1.狐の嫁入り(前編)

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「…あの…」 狐面のものものしさには似つかわしくない声に、(きょ)を突かれたように鬼が振り向くと、先頭の狐面の隣に少女が立っていた。 面は付けておらず、背格好から、年の頃は十二、三か、いや、もう少し若いか。 鬼は、目を見張った。目尻がやや下がった大きな目を伏し、うつむき加減でたたずむ少女は、茶色の髪を二つに結っており、髪の間からは獣の耳が立っている。 その髪結い紐は、鬼が裂いた布であった。 「…受け取っていただきませんと…私が父上に叱られますので、どうか…」 お納めください、と続けたのだろうが、消え入りそうな声は、鬼の耳には入っていない。 「おい」 天狗が、黙ったままの鬼の顔を覗きこむが、普段の鋭い眼光(がんこう)は消え、目の前の少女をただ見つめているのだ。 (ほう)けているというのは、こういうことなのだろう。 魂が抜けたような鬼の顔と、鬼の視線の先にいる少女を交互に見て、ほーっと、得心(とくしん)したように天狗が呟いた。 「あの…何か、他にご所望(しょもう)のものはございますか?出来る限りの礼を尽くすよう、父上からも言われております…」 困ったように言葉を継ぐ少女に対し、含み笑いをしながら答えたのは、鬼の隣にいる天狗だった。 「お礼は、末姫さんが良いみたいだよ」 「え?」 「え?」 「あ?」 間抜けな声が続いた。 「こいつが」と、天狗は鬼を(あご)で指し、 「お姫さんと夫婦(めおと)になりたい、ってさ」 その場が、再び静寂に包まれた。 口元をやや弛緩(しかん)させたままの天狗とは対照的に、少女は頬を真っ赤に染めたまま鬼を見据(みす)え、硬直している。 反対に、真っ青になり硬直していた狐面が、我に返ったように叫んだ。 「何、なにを!末姫はあの…尾も三本でか弱いうえ、(おさ)は手元で大事に…」 「あら、だったらなおさらいいんじゃないの。よその狐たちとの縁組みは、しないつもりだったんでしょう?」 烏天狗が間髪入れずに口を挟むと、少女は鬼から目を逸らした。 「まあまあ、まずは本人の口からきちんと伝えてみようか、ねえ」 おい鬼、とにやにやしたまま天狗が小突(こづ)くと、鬼は予想外の言葉を口走った。 「あ、いや…確かに可愛いし…可愛いけど、まだ十二、三の子供はさすがに…!」 鬼がそこで口ごもると、今度は、鬼以外の全員が硬直した。 「…鬼?お前なに言ってる?」 烏天狗が渋い顔で言った。 「あ、やっぱりもう少し小さかったのか?だいぶ前に見た里の子供がこのくらいだった気がしてさ」 手のひらで子供の頭ほどの高さを示し、鬼が大真面目に取り繕う様を、天狗は、苦笑とも憐れみともつかない顔で見ている。 「末姫は十八でございます。小さくとも、もう大人ですので…」 狐面がおそるおそる言うと、皆の視線が一点に注がれた。 「え?十八?…の割には…」 鬼が少女の胸元を見ながら、平らな何かを撫でる仕草をした次の瞬間、空が光った。 「あ、姫!小さいとはそういう意味ではなく…!」 「あー、確かに小さいからなあ。まあ、鬼の好みからは…うーん」 「はあ?なに世間知らずなこと言ってるの?小さいには小さいなりの、良さがあるのよ!」 「お前が言っても慰めにはならないぞ」 外野が好き勝手に議論をする間、耳を逆立てた少女が頬を紅潮させながら鬼に向かって言った。 「鬼殿は、私を気に入って下さったのですか」 先ほどとは違う、はっきりとした口調だ。 「あ…うん、はい…」 姫とは対照的に、鬼は間の抜けた返事をした。 その言葉を噛み締めるように一呼吸おいて、末姫は高らかに宣言した。 「私は、鬼殿の妻になります!父上にもお許しを頂きます!覚悟して下さい!」 空がまた光った。 勢いに押されて鬼は頷いたが、こそっと天狗に耳打ちをした。 「…なあ、覚悟ってなんだ…?」 鬼が少女の顔を見ると、今度は凝視された。 上目遣いで、口元をきつめに閉じている。頬は赤いままだ。 「…そりゃあ、平らな胸で一生我慢しろっていう覚悟だな」 天狗が、にやりとしながら言った。
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