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プロローグ〜魔王の失敗〜
「……なぜ、こんな事になってしまったのか」
男は頭を抱えて呟いた。
今から150年前ーー新たな魔王が誕生した。名をユーベルという。
先代の魔王であるユーベルの父、ランベルトと、当時の勇者の実力は同じだった。僅差で魔王ランベルトは勇者に滅ぼされてしまった。その当時のユーベルの実力は、まだまだ父には及ばず、ランベルトが倒された時、即座に自分が新たな魔王として勇者に戦いを挑んでも勝ち目がないことは明白だったため、その場を退くことにした。『勝てないから退いた』なんて事は、魔族に知られてはならない。そんなヘタレな魔王には誰もついてきてくれる訳がないのだ。だから、目一杯の虚勢を張りつつ、表面上は余裕がある雰囲気を出し、ニヤリと笑いながら、愉快さを示すように、ユーベルは魔族達に告げた。
「先代の魔王は200年の間に挑んできた勇者達を返り討ちにしていた。今回、勇者がランベルトを討ち取ったことにより、人間は200年振りに安寧を手に入れたと思っているはずだ。そのまま少しの間、人間共に自由を与えてやろうではないか。その後、圧倒的な強さで、つかの間の安らぎを味わっている人間共を一瞬で絶望の淵に叩き落とす方が面白いだろう?」
それからユーベルはどんどん力をつけ、先代の魔王を優に凌ぐ力を得たが、その頃には、勇者は衰え、ただの力のない老人となっていた。そんな勇者を倒しても何の栄光にもならないため、魔王はランベルトを倒した勇者の元に行く事はなかった。しかし、その間も、魔人や魔物を率いて少しづつ勢力を広げ、魔族に害をなすものを潰していった。
ユーベルが魔王になってからの150年間、魔王城に勇者が現れる事は一度もなかった。
ーーある日、人間界の情報収集を担当している魔王ユーベルの使い魔であるカラスが大ニュースを持ってきた。
「ユーベル様〜、ついに勇者が現れたよ〜!!」
「何?! カラス、それは本当か!」
魔王城の王座の椅子に足を組みながら、ゆったり座っていたユーベルは、興奮しながら立ち上がり、勢いよくカラスに詰め寄った。
「はい〜、人間たちが噂してた〜。ゾンネ村出身の勇者が国王に謁見したって〜」
「そうか! ついに勇者が現れたか!」
魔王ユーベルは、勇者が魔王討伐の旅に出発したとの情報が入り、居ても立ってもいられず、勇者の元に向かった。
ユーベルは、100年以上、勇者が現れるのをずっと待っていた。魔王という存在は人間にとって畏怖の対象でしかなく、人間に近づく事も、人間が魔王城に近づくこともない。唯一の例外が勇者だ。魔王にとって、勇者が戦いに挑んできた場合は倒さねばならぬ者でもあるが、魔王を怖がらず、唯一立ち向かってくる人間である。
ユーベルには誰にも知られてはいけない大きな隠し事がある。ユーベルは、幼少の頃から、勇者、そして、人間の生活、文化、生態など様々な事を学んできている。そこから、人間に興味が湧いた。
人間の寿命なんて魔族に比べれば、あっという間に終わってしまい、弱くて儚い生物だ。それなのに、人間は楽しそうに生きている。文明も暮らしも発展していき、常に新しいものが生まれている。魔族はどちらかといえば、変わらないものを好む傾向にある。人間は、自分とは正反対で、自分にはないものを持っているからこそ、憧憬の念を抱いている。
しかし、魔王である自分が、人間に興味があるなんて知られれば、魔王の威厳は地に堕ち、過去最低の魔王といわれ、他の者が魔王に成り代わろうとするだろう。ユーベルには魔王としての義務や責任は理解しており、矛盾していると思われるだろうが、現実と憧れは、ちゃんと切り分けて考えている。
魔王として、唯一、気にかけることができる人間は勇者。そして、100年以上も待ちわびた勇者だ! すぐにでも見に行きたい気持ちは仕方ないだろう。
「敵となる者を知らないなんて恥だ」と、適当な理由を考え、逸る気持ちを抑えつつ、勇者の様子を見に行った。
王城があるリュワール王都から、少し南東の位置にに広がっているライツェントの森。そこにはレベルの低めの魔物が住んでいる。王都からライツェントの森を抜けると、港町であるアルトに行ける。
ライツェントの森は広大で、森を抜けるのに、3日ほどかかってしまう。弱い魔物しか生息していないため、野営をしながら、森を通り抜ける事は可能。
勇者は、王都で国王に謁見した後、魔王討伐の準備にかかった。そして、ライツェントの森に入って2日目の事であった。
ユーベルが勇者に出会ったのは、雷鳴が轟き、雷光が空を彩る日だった。魔族にとっては、陽の光が届かないほどの曇り空は最高だ。素晴らしい天候で気分も高揚し、ゆっくりと空から、勇者の前に降り立った。
「お前が勇者か」
「何者だ!」
勇者と呼んだ少年は、見知らぬ声に反応し、すぐに剣を抜き、構えた。
「我が名はユーベル。お前達が魔王と呼んでいる者だ」
「なぜ、魔王がこんなところに……」
魔王討伐の旅に出たばかりで、魔王の登場に、動揺が隠しきれなかったようだが、少年は一切警戒心を解かず、隙も見せなかった。
「なに、挨拶がわりに、お前に私の力を少し見せてやろうと思ってな」
余裕たっぷりに笑みを向けながら、詠唱を始める。詠唱の途中で、青白い閃光で視界が奪われ、凄まじい轟音と共に空間を裂くような激しい雷が落ちた。魔王と勇者の居たところに。
「……ト」
「リ……ト。 だ……ょ……ぶ?」
耳元で誰かを呼ぶ声が聞こえる。少しずつ意識が覚醒し始め、ゆっくりと目を開ける。視界を白い天井が占めてはいるが、赤茶色の腰まである長い髪を高い位置でポニーテールでまとめていて、黒曜石の様な黒い瞳の目をパッチリと開き、少し釣り目気味のせいか、勝気に見える少女が、心配そうに覗き込んでいた。
「あ、目が覚めたのね、良かった! 3日ほど寝込んで居たのよ」
見たこともない少女が話しかけてきている、という状況に混乱した。魔王を恐れない様子なのもおかしい。自然と眉間に皺が寄ってしまった。ユーベルは一言も発さず、その少女を見ていた。
「リヒト? どうしたの? まだ頭がボーッとしてるとか?」
は? この少女は今、何と言ったのか。
「リヒト……?」
少女が発した言葉を繰り返し呟いた。リヒトとはなんだ? この少女は誰だ。なぜ、私はこんなところにいるのだ、と次々に思考を巡らせる。
「リヒト? ……意識がはっきりしないの? 3日前にライツェントの森でいきなり魔王が現れて、魔王が挨拶がわりにとか言いながら、呪文の詠唱を始めたの。その途中で、魔王とリヒトが落雷にあってしまって、怪我はヒールで治せたんだけど、全然目を覚まさないから、一旦森から出て、すぐ近くのグラオ村まで運んだのよ。それから、今日まで3日間眠り続けていたわ。とりあえず、何か口にした方が良いわね。スープを作ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って少女は私を一人残し、部屋を出て行ったが、少女からの説明を聞いて固まっていた。3日も眠り続けていた上に、少女が回復魔法をかけ、近くの村に運んだだと……? それにしても、なぜ少女は私のことをリヒトと呼ぶのだ。考えながら少女が去った方から視線を外した時に見えた自分の手。
なんだこの手は! 誰の手だ?! 私の肌の色と違う人間の手を見て困惑する。試しに拳を握ってみるが、目の前の人間の手も拳を握る形となった。やはり、これは私の手なのか……。待て! 少女は先程何と言った……? 魔王とリヒトが落雷にあったと言っていた。ということは、リヒトというのは、勇者の名前だろう。
そこまで考えが至った時に、やっと気付いた。
私が唱えていた呪文は、落雷のせいで詠唱が途切れてしまった。自分が唱えた言葉を思い出して、血の気が引いた。あの時、元々唱えようとしていた呪文は詠唱が途切れた事により発動しなかったが、途切れたところがちょうど良く、別の呪文として、発動した。
ーー『魂を入れ替える』呪文
それによって、魔王ユーベルと勇者リヒトの魂が入れ替わってしまったという結論に至った。
「……なぜ、こんな事になってしまったのか」
ユーベルは頭を抱えて呟いた。……いや、原因はわかっている。自分の失敗によるものだ。しかし、困った事になった。
勇者の器では、元に戻る呪文は発動できない。3日間、目を覚まさなかったと言っていたから、ユーベルの従者ナハトが私の体を魔王城まで連れ帰っているだろう。だから、今すぐに元に戻ることは出来ない。
私、本来の体を取り戻すには、魔王の器に入った勇者が私に会いにくるか、私が魔王城に会いに行くかの二択となる。
私は今は勇者リヒト。勇者は、魔王討伐の旅に出たばかりだ。勇者の目的と私の目的のどちらも魔王城に行く事には変わりはない。だから、表向きは勇者として魔王討伐を掲げながら、魔王城に向かうことを決めた。
ーーそうして、私、『魔王ユーベル』の『勇者リヒト』としての冒険が始まった……
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