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「…あの…」
狐面のものものしさには似つかわしくない声に、虚を突かれたように鬼が振り向くと、先頭の狐面の隣に少女が立っていた。
面は付けておらず、背格好から、年の頃は十二、三か、いや、もう少し若いか。
鬼は、目を見張った。目尻がやや下がった大きな目を伏し、うつむき加減でたたずむ少女は、茶色の髪を二つに結っており、髪の間からは獣の耳が立っている。
その髪結い紐は、鬼が裂いた布であった。
「…受け取っていただきませんと…私が父上に叱られますので、どうか…」
お納めください、と続けたのだろうが、消え入りそうな声は、鬼の耳には入っていない。
「おい」
天狗が、黙ったままの鬼の顔を覗きこむが、普段の鋭い眼光は消え、目の前の少女をただ見つめているのだ。
呆けているというのは、こういうことなのだろう。
魂が抜けたような鬼の顔と、鬼の視線の先にいる少女を交互に見て、ほーっと、得心したように天狗が呟いた。
「あの…何か、他にご所望のものはございますか?出来る限りの礼を尽くすよう、父上からも言われております…」
困ったように言葉を継ぐ少女に対し、含み笑いをしながら答えたのは、鬼の隣にいる天狗だった。
「お礼は、末姫さんが良いみたいだよ」
「え?」
「え?」
「あ?」
間抜けな声が続いた。
「こいつが」と、天狗は鬼を顎で指し、
「お姫さんと夫婦になりたい、ってさ」
その場が、再び静寂に包まれた。
口元をやや弛緩させたままの天狗とは対照的に、少女は頬を真っ赤に染めたまま鬼を見据え、硬直している。
反対に、真っ青になり硬直していた狐面が、我に返ったように叫んだ。
「何、なにを!末姫はあの…尾も三本でか弱いうえ、長は手元で大事に…」
「あら、だったらなおさらいいんじゃないの。よその狐たちとの縁組みは、しないつもりだったんでしょう?」
烏天狗が間髪入れずに口を挟むと、少女は鬼から目を逸らした。
「まあまあ、まずは本人の口からきちんと伝えてみようか、ねえ」
おい鬼、とにやにやしたまま天狗が小突くと、鬼は予想外の言葉を口走った。
「あ、いや…確かに可愛いし…可愛いけど、まだ十二、三の子供はさすがに…!」
鬼がそこで口ごもると、今度は、鬼以外の全員が硬直した。
「…鬼?お前なに言ってる?」
烏天狗が渋い顔で言った。
「あ、やっぱりもう少し小さかったのか?だいぶ前に見た里の子供がこのくらいだった気がしてさ」
手のひらで子供の頭ほどの高さを示し、鬼が大真面目に取り繕う様を、天狗は、苦笑とも憐れみともつかない顔で見ている。
「末姫は十八でございます。小さくとも、もう大人ですので…」
狐面がおそるおそる言うと、皆の視線が一点に注がれた。
「え?十八?…の割には…」
鬼が少女の胸元を見ながら、平らな何かを撫でる仕草をした次の瞬間、空が光った。
「あ、姫!小さいとはそういう意味ではなく…!」
「あー、確かに小さいからなあ。まあ、鬼の好みからは…うーん」
「はあ?なに世間知らずなこと言ってるの?小さいには小さいなりの、良さがあるのよ!」
「お前が言っても慰めにはならないぞ」
外野が好き勝手に議論をする間、耳を逆立てた少女が頬を紅潮させながら鬼に向かって言った。
「鬼殿は、私を気に入って下さったのですか」
先ほどとは違う、はっきりとした口調だ。
「あ…うん、はい…」
姫とは対照的に、鬼は間の抜けた返事をした。
その言葉を噛み締めるように一呼吸おいて、末姫は高らかに宣言した。
「私は、鬼殿の妻になります!父上にもお許しを頂きます!覚悟して下さい!」
空がまた光った。
勢いに押されて鬼は頷いたが、こそっと天狗に耳打ちをした。
「…なあ、覚悟ってなんだ…?」
鬼が少女の顔を見ると、今度は凝視された。
上目遣いで、口元をきつめに閉じている。頬は赤いままだ。
「…そりゃあ、平らな胸で一生我慢しろっていう覚悟だな」
天狗が、にやりとしながら言った。
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