彼と彼女らとの約束

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◇  マッケンジーキング島。遠い昔にそう呼ばれていた島に、大陸から人間がやって来て、そこに国を作った。マッケンジー王国。住民の多くが独立建国を祝って、これからの未来に大いに夢膨らまる。  農耕と漁業で国が発展し、数百年、人口も増えて決して小国とは呼べない規模にまで発展した。世襲の王族は一つの特異能力を凝縮した、即ち魔法を。  大陸からやってきた人間は自然魔法を備えていて、世界各地で圧倒的な主力を担っている。主力とは何かというと、戦争で活躍できるかどうかだ。一方でこの国の王族は精霊魔法の素質を磨いた。  これらは系統を別にして、相互に干渉しない。それが良いこともあれば悪いこともある、こと国家の維持に関しては良い方に向いた。何故ならこの島国を攻めようとすると多大な犠牲が双方に出るから。  さほど大きな争いが起きないまま過ごす期間に生まれ育った王子王女。王族は成人前に異国の地に旅に出る習わしがあり、その旅に耐えられるよう教育を受けるのが義務であり権利でもある。  ミラウ五歳。彼女は国王の娘で、二番目の女の子。姉とは少しばかり歳が離れていて、未だ苦労を知らない子供。今日も屋敷の中庭で花と戯れている。その笑顔は屈託のない輝きをしていて、王族に生まれなければどこか財力がある家に嫁いで、幸せに家庭を築いていくだろうと思えた。  遊んでいる彼女をじっと見つめて、渋い表情を浮かべている男が居る。三十代後半で王女付きの武官であるブラッドだ。護衛の役目を担っていて、その剣を王女に捧げた戦士。  何故浮かない顔をしているのか、明日は王女の六歳の誕生日だと言うのに。盛大な式典が予定されていて、その主役は己の主である姫。どこに陰鬱な要素があるというのか。 「ねぇブラッドー、このお花綺麗よね!」  庭園を目の前にして愛らしい少女が手を振って語り掛けて来る、無理して微笑むと歩み寄った。ガチャガチャと甲冑が音をたてて、この庭園に似つかわしくない存在を誇示している。  片方の膝を地につけて花を見る。無骨な男にもそれが綺麗ということは感じられた、テーブルに活けられたらきっと映えるだろうとも。 「白百合に御座います。国の花でもあり、家紋でもあります」  もっと気が利いたセリフなどいくらでもあるだろうに、それでも彼は正しい知識を与えようと敢えて面白みのない言葉を選んだ。護衛武官というのは役目の一つでしかない、彼は姫の導師である。王が指名した唯一。  全ての者は王の民である、王女も例外ではない。慣例でしかないが、全ての民は王の直下に存在している、ゆえに王の命令は絶対だ。王国にはこの絶対から外れうる人物が三人だけ存在する。  少女を優し気に見詰めているブラッドと、長姉である第一王女の導師、そして末弟である第一王子の導師の三人。彼らは王子王女らのたった一人の民として、王の直下から除かれた者。 「ふぅん。ブラッドは物知りね!」  にっこりとして褒める、常に知識を与えてくれるのは彼だ。白いものを黒いと教えればきっとそうだと信じて疑わない、だからこそブラッドは慎重だった。教えたいこと、教えなければいけないことは山ほどある、これまでもこれからもだ。 「明日は姫の生誕祭です、本日はこれで屋敷へ戻りましょう」 「うん、帰ろ!」  膝をついているブラッドに正面から抱き着くと「このまま連れてってー」抱っこを要求した。優しい笑みを浮かべると彼は「承知しました」軽々と抱えて立ち上がる。この幸せがいつまでも続かないと知っている、だからあの表情をしていた。  若かりし日に恋心を胸にした相手、実ってはいけない関係。彼は騎士で彼女は王妃。これ以上ない不適切な関係、感情では動けぬ日々。  王は知っていた、その全てを。その上で王妃付きの武官にブラッドを指名した、許しであり戒めでもある。傍に居れるだけで満足だった、そう思って誠心誠意仕えた。  元々身体が弱かった王妃は、ミラウを産んでその年のうちに崩御。死の淵にあって事後を託すと王妃に乞われ「この子をお願いします」そして彼は頷いた。「ありがとうブラッド」掛け値なしの笑顔で王妃はそう言った。騎士であることを退き、姫の家人として傍にあることを王に願い出る。それは認められた。  一線を退いた後にも努力を怠らず、常に前に進み続ける。小競り合いとは言え戦線が不利な場所は存在していた、そんな時にはブラッドも戦場に赴き戦った。その都度功績を上げては全てを辞退し屋敷に戻ってくる。  王国最強の戦士は最愛の人の娘を護り日々を過ごした。王宮からの使者に会い、その時が最早来てしまったことを噛みしめる。ある意味それは良いことであるが、複雑な気持ちになってしまった。決定は覆らない、その日ずっと気分は晴れなかった。 ◇  離宮で王女の六回目の生誕祭が開かれる。主役はミラウ・マッケンジー第二王女。王国の重要人物の多くが参加している、これは政治の場でもあるからだ。  そして本来ここに居るべき人物の姿が無い、第一王女だ。彼女は既に異国へと旅に出て以来戻っていない。  所狭しと食事や花を始めとした装飾品が置かれ、音楽が軽やかに演奏されている。お祝いに集まって来た人々の数知れず。銅鑼がならされると会場に静けさがもたらされる、王の到着を報せるものだ。  広場に移動すると序列に従って多くが整列した。前列には貴族が居並び、有力者ほど前に立っている。それらの一番前に彼女は居た。  ゆっくりと王がやって来ると皆が平伏する、王権は絶対、少なくともそういうことになっていた。臨時の玉座につくと皆に前を向くようにと仕草で示す。 「お父様、こんなに楽しいお誕生会ありがとう!」  無邪気に礼を述べる少女を目を細めて見据える父王。普通の家庭の父親ならばにこやかに抱き上げたりしたのだろうが、どうにも様子がおかしい。  ブラッドが礼装で姫の隣に進み出ると片膝をついて挨拶を述べる。大臣が王の隣に立つと巻物を開いて傾聴するようにと指示を出した。 「第二王女ミラウへ下賜する」  お誕生日プレゼント、これを堅苦しく言うとこうなる。きょとんとして父王を見詰める姫、全てを知っているブラッド。大臣が進み出ると布告を行った。 「ミラウ・マッケンゼンに王国第二軍を与えるものとする」  父親が娘に与える誕生日プレゼントにしては似合わないことこの上ない。軍隊をあげると言われても、六歳の少女は反応出来ずにいる、当然だ。  軍を与えられる意味は、正式な王位継承権を付与したことと同義。逆に成人しても軍を与えられない王族は継承権を得られないと通告されたことになる。 「えーと、お父様?」  何も答えてくれない父王、隣に居る男に「ねぇ、ブラッド?」声をかけるも微動だにしない。次第に不安になり泣きそうになる。 「ブラッド・ファーレンスを第二軍の筆頭将軍に任命する」 「御意! 身命を賭してお役目を全うさせて頂きます!」  王女が軍を与えられてもそれを指揮する人物が居なければ何も出来ない。将軍にブラッドが任命される、そのブラッドの主人は王女、つまりは手足となる自由な軍勢を手に入れたことになる。  自分の身を護るところから始めろ、そういう意味合いも含まれていた。 「王のご帰還だ、各々方控えられよ」  おめでとうの一言も無く父王は離宮を去って行った。姿が見えなくなるとブラッド将軍が王女に向き直る。 「殿下。私が幾久しくお仕えいたします、必ずや御身の助けになりましょう」  今までとは違って仰々しい態度を取られて、ミラウは頭を左右に振って泣いてしまう。だが今は誰も彼女を慰めてはくれない。 「いやよ、そんなブラッドなんて変よ!」  いつも優しいはずの人を奪われた気持ちになってしまう、心が大きく揺さぶられた。こんなことならば何も要らないと叫び出しそうな程に。 「今後は政務、軍務を始めとして、儀礼、算術、農学、武技等を収めて頂きます」  泣きじゃくっていやいやと繰り返す、その姿を直視しなければならないのが辛かった。まだ六歳になったばかりの少女にはあまりに厳しい現実。健やかに育ってくれればそれだけで良い、そう願っていたのに。  王妃との約束、決して甘いものではない。心を鬼にして日夜彼は王女に教育を施した。  それから一年が過ぎ、二年が過ぎ、十年が過ぎ去った。王女は美しくも凛々しく成長する。在りし日の王妃の面影を色濃く映し出して。  島の端にある海岸の崖上、風が気持ち良い岬。王女とブラッドの二人で遠くを見つめている。 「ブラッド、あたし旅に出るわ、習わしですものね」  風になびく栗色の長髪を右手ですくいあげて唐突に言い放つ。いつかはその日が来る、十年前のように。第一王子は十四歳、それだというのにまだ第三軍を与えられていなかった。そして第一王女は行方知れずのまま。  事実上の継承権一位と言える、彼女を失えば国が揺れるのは目に見えていた。 「何卒ブラッドをお連れ下さい」  出来るはずもないのにそう願う。保護者同伴では経験になりはしない、かといって異国に行けば誰も容赦してくれなどしない。  我が子のように育てた娘が危険に踏み込むかも知れないのに、傍に居るどころか何も力になれないなど不安で仕方がなかった。  彼女は目を細めて微笑する。変わっていないなと。 「必ず無事に戻るわ、心配しないで」  そんなことを言われても安心できるはずがない。国内外に響き渡る鬼将軍ブラッドの名が間違いではないかと疑われる位に情けない顔をしている。 「後生です、どうかお供を!」  王女はゆっくりと彼の瞳を見詰めながらすぐ傍にまでやって来る。未だ背丈は胸辺りまでしかない小柄な彼女、抱きしめたら折れてしまいそうだ。 「知らなければ教えてくれた。解らなければ諭してくれた。嬉しければ共に喜び、悲しければ共に泣いてもくれた」  じっと瞳を覗き込み彼女は続ける。 「生きる意味を、生きる術を、何もかも全てを教えてくれたのはブラッドよ。離れていても心はいつもあたしの中にあるわ」 「ですが……」  生まれてこの方そばを離れたことなど無い。己の持てる全てを伝えようと常に努力をしてきた。誇張ではない、これは事実。 「そこに膝をついて目を閉じて」  わけもわからず命令されたままに彼はそうした。風が強く吹く、流れていく中に微かに王女の存在を感じた。目を閉じると昔が思い起こされた、王妃の前にこうやって跪いたことも。  木剣を手にして泣きじゃくる王女を打ち据えた日のことを。剣術など考えたことも無い少女に剣を与えてだ、その日の晩には己の身体を厳しく打ち据えて痛みを密かに分かち合った。  多くのことがあったが、一つ一つが鮮明に思い出される。記憶は彼の宝だ。 「大陸に覇権国家が台頭してきたわ。そう遠くない未来に我が国も巻き込まれるはずよ」  海外情勢、ブラッドもそれは知っていた。大陸の北側を支配した大国が、その更に北にあるマッケンジー王国を収めて勢力を拡大するつもりというのも。 「その前にあたしは多くを経験しないといけないの。暗愚な指導者を抱える民は不運じゃすまされないわ」  まだどうかを判断するには早すぎる、王女は十六歳なのだから。その双肩に担うものが大きければ大きいほどに、結果もすぐには解らないものだ。 「だから沢山の国を巡って、何が良いか、何が悪いかを学んでくるわ。だからブラッドはここで待ってて。あと、これは今までのお礼よ」  認めたくなかった、端的にそう言い切れる。今の彼には国よりも王女が大事だった、だから。  ふと頬に熱を感じる、柔らかい感触も。吐息が傍で頬をくすぐる、何が起きているか理解した時にはもう王女の気配は傍から離れていた。 「あたしが帰る場所を護っていて欲しいの。それに、第二軍の将軍が居なくなったら大勢が困るでしょ」  少し早口に言い切ると後ろを向いてしまう。両手を後ろで組んで落ち着きがない。 「このブラッド・ファーレンス、必ずや帰る場所をお護りさせていただきます!」  王妃の言葉を思い出した、まだ選択肢があるうちに出来ることをしなければならない。王女が成長を望むならば、それを応援するのが己の務め。進退窮まることが無いように、より未来を見据えて。 「ありがとうブラッド」  くるりと振り返る、その笑顔があの日と重なった。この瞬間に、ブラッドの忠誠が王妃から王女へと受け継がれた。  今まではいつか来る日が恐怖でしかなかった。だがこれからは主がいつ帰還するかが楽しみになる、いつか来る日は幸せでしかない。  残された彼は不在の彼女に代わり王国を護り続ける。覇権国家が侵略して来るその日まで。
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