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3.大天狗の羽団扇(序)
「親父さんて、一体いくつなんだ」
鬼が、縁側に寝転んだまま聞いてきた。
彼は、時たま素朴な疑問を投げ掛けてくる。
手にした書物を読む手を休めて、天狗は問いに問いで返す。
「どうした、いきなり」
「狐の話を聞いていたら気になって」
そう言いながら屋敷の奥を見る。
鬼と狐の末姫が所帯を持ってからは、天狗のところにやって来るのも大抵2人一緒である。
狐と烏天狗は元々見知った仲だったので、打ち解けるのも早く、今も奥から明るい話し声が聞こえてくる。
「狐の長って、百年以上生きてるらしいって本当か?」
ああ、と天狗は答えた。
はっきりとした年齢は定かではないが、尾が複数ある狐は寿命も長いと聞く。というより、普通の動物や然程力の無い者たちは、当たり前だが長の寿命が全うされたのを見たことがないので、長命だろう、と親やその更に親の代から半ば昔話のように伝え聞いているだけだが。
「そうらしい。俺も本性は見たことがないからわからん」
お前は見たのか?と天狗に聞かれ、鬼も首を横に振る。
「いや、ないんだけどさ。長と昔からの知り合いっていうお前の親父さんも、そのくらいなのかと思って」
その言葉を聞いた天狗は、顎に手をやり自分の父親の顔を思い返す。
「さすがにそこまでの年齢では無いかな…母さんはあれだしなあ」
大天狗は、見た目は人間で言うと50歳前後だろうか。目尻や口元に適度な皺は刻まれているが、老いは感じさせず貫禄を醸し出している。
白い羽と同じように髪は白く、後ろで一つに束ねられている。老いた人間には顕著に見られる白髪も、大天狗と息子の天狗はこの世に存在したときから既に備えていたのだ。
そして、人間とは異なる特徴を有するものたちは、過ごす時間もまた、人間とは異なるらしい。
ある程度、容姿が大人の様相を成すと、あとは緩やかな時間の中で長い年月を過ごすものも多数いる。
しかし、人間と密接な距離で過ごす彼らは、争いや不意な出来事で命を落とすことも多い。
長命と言われる異形のものたちが、天寿を全うしたのを見たものもまた、存在しないのだ。
「人間たちは、寿命があるけどな。俺たちはそう言っていいものなのか、よくわからん」
同種とともに山の中で暮らす天狗は、周囲のものがいつの間にか存在し、また消えていく日々を、時には抗い、時には受け入れながら過ごしているのだ。
「おーい」
優雅に、白い羽を畳みながら大天狗が眼前に舞い降りた。
噂をすればなんとやら、だ。
「おお、ちょっとは家長らしくなったか?」
鬼に顔を向けて、大天狗はにやりと笑う。こういうところは親子だなあ、と、自分の父親を見て天狗は苦笑した。
「九尾が、お前によろしくと」
大天狗率いる天狗の眷属と、九尾の長が率いる狐の眷属は、昔から付かず離れずの距離を保ち、交わらないが干渉せず、しかしながら互いの危機には密かに助け合う絶妙な関係を築いてきた。
狐と鬼との婚礼が案外すんなり進んだのも、狐たちと旧知の仲である天狗一族が、懇意にしている相手だから、という理由が少なからずある。
狐がいる屋敷の方を見て、ちょっと照れたように鬼が頷く。
20年ほど前、他者を寄せ付けない空気をまとっていた異形の幼子が、いま、違う種の者と暮らしている。
天狗の山で一緒に暮らすように促したとき、言葉がわからないはずの鬼が、頑なに首を横に振った。
はっきりとした拒絶の意志だった。
それ以後大天狗は、息子を連れて鬼のもとへ足を運び、読み書きを教え、意思の疎通と信頼を得た。鬼は、息子が誘えば、天狗の山まで遊びに来るようになった。
鬼は、自分の思いを隠すことなく表す。
それは、一歩間違えれば、他者との反発を生む。
反発の先に待つものは、排除だ。
山にいる限り、異形である限りは、人間と完全にわかりあえることはない。わかりあえない場合、大方は多数が少数を追い詰め、追い詰められた者も、その心根を歪めていく。
大天狗は、他者は拒絶するが排除はしないこの鬼の子が、どうかこのまま真っ直ぐに育ってくれるようにと、想いを込め、できる限りのことはしてきた。
「少しは、届いただろうか」
大天狗が目を細める。
いま眼前にある鬼の笑顔に、かつての友の笑顔を重ねていた。
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