アシュヴァッタ

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アシュヴァッタ

 燦々と陽光降り注ぐ丘の上に(そび)え立つ大樹の根元。透き通った空気が漂うこの場所で、一人の男が鎮座していた。麻布を簡易的に加工した質素な衣服を身に着けて、髪は粗雑に切られてざんばらになっている。そんな見窄(みすぼ)らしい格好をした男だが、その表情は凛然としている。明鏡止水が如く、一寸たりとも乱れることなく居座ったその姿は、さながら一枚の絵画と化している。男は大樹の幹に背中を預けて、静かに胡座をかいていた。 「いつまでそうしているのだ、お前よ」  どこからともなく声が聞こえる。その声は男に向けて囁く。 「このような所で何もせずにいるのでは、時間を無為にしているようなものではないか。暇を持て余してどうする。お前にはするべきことが何もないのか」  ゆっくりと語りかけるようにして、声は男の心を撫でていく。それは甘い罠だった。男の平穏を打ち壊さんと企む、退廃への導き。まともにその声へ耳を傾ければ、人は不安に陥る。何かを為さねばならぬ、という偽物の使命感に駆られて浮き足立ってしまう。そうして、幾数(いくすう)もの人間が堕落へと引きずり込まれた。 「このような場所で時間を破棄していてはお前の人生には何も残らなくなってしまうぞ。さぁ、早くここから立ち去って、己が仕事に従事しようではないか」  声はなおも語りかける。高らかに叫ぶ声に対して、男は一切の動揺を見せない。涼しげに閉眼する男。やがて口を開く。 「今はその時ではない。私は今日この時をこの場所で過ごすことに決めたのだ。いわば、ここで座っていることこそが私の為すべき仕事なのだ」  厳然たる面持ちで主張する男を前に、 「クソっ、なんてお間抜けな野郎なんだ」  と声は唾棄する。それからしばらくの間は沈黙が訪れた。声の主はどこかへ消えてしまったのだろうか。聞こえるのは風に(そよ)ぐ木の葉のさざめきのみ。注がれる陽の光が、男を煌びやかに照らし出す。
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