1.狐の嫁入り(後編)

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翌朝、林の中にそびえる屋敷を眺めながら、鬼は溜め息をついた。 二日酔いである。 しかめ面をした鬼の隣に、にやついた天狗の顔がある。 あれから朝までの記憶はない。気がついたら夜が明けていたのだ。 もちろん布団に寝ていたのは鬼一人だけだった。 「楽しめたか?」 天狗が面白そうに言ったが、何を、と聞き返すまでもない。 「知ってたな」 「まあな。ほらほら、うちと狐たちは、持ちつ持たれつだからさ」 鬼はあきれて、鳥居の真下にずらりと並ぶ狐面たちを見た。 日に照らされ一層鮮やかに見える朱色の鳥居を、来たときとは反対方向にくぐると、途端に狐の屋敷は姿を消した。 いや、消えたように細工をしてあるのだろう。 そうやって、人の目をかいくぐって暮らしている者たちは、他にも大勢いるのかもしれない。d204de3f-ea23-4c4c-8925-2e3787eb5953 林の中で、鬼たちと狐面たちは向かい合わせに並んでいる。 「試すような真似をしたことは、お詫び申し上げます。しかし、(おさ)にとっては一番可愛い末姫様。もちろん私どもも、末姫様をいい加減な奴のもとに嫁がせるわけにはいかないと」 「だからって、なんであいつなんだよ」 (まく)し立てる狐面の言葉に被せるようにして、苦い顔をした鬼が呟いた途端、末姫の耳がぴんと立った。 「お知り合いだったんですか?皆の話だと、万が一が無いよう適当な者に頼んだから大丈夫、と」 意外と早口だ。実はこんなによく喋るやつなのか、と感心しながらも、鬼は何も答えられない。 「確かに適当だったな。ふさわしいほうの意味で」 天狗が、鬼に変わって話を引き取ると、鬼は激しく狼狽(ろうばい)した。 「まあ、それでも何事もなかったんだから、晴れて夫婦ってことで良いですかね?(おさ)!」 話をやや強引に収束(しゅうそく)させるかのように、空に向かって天狗が大声で呼び掛けると、一陣の風が起こった。 「おやじさん、泣いてないか」 「泣いてるわよねえ」 しみじみ言う天狗たちの横で、狐面たちもすすり泣いている。 無理もない。可愛がっていた末姫が突然よそに、しかも鬼のもとへ嫁ぐというのだ。 そこで、婚儀は形式的に執り行ったが、鬼が本当に末姫を大事にしてくれるかどうか、他の女をけしかけて試そうとしたのである。 これは、鬼以外の全員が知っていた。天狗も、末姫もだ。 末姫はもちろん反対したが、(おさ)に泣かれては了承せざるを得なかった。 あの、大広間での末姫の詫びはこのことだったのである。 腑ふに落ちたような、納得いかないような、とにかく女に手を出さないで良かったと鬼は深く息を吐いた。 「やっぱりお嫌ですか?」 遠慮がちに末姫が問うが、その視線は鬼ではなく自分の胸元に向けられている。 鬼は、なんとも複雑な気持ちになった。 「俺は、そんなに胸のことしか頭にないように見えるのか?」 「見えるから試されたんでしょ」 烏天狗が、豊満な胸元で腕組みしながら、にべもなく言った。 ざざっと、もう一度風が吹く。 「早く行かないと長が連れ戻しにくるぞ」 天狗が大真面目に言ったが、本当に洒落にならない。 大仰(おおぎょう)な婚儀とは打って変わって、では、と双方軽く頭を下げ、その場はお開きとなった。 末姫の荷物が入った行李(こうり)を軽々と担ぎ、鬼は天狗たちにも手を振って、自身の住みかがある低山に足を向ける。 「歩けるか」 はい、と答え、末姫は鬼の半歩後ろを健気(けなげ)に歩いている。 一度だけ振り向いたが、すでに狐面たちの姿はなかった。 「いいのか」 鬼が前を見たまま言う。 何がですか、と末姫が聞き返す。 「俺はずっと一人だから、夫婦がどんなものかわからない。誰かと暮らしたことすらない」 末姫の歩幅に合わせて、ややゆっくり山道を歩く鬼の横顔は、困惑しているようだった。 「はい」 同じく前を向いたまま、よく通る声で末姫が言った。 「寝床も食事も無頓着だし、あの屋敷とは雲泥(うんでい)の差だぞ」 「はい」 ちょっと可笑(おか)しそうな、明るい声音(こわね)が真横からきこえた。末姫が一歩を大きく踏み出して、鬼の隣にならんだのだ。 「一緒なら、どこでも」 目が合った。 そして、二人で破顔(はがん)した。 後日談 「ところで…昔、何があったんですか?」 「…なんのことだ?」 「とぼけないでください。あの、豊満な方が…その…」 「…まあ、もう昔の話だからさ」 小屋の中に、文字通り雷が落ちた。 150cd89a-6d72-489b-8e66-f11dc2a42d7a 狐の嫁入り・了
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