師弟。

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日を置いて、ヨッシーとそういうことを話す機会があって、俺は聞いてみました。 ヨッシーの、自分は自分でしかないって言葉が俺は気になったんで。 吉「私に限らず、この人になりたいという憧れは、誰しもあると思います」 その考えも決して悪くはないし、なりたい自分像というものがあれば、目標もできるし、いいこともあると言いました。 でも、ですよ。 いつしかそれは、なりたい自分、憧れのあの人のようになりたい、から。 “あの人になりたい”になってしまう人もおって、たいていそれは真似事であり、作り物でしかない、誰かに似せた自分になってしまうだけやと言いました。 吉「それはコンプレックスから来るからそう思うようになったのか、そういう方向に走る人に限って、現状の自分というものを否定したがるんです」 自分の環境。 自分の持つもの。 他者と比べて感じる劣等感。 だけどそれも、ふと気づくそうです。 吉「真似たとて、現状何も変わってないんです。なりたい人間になどなれず、そんな自分にまた絶望し、それを認めたくない、自分というものを否定したいがために、隠すようにいろんな“なりたい皮”を被っていくんです」 そしてそれにすら気づかずに、いつしか自分自身が見えなくなっていくと言いました。 吉「こんな自分は嫌いという人もおりましょうが、どうして嫌うんでしょうねぇ。私も自分自身が嫌いで、周りも嫌いで、いつ死んでもいいと思ってた頃、時子さんに言われました」 自分を認めることが怖いですか?と。 自分を嫌ってる自分を、他者を嫌う自分を、自分の環境を。 吉「はじめは理解できませんでしたが、いつしか私自身認めなければ前に進めないと思えたんです」 そう思わせてくれたのは諸戸先生で、少しずつ“今の自分”“出来ない自分”を認めることができたと言いました。 ひとりで向き合うことは出来なかったけど、それを師匠が一緒に向き合ってくれたから、今の自分というものになれたと言いました。
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