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第弐柄【堤撕】
名もない草も実をつける
いのちいっぱいの花を咲かせて
相田みつを
「おい、てめぇ誰だ?年寄りには用はねぇぞ」
「厳名のおっちゃん!なんでここに」
「俺がなんでここにいるかはどうでもよいことじゃ。知るべきは、何故お前等が狙われているか、ということじゃ」
叉門の前に立ちはだかる茂吉の腰には、いつもは持ち歩いていない茂吉の刀が収まっており、破魔矢は厳名に刃先を向ける。
「何処の誰だか知らねえが、邪魔するってんならここで殺してやるからな」
「邪魔をされたのはこちらじゃ。それに、そんな刀で俺を斬れると思うな」
「ああ!?」
茂吉の言葉にいらっとした破魔矢だったが、次の瞬間、茂吉から放たれる殺気に呼吸が乱れるのを感じた。
「はっ・・・!?」
茂吉の殺気に驚いたのは破魔矢だけでなく、後ろにいた叉門も同じだった。
いつもとは全く異なる茂吉の空気に、叉門は持っていた荷物を落としそうになるが、地面に落とすギリギリのところでなんとか受け止めた。
ふう、と深く息を吐くと、茂吉は刀を抜く。
瞬時に破魔矢も構えたのだが、それよりも速く、茂吉の刀は破魔矢の鳩尾あたりに綺麗に入った。
「うっぐ・・・!!」
「え?え?」
思わず目を瞑った叉門だったが、破魔矢の身体から鮮血は出て来ず、破魔矢はその場に倒れ込んでしまった。
茂吉が刀を鞘にしまうと、叉門にこう言った。
「さっさと仕事終わらせろ。そしたら鎧戸のところに来い」
「え?うん。わかったけど、なんでこいつ死んでないの?」
「峰打ちだからじゃ」
「え?いつ峰打ちにしたの?」
「抜いてすぐ。さっさと行かんか」
叉門は茂吉に御礼を言うと、てってかてってか走りだした。
一方、黒滝の方にも援軍が来ていて、傷が以前よりも増えている気がする。
「珍しいな、颪田が外に出るなんざ」
「ようやくお目にかかれた。喧嘩売ってる野郎の顔が」
「おい、聞いてんのか」
「クロ、お前は怪我してんだから下がってろ。すっこんでろ。首突っ込むな」
「この野郎」
颪田が蛍に突っ込んで行くと、蛍は刀をひゅんひゅんと動かしながら後ろに下がって行く。
すると、颪田の顔や身体には次々に切り傷が生じる。
「!?」
いつも冷静な蛍の顔が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ固まったように見えたのは、颪田が傷を作りながらも、少しも怯むこと無く襲いかかってくるからだ。
颪田は蛍に向かって様々な角度から刀を振り動かして行くだけで、蛍を狙っているのかは定かではない、そんな動きだ。
もしかしたら刀の扱いには慣れていなくて、適当に振っているだけではないかと思った蛍は、颪田の攻撃を受け流しながら、隙間を突いて颪田の首を狙った。
蛍の刃先は颪田の方へ吸い込まれるように向かったのだが、なぜか刀は蛍が思っていた方向とは別の場所へと向かって行った。
そして気付けば颪田が真横におり、蛍の首を後ろから取るべく刀を動かす。
「!!危なかった・・・」
それをひらりと避けると、蛍は一度刀を鞘に収める。
そして居合の格好を取ると、颪田は刀を構える。
「いて」
颪田の頭を叩いたのは、他でも無い、ずっと放っておかれていた黒滝だ。
自分と蛍の戦いが始まってまあまあすぐに颪田が来てしまったため、ちゃんと蛍と戦っていないのだと、黒滝は颪田に訴える。
しかし、颪田としては黒滝はまだ怪我が癒えていないのだから、もし斬り合いをするとしても万全の体勢がいいだろうと説明したのだが、黒滝は納得出来ずにいた。
「なんで俺の邪魔すんだ?あ?」
「邪魔してない。クロは怪我してる。だから代わった」
「うるせんだよ。頼んでねんだよ。いつ俺が颪田に頼んだよ?あ?頭下げて頼んだか?お願いでもしたか?なんで楽しそうに斬り合いしてんだコラ」
「だから怪我してるから。厳名も安静にって言ってた」
「安静にしてるわボケ。もう十分安静にしたわコラハゲ」
「ハゲてない。髪ある」
「いいから俺に代われって。本来は俺の相手なんだよ。喧嘩売られたのは俺なんだよ。てめぇじゃねんだよ」
「めんどくさい」
「ああ!?」
なぜか黒滝と颪田で言い争いになってしまい、蛍はどうしようかと思っていると、物影に見知った顔を見つける。
蛍は構えていた格好を止めると、そちらに向かって行ってしまった。
「あ!逃げた!」
逃げたわけでは無かったが、蛍が物影に向かってみると、そこにはお腹あたりを抱えている破魔矢がいた。
どうしたのかと聞いてみると、白髪の男が現れて、峰打ちで思い切りやられてしまったということだった。
肋骨が折られており、内臓にも傷がついているかもしれないため、蛍は破魔矢に手を貸してその場を後にする。
言い争いをしながら、蛍が隠れたであろう建物の影へと向かった黒滝と颪田だったが、もうそこには蛍の姿はなかった。
「逃げられたじゃねえか!!」
「知らない。別にいいし。それより早く行こう」
「あ?何処に?」
「・・・何だ?」
戸ごと吹き飛ばす心算で振り下ろした刀だったが、それは何かによって弾き返されてしまった。
弾き返されたそれにより、喜助の頬には傷痕がついていた。
「何かな?どこにでもいるのかな、邪魔する奴って」
土埃が収まりつつある視界の中に、はっきりと見え始めた黒い人影。
その人影は、自分の手に持っている刀を眺めたかと思うと、ひゅんっと一振りして鞘に収める。
「今打ってもらっているんだ。相手をするにして、予備の刀しかない」
「・・・生意気な奴だな。俺様の攻撃を跳ね返すなんざ、反吐が出る」
「大したことなかったからな。この刀でもなんとかなりそうだ」
「なんだと?」
煙の中から出て来た人影の顔がようやく見えると、攻撃を跳ね返されてしまった男はこう言った。
「俺様は食満喜助(けまきすけ)だ。今ここでお前を殺す男だ。覚えておけ」
「覚える覚えないは俺が決める」
「てめぇ・・・!!」
食満は男に向かって刀を抜く。
男がその攻撃を避けると、それまでじっとしていた霙も動き出した。
すでに折れてしまった萌久来の刀を持ったまま、その場に膝をついてしまっている硯の首に向かって刃を振り下ろした霙だが、その刃は食満が相手をしていたはずの男によって弾かれてしまう。
「喜助、ちゃんと相手してくれるかな。邪魔されたんだよね」
「わーってるよ、黙ってろ」
男は硯の首根っこを持ちあげると、ぽいっと離れた場所に向かって放り投げる。
霙と食満はそれぞれの刀を男に向けると、食満が先に動きだした。
男が食満の刀を受け止めると、男の脇腹を狙って霙が食満の影から現れて刀を振るおうとするが、男は地面を蹴ると刀を軸に身体を浮かせ、そのまま足で食満の背中を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた食満自身も、刀を振りかぶっていた霙も、それぞれ足を力んで踏ん張ったため、互いを傷つけることはなかった。
なんとか2人の攻撃を避けることが出来た男だったが、自分の手の甲にすう、と切り傷があることに気付く。
それでも平然としたまま刀を構え直すと、食満は舌打ちをして歯ぎしりをし出した。
一方、霙は刀を一度軽く振ったあと、食満の名前を呼びながら静かに鞘に収める。
「喜助、帰ろう」
「何言ってんだ?帰るならてめぇ1人で帰れや。俺様はこいつを殺すんだ」
「面白いからもう少し生かすことにしよう。どうせまた会うんだし。喜助だって、俺と2人でこいつに勝ったって嬉しくないよね?」
「・・・・・・」
霙の言葉に、拗ねたような顔を見せた食満は、行き場の無いもやもやを晴らすべく、「あ」に濁音を付けたような声で叫んでいた。
そして近くにある木々を刀で数本斬り倒すと、少しは落ち着いたのか、刀を鞘に乱暴にしまった。
食満はそのままドカドカと歩いて行ってしまい、霙はそんな食満の背中を眺めていたのだが、ふと、男の方を見る。
笑みを崩さないままの霙に対し、男は一切笑い返そうとはしない。
何か言うのかと思っていたが、霙は何も言う事はなく、かといって何か訴えてくるような空気もなく、ただ笑みを更に深めてから立ち去って行った。
男も刀を鞘に収めると、まだ呆然としている硯に声をかける。
「おい、大丈夫か」
ようやく顔をあげた硯は、自分のものではないソレを、男に見せるようにして持ちあげると、顔を青ざめた。
「どどどどどどどどどうしよう・・・。こんなの見せたら・・・・・・!!ここここここここここ殺されるよおおおおおお!!」
一体誰にだ、と言うところなのだろうが、硯が恐れているその人物に関しては、男も思い当たるところがあったため、何も聞かなかった。
ガサガサと、霙たちが去って行った方とは逆の方向から音がしたためそちらに顔を向けると、そこから出て来た人物に向かって、硯は思いっきり抱きついた。
「うわあああああああ!!どうしよう!どうしよう!!俺の人生ここで終わっちゃうかもしれない!!!!!!」
いきなり硯に抱きつかれた人物は、硯を慰めるわけでもなく、むしろ邪魔だと言いたげに頭をがしっと掴んだ。
「大の男が泣くな」
「だってえええええ!!だってええええ!」
わんわんと泣きだしてしまった硯の声に気付いたのか、はたまた先程の斬り合いから気付いていたのか、それともそんな外の様子には全く気付いていなくて、ただするべきことが終わったからなのかは定かではないが、家屋の中から声と共に人が出て来た。
「柯暮乃さん、研ぎが終わりましたので、確認していただけますか」
怪我をした破魔矢と、その破魔矢の身体を支えるようにして付き添って歩いていた蛍は、由来志渡たちがいる場所に到着していた。
「くそっ!」
「安静にしてれば、破魔矢のことだからすぐ治るだろう」
「すぐ治すわ、こんなもん」
いてて、と言いながらも元気な破魔矢を見て、蛍はひとまず安心した。
由来志渡も、破魔矢の怪我を見て、しばらくは急かされること無くゆっくり研究が出来るよ、と言っていた。
「霙と食満はどうなった?」
「さあ。相手は鍛冶屋、刀を握ったことはあっても振ったことはないだろうし、始末出来たんじゃないか?」
「磐梯みたいな奴だったらどうすんだよ」
「そこまでは面倒見切れない。なんとかしてるだろ」
自分達と同じように任務に出て行った霙と食満のことを話し出した破魔矢だったが、またすぐに自分のことをこんな身体にした男のことを思い出し、苛々し始める。
一体どういう男だったのかと蛍が聞いてみるも、食満の説明力が足りないのか、それとも蛍の理解力がないのか、よく分からなかった。
多分、食満の説明力の問題だ。
「じいさんだよじいさん!白髪だった!」
「じいさんって・・・。じゃあ、元々侍だったとか、辻番だったとか、逆に辻斬りだったとか・・・」
「そういうんじゃねえ!あいつの目つきはそういうんじゃねえ!!なんてーか、狼!狼?違うな、獅子!獅子も違うな・・。んー、あれをどういえばいいのか俺にはてんで思い付かねえ・・・!!」
「・・・別に動物に例えられても困る」
破魔矢は羽織をばさばさと動かしながら、どういう目つきだったのかをなんとかして蛍に教えようと、自分の目元を指でいじってみるが、思うようにはいかないらしい。
そんな破魔矢の行動を冷めた目つきで見ている蛍は、心底どうでもいいと思っていた。
小さくため息を吐いてみても、破魔矢はまったく気付かずにまだ目元をいじっており、ついには自分の目を自分の指で攻撃してしまい、黙って目元を押さえるというなんとも可哀そうな男だ。
とはいえ、普段は商人として立派に商いをしているらしいが、蛍はその姿を見たことが無い為なんとも評価は出来ない。
面倒臭いからこの場から離れようとした蛍だったが、その時、予知者のもとに行っていた千波がやってきた。
千波が来た事に気付いた破魔矢は、まだ指を入れてしまった違和感があるのか、目をパチパチさせながら名前を呼ぶ。
「千波、何か用か?」
破魔矢の家でもないのにと、睨みつけてやりたいところでもあるが、千波は平然と見やるだけ。
「破魔矢さんに用はありません。みなさんにこう伝えろと言われました」
「なんて?」
「『新しい刀を手に入れろ』、と」
つまりは、刀と打ってもらえということ。
今のままでもなんら違和感も無ければ不具合もないのだが、言われたからにはしょうがないと、あの男のもとへ向かう。
「霙たちには?」
「もう伝えました」
その頃、磐梯は磐梯で直接それを言われたため、腕をゴキゴキならして気合いを入れていた。
「よーし!頑張るぞー!なんとかするぞー!」
怪我をしている破魔矢を置いて、先に磐梯のもとへ行って、自分の希望を伝えようかと思った蛍だったが、破魔矢に声をかけられたため足を止める。
「お前、なんで闘うの止めたんだ?あのとき、どっちか1人でもボロボロにして足手まといにしておけば、回りくどいことしなくても済んだだろ」
「あの時一番足手まといだったのはお前だ」
「そういう話じゃねえ。腕の一本でも斬っておけって話だ」
「気迫に負けて骨折られた奴に言われる筋合いはない」
「俺だって折られたくて折られたわけじゃねえよ。それに、気迫なんてもんじゃなかった・・・」
破魔矢はどちらかというとヘラヘラしている性格だ。
その表現は酷いと思うかもしれないが、いつもはヘラヘラしている、という印象があるというだけで、日夜ヘラヘラとしていたらそれこそ問題だろうが、蛍と並んでいるとヘラヘラしている方だ。
食満のようにすぐにキレることはそれほどなく、かといって霙のようにニコニコしているわけでもない。
蛍は、なんというか、こういう他人のことを説明することが苦手なため、どう言えばいいのか分からないが、もしも何が何でも説明しなければならないのであれば、一言、こう言うだろう。
「江戸っ子」
全く分からないかもしれないが、てやんでい的な男のようだ。
そんな破魔矢が、このように顔を曇らせるところを見たことはほぼ無い。
「・・・磐梯に伝えることはあるか」
破魔矢がどれだけ悩んでどれだけの語彙力でそのときのことを説明したとしても、きっと蛍には伝わらない。
なぜなら、蛍は目の前に現れた敵にしか関心が無いからだ。
「そうだな・・・。柄の握り具合がもうちっと合うといいな」
「磐梯がお前の刀の柄なんぞ覚えてるとは思えんが」
「なら、もうちっと太めのでって言え」
「わかった」
破魔矢の希望を聞いた蛍は、戸を開けて外へ出て行く。
まだそれほど寒くない季節のはずだが、首筋にふと入りこんだ風が、異様に冷たく感じた。
蛍がしばらく1人で歩いていると、そこに食満と霙が遭遇する。
「段次郎、ノ夛のところに行くのかな?」
「ああ・・・」
霙の問いかけにあっさりと返事をした蛍は、それ以上特に会話をすることもないだろうと足を進めたのだが、食満によって止められる。
声で止められたわけではなく、物理的に、蛍の首襟を掴まれたため止まらざるを得なかった。
食満がどうして自分を止めたのか、また、何をそんなにいらついているのか分かっていない蛍の表情が、さらに食満の苛立ちを倍増させてしまう。
「ネズミはもう見つけてる。他の連中を追うなんざ時間の無駄だろ」
ほぼ同じ背丈の蛍と食満は、もちろん目線の高さも同じだ。
しかしどういうわけか、食満からしてみると、こちらを振り返っている蛍に見下されているような気がしてならない。
何も答えない蛍に対し、食満は掴んでいた首襟を突き飛ばすようにして放す。
蛍は襟元を掴んで羽織を整えると、今にも襲いかかってきそうな食満に向かってこう言う。
「ネズミが1人だと思いこむのは危険だ」
「はあ?何言ってんだ、てめぇ」
「もういいか」
「俺様を馬鹿にしてんのか。段次郎、てめぇとは決着つけなきゃと思ってたんだよ」
そう言いながら食満は刀を抜こうとしていると、スッと柄の部分に手を差し出してきた霙によって止められる。
止められてしまった食満は霙のことを睨みつけるが、霙は一歩前に出る。
「確かに、そうかもしれないね」
「おい、太残!」
「まあまあ。段次郎のいうことも一理あるってだけのことだよ。何を根拠にそう言っているのかちゃんとした説明はしてもらえないんだろうけど、もしこれでネズミが1人だった場合、責任を取るのは段次郎だけってことになるかな?」
「・・・・・・」
何も答えない蛍に対し、食満はさらに怒りを露わにするものの、霙が何を言いたいのかが理解出来たところで、ようやく少しだけ、本当に少しだけ落ち着いた。
結局、そのまま何も答えずに歩いて行ってしまった蛍の背中を眺めながら、食満は不満を漏らす。
「あいつ、何の為に雇われたと思ってんだ」
「まあいいじゃないか。みんなが同じ方向を向いて、同じことをしていても面白くないからね。1人くらいあらぬ方角に歩いていても楽しそうだよ」
「面白いとか楽しいとか、そういうんじゃねえだろ。示しがつかねえ」
「示す相手もいないことだし、いいんじゃないかな?」
まだ納得のいっていない食満だったが、ふう、と大きなため息をしたところで、蛍の後を追う様に磐梯のもとを目指す。
「おっさん1酷いよ!!俺がこんなに死の恐怖に襲われているというのに!なんでそんな酷いことが言えるの!?ねえ!叉門もそう思うでしょ!?」
「だから、おっさん1とか2で呼ぶなって」
「其之助、きっと大丈夫だ!幾ら鎧戸でも殺すまではしないはず!!何発か殴るくらいだよ!!!」
「それも嫌だあああああああ!!!」
「うるせぇぞ。誰だ、人ん家の前でぎゃあぎゃあ汚ェ声で泣いてやがるのは」
「出たーーーーーーーーーー!!!!」
茂吉だけでなく、叉門、それから黒滝と颪田も到着していた。
茂吉にしがみついて泣いていた硯だったが、その声を聞いて現家主が顔を出した。
「出たじゃねえ。うるせえ」
「怖いーーーーー!!!」
「うるせえ」
ついには、硯は黒滝に頭を叩かれてしまった。
先に出てきていた人物は、紫の長い髪で左目はほぼ隠れており、見えている目は大きくてまつ毛も長い。
緑の麻の葉柄の着物に、白無地の羽織を纏った、五月雨菫。
もう1人は、長い黒髪を首の上あたりでくるりとまとめており、そこから見える毛先は桃色だ。
黄土の無地の着物に、羽織は焦げ茶の無地と、なんとも地味な格好をしているが、顔立ちは地味には見えない。
正直、下手をすれば女性に見える顔立ちの鎧戸天雅だ。
「天雅、また世話になるぞ」
「世話じゃなくて面倒だろ」
「みなさま、どうぞお入りください」
茂吉と鎧戸の会話に割って入ったわけでもないが、菫が大人しい声でそう言った。
鎧戸が後頭部をかきながら家の中に入ると、茂吉を始めのその場にいた全員が続く。
最後に菫が戸を閉めながら入ると、鎧戸の前に茂吉が座り、他の者は茂吉の後ろに並ぶようにして座っていた。
茂吉は一度袖の中に腕を入れると、そこに入っていた何かを取り出して、鎧戸の前にゴロゴロと置いた。
それを見ると、鎧戸は何やら険しい顔をしてから、少し唇に隙間を作りながら茂吉を見るも、何も言わなかった。
「俺達の分の新しい刀を打ってほしい」
「・・・どうせ俺に拒否権はない」
「嫌ならいいじゃ。天雅の腕なら打てると思うておうたが、そうか・・・。まだ腕が未熟で新しい刀を一から作ることが出来ないということであれば、諦めるしかあるまい」
「打てるわ、朝飯前だわ」
「では頼む」
意外と扱いやすそうだと思う人もいるかもしれないが、これが出来るのは茂吉の他には1人しかいない。
「それと」と続けた茂吉だったが、急に後ろから「あーーー!!!」と大声が響いたため、顔をそちらに向ける。
そこには、自分の隣にいる男に指を指している叉門の姿があった。
「お前知ってる!どっかで会った!名前なんだっけ!なんでここにいるんだ!?」
「俺は刀を研いでもらっただけだ。まだ受け取っていない」
「柯暮乃、こいつと知り合いか」
「・・・さあ」
「嘘つけ!会っただろうが!!思い出せ!思い出すんだ!お前なら出来るはずだ!!」
「南丹樫、静かにせい」
茂吉にそう言われると、叉門は両頬を膨らませて口を噤んだ。
鎧戸も、叉門と柯暮乃が知り合いだったとは知らなかったらしく、どういう関係なのだとみな2人を見やる。
柯暮乃は背筋をぴんと伸ばして正座をしたまま、何も答えない。
「柯暮乃は暁武の知り合いじゃ。だからここも知っておる」
「暁武のおっちゃん知ってるの!?もう俺達友達だな!」
「友達じゃ無い」
きっぱりと否定されてしまった叉門は、柯暮乃とは反対の隣に座っている黒滝の羽織に頭を項垂れさせる。
「菫」
「はい」
鎧戸に名前を呼ばれると、菫は柯暮乃に研ぎ終えた刀を持って行った。
それを手にすると、柯暮乃はその場で刀を抜き、その出来映えを確認する。
そして何も言わずに再び鞘に収めると、その場に立って腰の定位置に戻し、鎧戸に御礼を言って立ち去ろうとした。
叉門が呼びとめたのだが、同時に戸がぴしゃりと閉められてしまい、叉門は両頬を膨らませながら閉まった戸の方を指さし、黒滝の方を見る。
「あいつ、この前俺の喧嘩邪魔しやがった」
「え?志十郎も知り合いだったの?もう友達じゃん。友達沢山できたね」
「馬鹿か」
それに対して叉門がまた何か言おうとしたのだが、茂吉が口を開いたため、叉門は胡坐をかいて座った。
「ネズミのことが調べられて、こいつら全員が狙われるのも時間の問題じゃ。俺は現役を引退しているとはいえ、教おしえとして責任を取らねばならない」
「何の話が始まったの、充」
「そのうち分かる」
茂吉は身体を動かすと、今度は叉門たちの方を向く。
「呪いの話をしよう」
「呪い?」
かつて、呪いの刀や呪いの宝石と呼ばれる代物が存在していた。
どういった呪いかというと、簡単な話で、その刀や宝石を持っている人物は確実に死ぬ、というものだった。
なぜそのようなことが起こるのか、はっきりとしたことは知られていなかった。
呪いなどないと信じていない者が不用意に触れてしまえば、その者は半日と持たずに亡くなってしまったという。
また、闇名刀と呼ばれる刀もあるが、それは打った者が死ぬ、というものだ。
呪いの刀については時代と共に薄れていったのだが、呪いの宝石は未だに存在していると言われている。
美しく輝く宝石は楕円形をしており、その周りにもチャイコフスキーというものがあしらわれているようだが、持つ者によってその輝き方を変えるという。
ある者が持てば黒く輝き、ある者が持てば赤く輝き、ある者が持てば透明に輝き、ある者が持てば紫に輝く・・・。
それ以外にも、虹色や青、緑や白、ありとあらゆる色に変化すると言われている宝石だが、やはり手にした者は死んでしまうため、持ち主と色の関係性については、未だ不明とされている。
迷信だと言われ続けていた呪いは、現在進行形なのだ。
「少し前に、ネズミ小僧が宝石を盗んだって瓦版が出たじゃろ」
「確かに出たな。ありゃなんだ?」
「盗まれた宝石というのが、その呪いの宝石で、盗んだのは多分、お前達を狙ってるあやつらじゃろう」
すると、何かを思った硯が右腕をぴしっと天井に向けて真っ直ぐに上げる。
茂吉になんだと問われると、ならば盗んだ奴らは死ぬんじゃないかという内容のものだった。
硯のその言葉に、叉門も「そうだそうだ」と言った。
「これもここ数年で分かったことらしいが、死ぬのは直に触れた者や、数時間同じ空間に居た者。触れないようにし、何か箱のようなものに入れておけば問題無いらしい」
「へー、なんだー」
「だが、どちらの呪いも何も証明はされておらん。憶測ばかりが行き交っておる。何故宝石を盗みネズミ小僧のせいにしたのか。何を考えておるのかわからんが、死んではどうにもならん」
だからこうして、鎧戸に新しい刀を打ってもらおうとしていると言う。
すると、何かを思い出したように、茂吉の後ろで胡坐をかき、膝に肘をつけて頬杖をついている鎧戸が口を開いた。
「呪いの刀っていやぁ、俺達刀鍛冶の間じゃあ、神隠しとか呑みこまれ、ってのは聞いたことあるなぁ」
「神隠し?呑みこまれ?」
鎧戸の話によると、刀を打つ為の原石を見つけに行った刀鍛冶や刀工といった者たちが、帰って来ないというものらしい。
良い刀を打つ為にと、何処にあるのか定かではない洞窟のさらに奥にあると言われている原石を求め、幾人もの職人が旅に出た。
しかし、道に迷ってしまったのか、はたまた熊や猪に襲われてしまったのか、職人が次々に消えてしまうのだそう。
もちろん、運良く生きて戻ってきた者もおり、その者達が言うには、道中迷うような道は無かったし、襲ってくるような獣もいなかったということだった。
そんな道にも関わらず姿を消してしまった者たちのことを、鍛冶職人たちはそろって、“神隠し”や“呑みこまれ”と呼んでいる。
「ま、人が消えるわけはねェし、どうせ原石を横取りしようとした連中にでも襲われたんだろうよ」
「横取りって、ただの石だろ」
黒滝の言葉に、鎧戸が固まった。
さらに続けて言う叉門と硯がいたものだから、ただでさえ大きめの目がさらに大きくなる。
「ほんとだよ。ただの石なのにな。そんなもの盗まなくてもいいのにな」
「その辺に落ちてる石じゃだめなのかなー?たまにコロコロしてる石とかあるよね。俺たまに持ち帰ると有に怒られちゃうんだよね」
わいわいと3人がそのような会話で盛り上がっていると、気付けば目の前に座っていた茂吉が部屋の隅に移動しており、茂吉がいなくなったことではっきりと視界に映っている鎧戸が、ワナワナと震えていることに気付く。
どうしたんだろうと思い叉門が声をかけてみれば、鎧戸は叉門の両手で襟を掴み、前後に激しく揺さぶり始めた。
「てめぇら何ふざけたことぬかしてやがる!!!てめぇらが雑に扱ってるその刀はなああああ!!!その原石から作られた滅茶苦茶貴重な刀なんだからなあああ!!てめぇらなんでそれを知らねえんだよ!!俺が丹精込めて打ちあげた刀の原材料をなんで知らねんだよおおおおおお!!なんで知らねえで使ってんだよおおお!!!」
「取れるーーーーー!!!叉門の首が取れるよーーーーーーー!!!」
首が後ろに行ききる前に前に戻され、また前に完全に移動し終える前に後ろへ動かされ、ガクンガクンと動く叉門はまるで赤べこだ。
いや、赤べこの方がマシかもしれない。
叉門自身、自分の首はもう吹っ飛んでいるものだと思っていたようだ。
硯はなんとか叉門を助け出そうと鎧戸の腕を掴んでいるのだが、なかなか外すことが出来ずにいる。
一方で、隣に居る黒滝はしれーっとそれを眺めており、しまいには、叉門の動きがあまりに奇怪なため、吹きだしていた。
颪田は颪田で、どこを見ているのか、ぼーっとしながら自分の顎をかいていた。
茂吉も最初こそ鎧戸を止めようとしなかったのだが、いよいよ叉門の首がもげるのではないかという頃、茂吉が鎧戸の首根っこを猫のように掴んだことで、ようやく叉門は解放された。
「首取れてない?ついてる?」
「良かったー!ついてるよー!目の前で叉門の首が吹っ飛んだらどうしようかと思った―!!!」
「てめぇら一発ずつブン殴らせろ。とりあえず一発でいいからよぉ。感情が昂って乱発しちまうかもしれねぇけどしょうがねえよなぁ、だってその刀が何から作られたものかも理解せずに振りまわしてはボロボロにして俺のところも持ってきてたんだもんなぁ」
「怖いよぉ怖いよぉ」
硯が半泣きしながら黒滝に抱きついていると、戸が開いて萌久来が入ってきた。
いつもの顔に安堵したのか、硯が萌久来に抱きつけば、萌久来は何事かと周りを見てみると、茂吉が腕を解放すればすぐにでも暴れ出しそうな鎧戸がいたため、すぐに理解した。
萌久来は、茂吉から鎧戸の家に来るようにと手紙を受け取っていたらしく、硯の刀を片手に1人で歩いてきたようだ。
怪我はほとんど良くなっているようで硯は「良かったねー、良かったねー」と言っていた。
その後すぐに鎧戸は落ち着きを取り戻し、茂吉から渡された原石を持って、一から刀を作るべく、作業場へと入る。
「お茶です」
ここで菫がお茶を運んでくると、みな一息ついた。
菫はお茶を運び終えるとすぐに立ち上がり、頭を下げてこう言った。
「それでは、私もここで失礼いたします。鎧戸さんの手伝いをしなければなりませんので」
「ああ、よろしく頼む」
菫もその場からいなくなると、ただ茶を啜る音が重なる。
「じゃあ、俺達も帰る?志十郎」
「お前等はここに残るんだ」
「え?なんで?」
用事も済んだことだし、と叉門が隣にいる黒滝に声をかけると、それに答えたのは茂吉だった。
叉門たちが長屋に戻ることは危険だと判断し、茂吉はここに残り、刀が出来るまでひたすら鍛錬でもしてろと言葉を投げた。
茂吉にそう言われてしまうと、誰もそれに反論することは出来なかった。
残ったお茶を一気に飲みほした茂吉が立ち上がって草履を履くと、颪田も同じように草履を履きだしたため、黒滝が反応する。
「おい、なんで颪田まで帰ろうとしてんだよ。お前はこっちだろ」
「颪田にはお前等がここにいる間分稼いでもらわなきゃならん。それに、こいつは俺が鍛える」
「えー!ずるい!なんで!?俺達もおっちゃん1に教えてもらいたい!!ずるいよずるい!ずるだ!!!」
颪田だけ茂吉に手合わせしてもらえるということに、硯だけでなく、他の誰もが納得いかなかった。
黒滝にいたっては、颪田とここに来るとき、颪田が方向音痴だったこともあって無駄に歩かされたことをここぞをばかりに責めたてていたが、颪田は平然としている。
ぎゃーぎゃーと、特に叉門と硯が文句を言い続けていたため、茂吉は煙管を吸いながらこう続ける。
「安心せい。お前等には、暁武がつく。せいぜい、しっかりと鍛えてもらうんじゃな」
「「「「「・・・・・・へ」」」」」
颪田も含めた5人が同時に素っ頓狂な声を出した。
そしてまたすぐ同時に顔が青ざめる。
それを見て、茂吉は小さく笑ったような気がしたが、気のせいだったことにして颪田と共にその場を後にする。
残された4人は、互いの顔を見合わせたあと、どこかに隠れた方がいいという結論に達したのだが、どこに隠れようとわたわたしているうちに、その男がやってきてしまい、絶叫が響き渡るのだ。
―3か月後
「もうダメ・・・。俺ここで死んじゃうかもしれないよ・・・」
「其之助しっかりするんだ・・・。まだ世の中にある美味いもん全部食い終わってないだろう・・・」
「うるせぇぞ南丹樫・・・。その美味いもんだってなぁ、今食ったら絶対に吐くからな。あの親父マジで容赦ねぇ・・・」
「あれでもまだ手加減していると思いますよ」
「いや、素手であれだけ強けりゃもう武器だよ。あの親父武器だよ。兵器だよ。俺は人間だなんて認めねえぞ」
「十郎が武器だなんて言うから、ねこまんまが食べたくなっちゃったよ」
「なんでだよ」
「おう、生きてるか」
急にがらっと戸が開いたかと思うと、そこには飄々とした出で立ちの茂吉と、眠そうに瞼を擦っている颪田がいた。
ずけずけと中に入ると、あたりを見渡してまだ目的の人物がそこにいないことを確認し、それからその場に胡坐をかいて座った。
ふあああ、と大きな欠伸をしている颪田は、草履を脱いで家にあがろうとしたところで転びそうになっていたが、最早誰も助けられるような精神状態ではなかったため、そのまま転んでいた。
ぶつけてしまった鼻あたりをさすりながら起き上がると、颪田は着いて早々身体を横にして寝てしまいそうだったため、茂吉が注意していた。
それからしばらくすると、ドタドタと足音を立てながら近づいてくるそれは、一種の恐怖映画のようだ。
ガラッと、飛んで行くのではないかというくらいに勢いよく開けられた襖から現れたのは、目の下にクマをつくり、睨んだだけで人を殺せそうなほど瞳孔が開いてしまっている、この家屋の主、鎧戸だった。
真っ直ぐ歩いてくるかと思いきや、足元が多少ふらついていたため、思わず硯は手を差し出すが、いらなかったようだ。
自らの定位置にどかっと座ると、鎧戸は下を向いてはあああ・・・、と深く長い重たいため息を吐く。
そのまま何も喋らなくなってしまった鎧戸に、叉門たちは互いの顔を見合わせて首を傾げていたが、茂吉だけは煙を吐いて呑気にしていた。
するとそれからすぐ、がちゃがちゃと音がすると思ってそちらを見れば、菫が叉門たちの分全部の刀を両手に持って入ってきた。
よろよろと歩いている菫だが、落とさないようにしっかりと腕で支えながら持ってきたソレを、今度は重さで一気に落とさないようにと、慎重に下ろす。
そこで再び鎧戸がため息を吐いたかと思うと、ようやく顔をあげる。
「各々てめぇの刀を持って確認しろ。微調整ならすぐにするが、それ以外は後日にしろ」
鎧戸の言葉に、みなキョトンとする。
「早くしろ。俺を殺す気か」
あまりにも重々しく鎧戸が声を発したため、茂吉以外の5人は自分の刀を手にすると、菫に渡された紙を斬ってみる。
前の刀ももちろん使いやすかったのだが、斬れ味が格段に違うというか、持った感じも自分と合っているというのが分かるし、なにより、刀の気配が違う。
柄の部分もそれぞれの手の大きさに合う様に調整してあり、一番握り易く力の入り易いものとなっていた。
「問題無さそうじゃ」
叉門たちの様子を見て茂吉がそう言えば、鎧戸は「そうか」とだけ言って、また立ち上がってよろよろと部屋を出て行ってしまった。
なんだったんだろうと叉門たちが思っていると、それには菫が答える。
「鎧戸さん、この3カ月ほぼ不眠不休で刀を作っていたんです。今までよりも精密で精巧なものを作らないといけないと仰っていて。ですから、多分お休みになるんだと思います」
「すげー。人間ってそんなに不眠不休で生きていられるんだ」
菫の言葉に、叉門は少しずれた感想を述べると、茂吉がこう言う。
「鎧戸は刀に関して一流の職人じゃからな。その気合いと根性、それと刀に対する信念だけで乗りきったんじゃろう」
「すげー。俺は無理だよ。俺が足速くなった理由の1つはね、仕事の途中で沢山寝てもバレないようにするためなんだよ、知ってた?」
「知るか。興味ねぇ」
またしても叉門のズレた感想に対して、今度は黒滝がスパッと切った。
全員新しい刀が手に入ると、鎧戸の家を後にする。
茂吉はふと足を止めると、菫を呼ぶ。
「なんでしょう?」
「あとで美味いもんでも持ってくるって、天雅に伝えておいてくれ」
「はい、承りました。お気をつけて」
茂吉たちの背中が小さくなっていくのを見届けると、菫は戸を閉める。
ふう、と息を吐くと、鎧戸ほどではないものの、同じようにそれほど睡眠が取れていなかった菫は、その場に横になってすやすや寝始めた。
「おい南丹樫、硯、迷子になるから颪田の後ろをくっついて歩くなよ」
「「はーい」」
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