オオカミでも羊でもない男

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 その男と言うのは、横でうなだれたまま動かなくなっている奴だ。ちりちりと真っ赤になった細い首筋が、妙に色っぽいなとぼんやり感じた。アルコールと浮かされた人間特有の喧騒のせいか、思考がまとまらない。しかしどうにか、もう少しだけでも良いから意識を明瞭にさせたくて、氷の解け切ったグラスを呷った。喉を内側から突き刺すような冷たい刺激で、鈍麻になった感覚がようやく生き返ってくる。二、三杯程度の度数の高い酒のせいか、体中が暑くて、クーラーの利いた店内だと言うのに自分は汗をかいていた。口から少しだけ漏れた水と頬を滑る汗を一緒にまとめて乱暴に拭う。  それからまるで、下着姿の女を盗み見るような、やましい心でもう一度、彼の首筋を見た。まったく焼けずに白いままを保っているそこは、やはり酒で赤く染まっていた。当の本人はそんなところに視線が注がれたままだとはつゆ知らず、ニスでテカテカしたテーブルに突っ伏してぐずぐずと泣いている。泣き声を上げたり嗚咽を吐いていないが、時折肩を震わせてはくごもった鼻をすする音が、組んだ腕の隙間から聞こえてくる。  その彼、朝倉環(あさくら たまき)は酷く参っていた。二十歳すぎた男がこんなに泣く理由はもちろんただ一つ。失恋であった。告白からフラれるまでの過程をつい目撃してしまった和泉宙(いずみ そら)は、環とそれほど話したことはなく、顔見知り程度だったが、独り置き去りにされて不憫にたたずむ彼の姿を見ていたら、何だか面白そうだと思って、半ば強引に飲みに誘ったのだ。
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