雨雨坊主

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 あれは小学校四年生の時だった。その湿った名刺はいつの間に、わたしのランドセルのサイドポケットに入っていたのだった。コウウシ?フリアメシ?いったいなんのことだろう。親友の茜ちゃんにそれを見せたら、茜ちゃんは目を輝かせて、ねえ電話、かけてみようよ、と言った。    お母さんから渡された緊急時用のテレフォンカードをつかって、公衆電話から電話をかけた。最初に受話器を持っていたのは茜ちゃんだった。茜ちゃんは電話がつながったことを目で合図すると、勢いよく受話器をわたしの胸へ押し付けた。てっきり茜ちゃんが喋ってくれるものと思っていたわたしは、すっかり面食らってしまった。 「もしもし、もしもし」くらい、不安げな声が、受話器の向こうから響いてくる。わたしはビッチョリ濡れた手で、受話器をぎゅっとにぎりしめた。それからお母さんの真似をして、こういった。 「あのう、お忙しいところ、失礼いたします」 「あ、はい」相手はすると、安心したように、少し和らいだ声でこたえた。「お仕事のご依頼でしょうか?」  「ええ、そうなんですのよ。おしごとのイライですの。」相手が全然気づかないことにわたしはすっかり安心しきって、先ほどよりも饒舌になってこたえた。「お忙しいですかしら。」  茜ちゃんはボックスの扉に体を挟んで、いつでも逃げられるような体制になって、こちらを食い入るように見つめている。 「いえ、今は梅雨ですので、予約は大変取りやすくなっております」  相手が何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、わたしは必死に大人の演技を続けた。 「じゃあぜひ、お願いしたいですわ」  それから相手が住所と名前を尋ねた。わたしはとっさに、でたらめを言おうと思ったのだが、何も思いつかずに、本当の住所と名前を告げてしまった。わたしは喋りながら、自分が追い詰められていくのがわかった。しかし、今更、いたずらです、とも、やっぱりやめます、とも言えなかった。
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