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2、3日前に、彼女は大天狗に呼ばれた。
神妙な顔の大天狗に、困り顔も素敵…などと見とれていると、大天狗は突然彼女の両肩を掴んだ。
「え?あの?長?」
好みの顔が、至近距離でじっと見つめているのだ。
普段若い天狗たちを文字通り蹴散らしている彼女からは想像できないほど、声も表情もしおらしくなってしまった。
「…うん、やはりお前しかいないな…」
愛の告白のようである。受けていいのか、いいんだろうな、待て、奥様がいるから妾になるのか?
人の中ではよく聞く話だが、そもそも天狗内ではそういうのが許されるんだっけ?
年頃の娘がどれだけ暴走した妄想をするかなど、大天狗は知らない。
「頼む」
頼まれてしまった。
ところどころ、妄想していて聞き逃した気もするが、どんなことでも長の頼みなら聞かなくては、と、無駄な意気込みのまま返事をした。
「わたしで、よろしければ」
言い切った。心臓が早鐘をうつ。
対照的に、大天狗は安堵の息を吐くと、力を抜いた。彼女の肩を掴んでいた手が離れた。
「そうか!いやあ、良かった。正直言うと、息子は若いのに達観してるふうだから、もう少し年上が良いかと思ってたんだが、家内に相談したら、お前が一番良いんじゃないかと言うことでな」
息子?
あのすかした若天狗のことか?
「まあ、合わなかったら、遠慮なく言ってくれ」
何が、と問う間もなく理解した。
大天狗ではなく、息子のほう、つまり若い天狗の嫁候補として指名されたのだ。
彼女は脱力した。
おそらく初恋であろう相手から、違う男の嫁になれと言われたのだから。
そして、自分を推薦したのは初恋の男性の奥様である。
立場上も気持ちの上でも、しんどい。
「お父さんはね、あの子はもう少し年上でもいいんじゃないかって言ってたんだけど、年が離れすぎても話が合わなかったら困るし。何より顔と体があの子の好みに一番合うのがあなたなのよね」
もしかしたら義理の母になるかもしれない人の発言だが、明け透けすぎて身も蓋もない。
要は、達観してるような、飄々としているような態度に見えても、やつも健全な青少年だということだ。
彼女にとっても、山の跡取りとはいえ、小さい頃はよく遊んで見知った仲であり、そう遠い存在でもない。
それだけに、嫁と言う言葉にかなりの違和感を感じるのだが。
「不満なのね」
長の妻は、彼女に対し、もっと年上の男性が好きそうだものね、と意味ありげに笑う。
相手が相手だし、そう言われてしまうと居心地が悪い。
しかしさすがに、長の妻であり息子を育てた母親である女性の眼差しは優しく、力強かった。
「良い子だから。よろしくね」
もう、頷くしかなかった。
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