1.狐の嫁入り(前編)

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「で?結局、狐たちの森まで行ったわけか」 天狗は、切り株に設置された盤面から目を離さないまま、抑揚なく呟いた。 「珍しいな、お前が他のやつらに関わるなんて」 短髪は白いが、面持ちは青年だ。 修験者(しゅげんしゃ)の装束を着こんだ体躯は、鬼と同じくらいか、やや肩幅が大きいくらいに見えるが、それは背中から悠然と伸びている白い羽のせいかもしれない。 9a066b36-6ec0-4585-9d3e-e7360e31c0a3 気のせいか、やや面映ゆいように鬼が答える。 「だってなあ、狐のやつ、寝ちゃっててさ」 起こすのも可哀想だろ?と続けながら、鬼は次の一手を指す。こちらも視線は盤面から動かない。 「なんだ。遅れたことをそんなに怒ってるのか」 「いや、俺は別にいいんだけど」 天狗は顔を上げ、首をくるりと背後に向けた。 「あいつが時間にうるさいからな」 言ったとたんに、ひゅっ、と、小屋の格子窓(こうしまど)から何かが飛んできた。木の幹に当たって落ちたのを見れば、杓子(しゃくし)である。 天狗の家は、鬼の住まいに比べると格段に立派な造りで、屋敷に近い。中で誰かが動いているのが、障子にうつる影から見てとれる。 話の流れからすると、中にいるのは天狗の彼女、兼、お守りである烏天狗だろう。 「ごめんなさいね。手が滑ったみたい」 威圧感のある女性の声が聞こえた。 地面に落ちた杓子を意にも介さず、天狗は盤上に次の手を打ちながら話を続ける。 「まあ、お前が遅れた理由が狐のことだってわかって、俺たちも安心だ。俺たちは狐とは持ちつ持たれつだから」 天狗はそこまで言うと体をひねり、やっぱり末のお姫さんだったみたいだよ、と小屋の人物に話しかけた。 「えっ、じゃあ見つかったの、良かった」 安堵(あんど)の声をあげながら慌ただしく出てきたのが、杓子の持ち主だ。 腰までの黒髪と、着物の上からでもわかる豊かな肉体を久しぶりに見て、鬼の食指(しょくし)が動いたが、一度友情にひびが入りかけた上に、本当に肋骨にひびが入ったので、以後は自重している。 今日も、飛んできたのが(じょう)ではなくて良かった、と呟きながら、拾った杓子を烏天狗に手渡した。
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