!?なら余計に意味がわからねぇ。辻番が何用だ?」
蛍と名乗った男は、辻番でありながら辻斬りのようなことをするという矛盾を行っていたため、黒滝は徐々に苛々していた。
今自分が刀を持っているわけでもないというのに、どうして狙うのか聞いてみても、蛍はただなんとも言えない表情でそこに佇んでいるだけだ。
黒滝は額に血管を浮き上がらせながら、蛍に向かって拳を振り下ろす。
「避けんじゃねえ!!!」
「避けなきゃ当たる」
「当たんなきゃ意味ねえだろうが!!俺ぁ今てめぇのせいで沸騰しそうなんだよお!!」
「・・・人間は沸騰しない」
「クソかてめぇ!!」
ぱさ、と気付かないうちに黒滝の髪の一部が斬られていたらしく、地面に向かって綺麗なそれが落ちていく。
「おい・・・何してくれてんだ」
特に髪の毛に執着しているわけでも、こだわりがあるわけでもないのだが、見知らぬ男に斬られたということが気に入らないようだ。
黒滝は更に拳に力を込めると、蛍は少し腰を落として右足を前に出し、構える。
丸腰の黒滝はそれを見て、相手が自分を殺す心算で来ていることを確信すると、武器など持っていないなりに構え、蛍の目線や呼吸に意識を向ける。
互いに互いを意識し集中している。
びゅうう、と風が吹いた途端、蛍は一気に黒滝との距離を縮める。
蛍の抜いた刀は綺麗に弧を描き、ぐぐっと伸びて黒滝の鼻先に向かってくる。
それを避けようとした黒滝は、刀の動いている方向に身体を動かしながら、身を屈めて退避する。
しかし、蛍は最後まで振り切ることはなく、斜め上に向かって振りあげたかと思うと、避けた黒滝の首を真上から斬ろうとしていた。
「!!!」
―こいつ!読んでいやがった!!
黒滝の身体の重心や動きの方向を読まれ、自分に向かってくる刃先に思わず目を見張っていた黒滝だったが、次に襲ってきた痛みは首にではなく背中だった。
「いって・・・」
痛めた身体のことはすぐに忘れ、顔をあげて何が起こったのかを確認すると、自分が近くの蕎麦屋の建物に背中からぶつかったのだと分かった。
そして先程までいた場所を見てみると、そこには見たことのない男が蛍の刀を受け止めていた。
「・・・誰だ?」
「ただの辻番だ」
「俺も辻番だ。不毛な戦いはやめないか」
「お前が辻番・・・?辻番がなぜ刀も持たぬ奴を襲う?お前がしていることは辻番とは正反対のことだ」
キンッ、と互いの刀が弾かれて一定の距離を取る。
黒滝を蹴り飛ばして蛍の前にいる男は、栗色で額を出した少し長い髪に、襟元が右は赤で左は黒、白の生地に線のみで花や蝶が描かれている着物に、水色の羽織を着ている。
数秒だけ静寂が漂ったあと、蛍とその男は激しい斬り合いを始める。
それを眺めていた黒滝だが、ふと、自分の腕が斬られていたことに気付き、そこを簡単に止血する。
時間にして数分経った頃、蛍と男の刀同士がぶつかり距離が縮まると、蛍は自分の名前を男に名乗る。
「俺は蛍段次郎だ」
「・・・柯暮乃一文字」
「柯暮乃、一文字・・・」
そう呟くと、蛍は柯暮乃の刀を弾いて自分の刀を鞘に収める。
「今日はこの辺にしておく」
「・・・・・・」
そう言って蛍が背中を向けて歩いて行くと、柯暮乃も自分の鞘に刀を収め、くるりと踵を返した。
その時、「おい」と声がしたためそちらを向くと、そこには先程自分が蹴飛ばした男が不機嫌そうに立っていた。
「よくも蹴り飛ばしてくれたなぁ。ああ?」
「俺が蹴っていなかったら死んでいた」
「死ぬか!なんとかして避けようと思ってたんだよ!てめぇなんぞに助けてもらうほどヤワじゃねえんだよ!!」
「そうか。悪いことをしたな」
「あ?」
「俺は用事がある。もう行くぞ」
「・・・おい!!!」
叫んで呼び止めてみたものの、柯暮乃という男が振り返ることはなかった。
黒滝は色々ともやもやしながら、家に帰る前に茂吉のもとへ向かって治療をしてもらおうと歩きだす。
その間の黒滝の顔はあまりにも鬼のようで、何度か辻斬りと間違われてしまったらしい。
なんとか茂吉のもとにたどりつくと、勢いよく扉を開けたものだから、絵付をしていた颪田に睨まれてしまった。
「おい!厳名の親父!!」
怒鳴るようにして不躾に入りこむと、茂吉は煙管をふかしながら出て来た。
「なんじゃ、お前もか」
「ああ?」
黒滝から話を聞いた茂吉は、硯と萌久来の身に起こったことを話している間、黒滝はただただ唇を尖らせていた。
刀を持っていなかったのによく助かったなと茂吉に言われた黒滝は、見知らぬ辻番と名乗る男が割り込みをしてきたのだと述べる。
怪我の具合もそこまで深くなかったため、黒滝は「おう、悪かったな」と言って帰って行った。
黒滝が家に帰ると、そこには仕事を終えて1人でもりもりとご飯を食べている叉門がおり、よく見てみると、黒滝が数日に分けて食べるはずだった食料が全て食べられてしまっていた。
「てめぇ!!!なんでいつもいつも後先考えねぇであるもの全部喰うんだよ!!明日どうすんだ!?いや、それよりも今日の俺の晩飯どうすんだよ!!!」
「ん!!んん!!んっ!!」
「口の中のモン全部吐き出させてやろうか。そうすりゃてめぇの飯だけは数日もつかもしれねぇなぁ。あ?」
「んんんん!!!んんん!!」
「分かんねえよ!!!」
「どうなの?進んでる?」
「もちろん。僕は天才だからね」
「あれー?食満はどうしたのかな?」
「さあ?傘でも作ってるんじゃない?」
千波、霙、蛍の三人は、透明の箱に綺麗に飾られている宝石を眺める。
「由来志渡―、何か成果・・・お!お前らも来てたのか!」
「破魔矢さん、お久しぶりです」
「矜持、生きてたんだね」
由来志渡太助(ゆらしどたすけ)はいわば研究者で、銀色の長い髪を1つに縛っており、紫の生地に唐草模様が描かれた着物の上に白衣を着ている。
そして後からやってきた男は破魔矢矜持(はまやきょうじ)、黄土の短髪で顎には髭が生えており、青と黒の市松模様の着物に黄色の羽織を纏っている。
実はもう1人この場におり、大きめの1人用の椅子に腰かけている男の名は土居玲麻(どいれま)、緑の長めの髪に青の七宝柄の着物に青の無地の羽織を着ている。
「ネズミって結構稼いでるんだろ?金と情報もらうだけもらって、さっさと殺しちまおうぜ」
「破魔矢さん、物騒ですよ」
「予知者さんはどうなんだよ?ネズミは生かしておいた方がいいのか?それとも殺しちまっていいのか?」
破魔矢がそう言いながら土居の方を見ると、土居はゆっくりと目を開けて微笑む。
周りの会話を気にせずに、由来志渡は箱越しに宝石を少しだけ削ると、それを何かの液体に浸していた。
「すばらしい世界にしようね。こんな世界はさっさと終わりにして、新しい世界にするんだ。んー、本当に良い未来しか見えないよ」
「土居、ネズミをどうするかを聞いているんだ」
「段次郎、そんなに怒らないでよー。んー、そうだなー。殺しちゃうのは可哀そうだけど、新しい世界にはいらないなー」
「じゃあ殺すんだな!?」
「矜持落ち着いてー。まずは話し合わなきゃダメだよ」
「捕まえる、ということですね」
破魔矢は納得していないようだったが、千波と霙はそれを聞くや否や消えた。
残された破魔矢は、ぶつぶつと文句を言ってはいたものの、近くにいた蛍にさらに近づいてきて、拷問になったら俺がする、と釘を刺してきた。
蛍はそれに何も答えることなく、破魔矢が立ち去っていく背中を見ることもなかった。
「僕もがんばらなくちゃ。早く呪いの謎を解くぞー」
「行ってきまーす!!」
「はい、気を付けてくださいね」
朝早くから何処かで火事があったらしく、硯は家を出て行った。
萌久来はそれを見送ると、1人で朝食をしようと準備をしていた。
そのとき、とんとん、と戸を叩く音がしたためそちらに向かって歩いて行って静かに開けると、思わず目を見開く。
「どうしたんですか?南丹樫」
「・・・志十郎にキレられた」
「まあ、どうぞ」
そこには顔のあらゆる場所を殴られたのか、痣だらけでたんこぶまで出来ている叉門が弱々しく立っていたのだ。
いつもの叉門とは違うその様子に、萌久来は優しく中へと入れる。
事のいきさつを聞くと、叉門が悪いなと思いながらも、黒滝もやりすぎだと感じた。
朝食もまだだということで、萌久来は昨日も一昨日も食べた鮎の塩焼きを出せば、叉門は萌久来に両手を合わせて拝みながらそれを口に運んでいた。
「!!」
萌久来は鮎を持っている叉門の腕をいきなり引っ張ると、床を蹴って壁際に移動した。
そこには藁が束ねて置いてあり、その横には萌久来が仕事で使う鋏や櫛などが綺麗に整えられた状態で台の上に並んでいる。
その藁の中に手を突っ込んだ萌久来の前には、見覚えのある男女が立っている。
「生け捕りになりましたので、おとなしく付いてくるか、手足を折られて連れて行かれるか、どちらが良いですか」
「・・・どっちもいやですね」
目の前に現れた千波と霙に、叉門は鮎を食べながら目をぱちぱちしていた。
隣に居る萌久来に誰かと問えば、この前自分を襲った奴らだと教えてもらい、ようやく敵なのだと判断出来た。
「時間の無駄だかな。よし。手足を斬っちゃおう」
そう言った霙が萌久来に向かってくると、千波も未だ鮎を食べている叉門に向かってクナイを投げる。
叉門は鮎を食べながら床を蹴ってそれを避けると、空中に移動した叉門の足元に千波が撒菱を投げる。
着地しようとした叉門だが、咥えていた鮎を指していた串を床に刺して、そこを軸にして撒菱の無い場所に足をつく。
「身軽ね。もしかして忍?」
「え!俺ってそんなに身軽!?確かに足は速いって言われるけど、それは飛脚として当然っていうか・・・。軽業師を目指したこともあるからかな!!」
「へえ、どういうことかな?なんでただの髪結が刀なんて持っているのかな?っていうか、もう1人の男は何処かな?」
「ただの髪結相手に、刀を抜かないでほしいものですね」
ギギギ、と刀を合わせる音が聞こえてくる。
互いの刀を弾くと、霙はひゅんっと刀を横に動かした。
何だろうと思っていると、叉門が立っている場所に向かって刃風が飛んで行き、それに気付いた叉門に萌久来が硯の刀を投げて渡すと、叉門は鞘をつけたまま弾く。
その勢いで叉門が戸ごと外に飛び出てしまうと、外に居た近所の人たちが何事だと顔を覗かせはじめる。
「霙さん、もっと静かにお願いします」
「そんなこというなら、朝っぱらじゃなくて夜に襲った方がいいよね?この辺の人が早起きだなんて知ってたのかな?知らないよね?そもそも、この前の怪我で弱ってると思ったから来たのに、なんでそんなに回復してるのかな?それに刀を持ってるなんてどういうことかな?」
「霙さん、撤収しますよ」
そう言うとさっさと屋根裏から逃げてしまった2人に対し、萌久来は刀をしまって叉門を回収に向かう。
近所の人にはちゃんばらをしていたのだと誤魔化し、戸を直した。
なんとか戸を元に戻した萌久来に対し、叉門はこう言った。
「有造と其之助、厳名のおっちゃんのところに行けば?」
ということで、茂吉と颪田の家へ行くことにした。
再び襲われたことを聞くと、茂吉は数日は泊まっていいということを言ったため、萌久来は髪結道具など一式も持ってきた。
ここで仕事が出来る出来ないはどちらでもよく、刀と同じで手入れをしたかったからだ。
一方、仕事を終えて家に戻った硯は、そこにいるはずの萌久来がいなかったためあわあわと家の中を探しまわった。
それでも何処にもいなかったため叉門の家に泣きながら向かうと、叉門と黒滝から何があったのかを聞いた。
「良かった―。有が俺を置いて嫁いじゃったのかと思ったー」
「萌久来が硯を置いて嫁いでも問題はねえし、そもそもあいつを嫁ぎたいと思う奴はいねぇよ」
「志十郎、わからないよ!世の中には物好きだっているんだから!」
「そうだよ!十郎っていつもいじわる!」
「一々泣く奴は嫌いなんだよ」
黒滝にはっきりそう言われてしまうと、叉門と硯はさらに激しく非難したが、黒滝の睨みには互いの手を握って大人しくするしかなかった。
結局、萌久来がいない間、硯は硯で叉門と黒滝宅に泊まることとなった。
「ノ夛、いるかな?いるよね?」
「いるよ!!なになに?また刀折ったの?相変わらず適当に力付くでなんとかしようとするのはどうかと思うけど、えーっと、誰だっけ!!?」
「霙太残(みぞれだざん)だよ。それから、力付くでなんとかしようとしてるのは俺じゃなくて矜持ね。ちょっと刃零れしたから研いでくれないかな?」
「もちろん!本当に刀って素敵だよね!もっともっと斬れ味の良い刀を作りたいんだけど、なかなかねー。それに、原料も良くない。なんとかしてあの噂の原石を手に入れたい!」
「さっさとしてくれるかな?」
「大丈夫!見た感じ、そこまで刃零れしてないから、すぐ終わるよ!!」
霙がやってきたのは、世話になっている鍛冶・刀工をしている磐梯ノ夛(ばんだいのた)という男だ。
もともとこういう仕事をしていたわけではないようだが、以前は何をしていたのかは誰も知らない。
髪が後頭部あたりから前が黄色で、それより後ろは青で左側で1つに縛っており、耳には変な飾りをつけているし、色んな色の毬柄の着物に、正面から見て左が青で右が黄色の羽織を身に纏う。
一見派手好きに見えるが、人前に出たいとか何かで名を馳せたいとか、そういう思考回路は持ち合わせていないらしい。
「そういえば、その、えっと、なんだっけ、さっきの名前」
「矜持のことかな?」
「そうそう。来てるよ。もうすぐ戻ってくるんじゃない?」
「おー、呼んだか?」
丁度やってきた破魔矢は、歯に爪楊枝を入れているところを見ると、何かを食べて来たのだろう。
霙が来ていることに気付くと、「失敗したんだな」と嫌味っぽく笑いながら近づいてきて、霙の肩に腕を回そうとした。
しかし、それよりも先に霙がスッと移動したため、破魔矢は軽くバランスを崩した。
わざとらしく「おっとっと」と言いながらもすぐに体勢を立て直すと、磐梯が自分の刀を研いでいるのを確認する。
「で、なんで蛍は別の男襲ったんだ?千波とてめぇの調査じゃあ、あの火消しなんだろ?」
「前に段次郎が見たネズミと歩き方が同じだったって。詳しい事はしらないけど、段次郎は段次郎で動くらしいよ。それを許可されてるみたいだし」
「ほおー。好き勝手動けて羨ましいこった。あいつに付き合えって言われてんだよな」
「矜持も好き勝手動いてるよね」
「終わったよ!はい!えーっと・・・」
「破魔矢矜時な」
「誰でもいいけど、いよいよ俺達の世界が始まるんだね!!その世界創設に関われるなんて嬉しいよ!!でも、俺達だけが生き残ってもちょっとつまらないな。みんな次元の狭間に巻き込まれて捻り死んじゃったとしたら、それさえ見られないんでしょ?もっともっと楽しいことしたいのに!!!」
「ノ夛、喜助と約束があるんだよね。今日中に終わらせないならその首斬るからね」
「斬るの?斬ったら研ぐ人いなくない?」
「いいから早くして」
それから数日後―
「有!心配したんだよ!どうして勝手にいなくなったの!」
「硯、鼻水がつきますから離れてください。勝手にいなくなったのは申し訳なく思っていますが、年齢も年齢ですので、そんなに心配されるのもどうかと」
「俺はね!心配なの!誰がいなくなっても心配なの!だってここがバレたのも俺のせいだしね!!」
「それは否定しませんが」
「がーん!!!」
硯は一足先に長屋に戻ってきており、夕方になって仕事から戻ると、そこにいた萌久来に勢いよく抱きついた。
萌久来が戻ってきた喜びを全身で表現した硯だったが、萌久来は軽く頭を撫でながらも受け流す。
ふと、萌久来は何かを思い出したように刀を取り出した。
「どうしたの?」
「いえ、厳名さんのところにいるとき、刃先を傷つけてしまったので・・・」
「俺行くよ!」
「何処へです?」
「鎧戸のとこ!有は危険だからここにいるんだからな!」
そう言うと、すでに陽が暮れるというのに、硯は萌久来の刀を持って、鎧戸という人物のもとへと向かってしまった。
残された萌久来は、刀も無い状態で1人の方が危険なのではとも思ったが、硯の刀があることを思い出し、それを寝床に置く。
とはいえ、そこまで近くはないあの場所にたどり着くには、足の速い叉門であっても明日の夕方になってしまうだろう。
硯を止める手立てもない今、萌久来は「まあいいか」と思うほかない。
と思ったのだが、やはり持ち慣れていない使い慣れていない刀で闘うのも不安だったため、また迷惑をかけてしまうが、厳名の家に向かう事にした。
置手紙を残そうかとも考えたが、もしあいつらが来てこれを読んでしまったらと思うと、何も残さずに出るしかなかった。
「南丹樫のところにでもまた行きますよね」
割と近い場所に住んでいる叉門と黒滝のもとへ何かあったら行くだろうと、萌久来は硯の刀を持って出かける。
硯が山道を懸命に走っている頃、仕事中だった叉門と黒滝の前に男たちが現れる。
黒滝の前には以前名乗ってきたあの蛍という男がおり、叉門の前には初めて見る市松模様の着物の男がいる。
「お前暇なのか?こっちは仕事中なんだよ。用事があるなら後にしろ」
「悪いが、こっちも仕事より大事な用で来ているんだ。大人しく付いてくるか、勝負をしろ」
「勝負って、俺丸腰」
「嘘を言うな。持っているだろう、刀」
そう言うと、蛍はいきなり刀を抜いて黒滝に襲いかかってきた。
家を支えるはずの柱が綺麗に斬られてしまうと、棟梁が顔を出して黒滝に何をしているんだと叱ってきた。
「俺が壊したわけじゃねえし、喧嘩したくてしてるわけじゃねえんだよ!!!」
「おめぇなぁ!ちょっと腕がいいからってなあ!あと顔がいけてるとか、背が高いとか、声が良いとか、俺の跡継げるくらい職人として立派に・・・」
「おい親父いいいい!!今それどころじゃねえっつってんだろうが!!!」
周りの若い衆は危険を察知して逃げているというのに、親方だけは柱を斬られてしまった怒り(主に黒滝への期待)に駆られていた。
そんな黒滝への言葉を綴っていると、黒滝に傷を負わせることしか考えていない蛍の攻撃が親方にまで襲いかかる。
親方が思わず目を瞑ると、黒滝は腰に隠していた折り畳み式の、しかし通常の刀の性能と変わりない刀を取り出し、蛍のそれを受け止める。
「親父っ、悪いが今日は休ませてもらうわ。後で修理もしっかりするから・・・よッ!!」
語尾を強めながら、黒滝は蛍の刀を弾く。
「クソがぁ・・・!今日分の給料てめぇらから徴収してやるよ!」
一方、相手が破魔矢という男だと知った叉門だが、覚える気はないようで、先程からおっさんおっさんと呼んでいた。
「なんなんだよ!!俺は仕事中なの!これから山幾つも越えなきゃいけないの!暇じゃないの!!どけ!」
「おうおう、威勢のいいガキだな。ネズミが奪った金の在処知ってるか?」
「知らねえよ!あほ!」
「あほ言うな!」
「もうすぐだ!」
硯は萌久来のために走り続けていた。
眠らずにようやく辿りついた場所は、何度も来たことのある日本家屋なのだが、目的の場所は併設された場所にある。
台所のような、地面が剥き出しになっている場所には幾つもの天然の砥石が並んでいる。
そこに立ち入ることは禁止されており、もしも無断で勝手に入ろうものなら、この砥場の家主に宙づりにされてしまうだろう。
昔のことを思い出して少しだけ身構えてしまった硯だが、戸を叩いて挨拶をしようとしたその時、後ろから別の声が聞こえて来た。
「ここが、ネズミに手を貸してる鍛冶屋の居所ってわけか」
「・・・!?」
硯の両脇にはそれぞれ男が立っており、1人は霙であることは分かったが、もう1人は初めて見る顔だった。
青い髪を後ろで1つに縛り、頬や額に絆創膏などの手当ての跡がある、水色のかごめ柄の着物に黒と白の桧垣柄の羽織を羽織った男だ。
霙が、その男に向かってこう言う。
「喜助、お手柔らかにね」
「うっせ。俺様に命令するな」
喜助と呼ばれた男が刀を抜くと、そのまま振りかぶって戸ごと豪快に斬ろうとしていた。
硯は持っていた萌久来の刀を反射的に抜くと、喜助が刀を振り下ろす前に止めようとしたのだが、喜助はその硯の刀に自分の刀を振り下ろし、硯の刀は折れた。
カラン、と切ない音を立てて地面に落ちている刃先を見て、硯は一瞬呼吸を忘れる。
「邪魔をするな」
再び喜助が振りかぶり、後はそれほど力を入れずに下ろせば良い。
それほど時間はかからない、そんな動作。
「新しい世界のために」
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