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そう言えばそもそも宙は彼の首筋など見たことがなかったと、ようやくわかった。だからこんなにも物珍しいのだ。というのも、環の髪はかなり長く、前は目元が見えないし、後ろは首など見えない。ショートの女の子より、かなり長い。しかし、その長さはお洒落によるものではなく、単に切るのが面倒で伸ばしっぱなしにしているらしかった。あちこち伸び放題で、手入れなどされていないから。
さすがに今日話したばかりの人間に触るのははばかられて、あさくらくん、と舌がうまく回らない口で言う。初めて、名前を呼んだ。何だか、いじらしいような、気恥しいような気持になった。友達に対して、君付けしたことはない。しかし他人を名前で呼んだりしない。あさくらくん、だって。自分で自分を少し馬鹿にした。
呼ばれた環は、顔を乱暴に拭いてから、控えめに顔を上げた。環は、酔っているとはいえ、宙を警戒しているようだった。元々誰と接するときも怯えた小動物のような人であったからしょうがないかもしれないが、ちょっと傷つく。一緒に酒を飲み、飯を食った仲なのに。
「朝倉くん、髪長くね?」
「…………」
フリーズしてしまった。虫の居所が悪いのだろうか、と思って顔を覗き込むが、その前にそっぽを向いてしまった。酔いが醒めてしまったのかな。まだまだ環の内面に滑り込みたい宙は、それを許さない。
「あっつくない? そんだけ長いと」
そう言うと、あつくない、とぶっきらぼうに返してくれた。しかし、アルコールのせいと言えど首や顔を真っ赤にさせて、何を言っているのだろう。
「髪、切りに行かないの?」
「…………美容院の人と、しゃべりたくない」
宙は笑いそうになった。実際、吹き出す手前まで笑いがこみあげてきた。しかしどうにか寸でのところで耐え抜いた。笑ったら、環はいじけるだろうと思ったからだ。
「そんでずっと髪の毛切れないの?」
「…………そうだけど」
そんな人、ほんとうにいるのか。別に適当に聞き流したり受け答えしているだけでいいのに。だからいつもそんなに髪が長かったのか。床屋に行かないのかと聞いたが、変な髪型にされて以来、信用していないらしい。なんだか、全体的に生きにくそうだ。
「俺で良ければ、切ろうか?」
「は?」
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