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相談内容『白猫に選ばれたって?』
「孝明。単刀直入に言う。次の当主はおまえじゃ」
じーさまは唐突にそんなことを言った。
じーさまと言っても、見た目はとても若い。実年齢よりも10は若く言われることが多い。
神職なのに、自衛隊員と比べても引けを取らないのではないかというくらい、毎日しっかり体を鍛えている。着物を脱いだらビックリするほど筋肉隆々だ。
その上、身長もかなり高い。140cmほどしかないぼくの視線は、じーさまが座ってくれない限り、合わせることすら難しい。
そんなじーさまは本殿の扉の前で静かに座していた。相対して拝殿に座っていたぼくに、威厳に満ちた声でハッキリと告げられた内容に目を白黒させた。
なにを言われているのか、まったく理解が追いつかなかった。
久能家は神職を世襲して、神守坂神社を守っている。社家と呼ばれる一族だ。全国に名をとどろかせるような有名な神社ではない。
しかしながら歴史は古く、社は平安の時代よりもずっと前に作られたものだという。
そんな神社の最上位にいるのが、ぼくのじーさまである久能英月で、今年で60歳となる。
神職としても最高位である特級をいただいている。
有名どころの神社でもない神職のじーさまがなぜ、そんな高い役職に就けるのかは、うちがまた『呪禁師』という特殊な職を生業としているからだ。
呪禁師は呪術によって病気や怪我などの要因となる邪気祓いが主な仕事だ。神力と言われる精神的な力を使って式神を操ったり、祈祷を行ったりもする。陰陽道の台頭によって禁止となった職ではあるけれど、今もひっそりと受け継がれている。
そんな職を生業にしているじーさまはまだまだ若く、神力も強いのにもかかわらず、そろそろ現役を退こうと考えているらしい。
そんな噂が立っていたのは知っていたけど、まさかその跡を継ぐのがぼくだなんて思いもしていなかった。
「なんでぼくなんですか?」
なぜぼくなのか。
ぼくの前にもっとふさわしい人がいる。
まだ12歳のぼくがどうして神守坂神社を継ぐことができるだろう。
神道にも精通していない。
知識もない。
肉体的にも精神的にもまったく未熟なのに、だ。
それにぼくは落ちこぼれだ。式神すら満足に扱えない。いつも失敗ばかりで、周りの人たちからだって、あれが将来の家長かと笑われているのだって知っている。
「おまえが選ばれたからだ」
じーさまは白い毛が混ざりはじめたあごひげをゆっくりと撫でた。ますます意味がわからない。
「誰に? 神様?」
「そうだ」
きっぱりとじーさまは言いきった。白い着物に八藤丸の紋様が施された白袴をはく最高神職であるじーさまならば、神様と意思疎通ができると言われても納得できる。
だけどそれなら尚更おかしい。
じーさまの跡を継ぐことができるのはぼくだけではない。世襲制であるならば尚のこと、ぼくよりも前にもっと適任者がいるからだ。
「お断りします。ぼくはまだ未熟です。そんなぼくが神社を守れるはずがありません」
「おまえでなくてばならんのだ」
「神様が言うからですか? それなら、神様の目は節穴です。今、じーさまの跡を継げるのは叔父上だけです。あの人を差し置いて、ぼくが跡を継ぐなんて絶対にできません」
断固として言いきる。叔父上はこの神社において二番目の地位にいる。ぼくはもっとずっと下の見習の身だ。誰もが異を唱えるに決まっている。
なのに、じーさまは「ならん」とハッキリと告げた。
「満則はダメだ」
「なぜですか? なぜ叔父上ではダメなんですか!」
「あのお方が決めたことだからだ。我々はそれに従わねばならん」
「あのお方って……白猫のことですか⁉」
「そうだ」
じーさまは静かに答えた。とても厳しい眼差しでぼくを見つめている。
「あんな猫になにがわかると言うんですか! 叔父上は立派な方です! あれほど優れている人をぼくは見たことがありません! それも見抜けない猫に、ぼくの人生を決められるなんてまっぴらごめんです!」
「孝明!」
ぼくが吐き捨てた言葉に我慢ならなかったのか、じーさまが声を荒げた。
「おまえがなにを思おうと、どう言おうと、決まったものは決まったのだ。三日後、継承の儀式を行う。わかったな」
あまりにも一方的だ。そこまでしてこの家を継がなければならないのだろうか。
いや。そんなことはない。ぼくにだって選ぶ権利はある。
――あんな性根の悪い猫に支配された家なんか、絶対に継ぐもんか!
爪の先が白くなるくらい強く、ぼくは拳を握りしめた。口を真一文字に結ぶ。
「では、これで失礼します」
深々と本殿に向かって頭を下げた。ゆっくりと顔を上げて、ハッと息を飲む。
さっきまでは確実にいなかったはずの白猫が、じーさまの後ろで長い足を揃えて座っていた。水晶のごとく澄んだ目でぼくを凝視している。
いつの間に座っていたのだろう。
足音も聞こえなかった。
天井の梁にいて、こちらを見ていたのだろうか。
そんなはずはない。
視線は感じなかった。
気配も、だ。
なのに猫はいる。
まるでずっとそこにいたかのように――
じぃっと黙ってぼくを見続ける猫が、大きな虎に見えてくる。咄嗟に顔を背けた。
自然に額が汗ばんだ。膝が抜け落ちそうになる。体がわなわなと震えている。
矢のような鋭い視線が肌を突き刺す。
空気が薄い。
息をするのも苦しい。
目には見えない手で喉元を押さえつけられている感覚だ。
いや、ちがう。
ものすごい力で喉元を噛みつかれている。狩りをする虎が獲物の息の根をとめるみたいに、だ。
白猫の呪縛を振り切って、逃げるように急いで社殿を辞した。
後ろから「ンナア」という猫の鳴き声が聞こえた気がしたけれど、ぼくは振り返ることができなかった。
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