【モニタリング】白猫と夢を叶えた少年と

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【モニタリング】白猫と夢を叶えた少年と

「お久しぶりです、叔父上。こんなところまでお越しいただき、ありがとうございます。大変だったでしょう?」 「この山道はたしかに大変になったよ」  縁側に叔父上を案内する。  ひなたぼっこをしてのんびりくつろいでいた白夜さんがゆっくりと起き上がった。ひとつ大きな伸びをすると、ちろりと叔父上を見た。 「白虎様もお変わりないようで」 「おまえは年を取ったな、満則……とおっしゃってます」 「そうか」  叔父上はふふっと楽しげに口元を緩めた。私たちが座るスペースを作ってくれた白夜さんの隣に、叔父上はふわりと腰を下ろした。 「私ももう60の年になるわけだが、おまえはいくつになったのかね?」 「42になりますね」 「姿は20代の青年のままなのに。そうか、もう42か」 「あの日から30年の月日が流れました。早いものです」  用意しておいた茶器に紅茶の葉を入れながら答えた。ひと冷ましした湯を注いで蒸らす。 「仕事のほうは順調かね?」 「そうですねえ。順調と言えば順調ですし。そうでないと言えば、そうでないというところでしょうか」  シルバートレーの上に置いたティーカップに紅茶を注ぐと、華やいだ香りが広がった。  白夜さんの好きなアールグレイの茶葉に、今日は特別にバラの花びらをブレンドしている。とても優雅で甘美な香りに、ひくひくと白夜さんの小さな鼻が動いている。 「しかしまあ、仲がよさそうでなによりだ。そうそう、私のほうもひとついい話があってね。それを今日は伝えに来たのだよ」  白夜さんの前にティーカップを置く。彼は紅茶の香りを大きく吸いこんだ後で、チロリと味見をした。  ピンっとまっすぐに長いヒゲが伸びた。口角も上機嫌に上がっている。どうやらお気に召したらしい。 「水無川に玄武の守り手が現れたらしいんだ」 「玄武の守り手ですか?」 「半年前だったか。水無川駅近くでボコボコに痛めつけられた男がいたそうなんだが……」 「ああ。それなら大いに心当たりがあります。ねえ、白夜さん?」 話を振ると、白夜さんは長いひげをピンッと伸ばした。大きな三角耳が外に向いている。 「その男が亀に話しかけられたと、昨日うちにお祓いをしてくれと訪ねて来たんだよ」 「亀……ですか?」 「手のひらサイズの小さい亀だったそうだ。おまえをやったのは白い猫ではなかったかとしつこく聞かれたらしい。どうやら白虎様を探しているそうだ」  叔父上が紅茶をすする。「おおっ。これはなんとも美味!」と感嘆の声をあげた。 「玄武の守り手が白夜さんを探しているとなると、神器も水無川付近にある可能性がありますね」 「ああ。おそらくな」  手の中にあるティーカップに視線を落とす。透き通った琥珀色の水面に自分の顔が反射して映る。 「わかりました、叔父上。玄武の守り手と神器を探してみます」 「そうか。すまないな」  叔父上は申し訳なさそうに目を伏せた。彼をまじまじと見つめる。髪には白が混じり始めていた。手も以前より血管がより浮き出ていて、しわもある。  家出事件の日から30年の月日が経った。神器の力で20代後半からまったく年を取らなくなった私を置いて、みなが老いていく。  そんな私が神社にいては、なにかと不便だろうと、私を外の世界に出してくれたのは他でもない叔父上だった。  私は継承の儀を行わなかった。家出事件の後で、じーさまと叔父上、そして白夜さんとで話し合って決めたことだ。  神器が私の心臓と融合してしまったこと。  そのことによって、私の体にもなにかしらの変化が現れるであろうこと。  この先、神器を狙う輩がまた襲ってくるかもしれないこと。  もろもろの事情を加味しての決断だった。結局、家そのものは叔父上が継ぐことになった。私は二級上の位をもらって、神守坂神社の祭典や会合に顔を出すことを約束して、家を離れた。  叔父上にとって、家を継ぐことは贖罪のひとつでもあるのだろう。  何者かに操られていたとはいえ、結界を壊して盗人たちを引き入れたのも、私の父母、つまり自分の兄とその妻を手に掛けてしまったのも、叔父上だ。  父に対する妬みや嫉みにつけいられたからこそ、起こった事件なんだと嗚咽を堪え、悔し涙を流し続けた叔父上の姿は30年経った今でも忘れられない。それこそ、全国を渡り歩いてでも神器を探し出して復讐するとまで言っていたのだから。  それでも幼い自分の側にいることを選んでくれたことには感謝しかない。今の自分があるのは、すべて叔父上のおかげなのだ。  叔父上が「一度きりの人生、やりたいことを好きにやりなさい」と後押しをしてくれなかったら、たぶんこうして心療所を立ち上げるようなこともなかっただろう。 「ああ、そうそう。孝明、その包みを寄越してくれないか?」  脇に置いていた風呂敷包みを指して、叔父上が言った。そっと手渡すと「ありがとう」とニコリとほほ笑まれた。  口元にほうれい線が浮かぶ。だけど以前と変わらず、叔父上の笑顔は春のようにやわらかなものだった。  私から受け取った包みを膝の上で開く。20㎝四方の白い箱が姿を現した。  気づいた白夜さんが箱に近づいて、ちょんちょんっと前足で突いた。私を見て「ウナア」と鳴く。 「早く開けろだそうです」  叔父上はクスッと笑いをこぼすと、おもむろに箱の蓋を開けた。整然と並んだ丸くて茶色いものを目にした白夜さんのしっぽが右へ左へゆったりと揺れている。  透明のフィルムで包まれたひとつを手に取ると、フィルムを剥して白夜さんの前に置いた。ふっくらと丸く茶色に焼き上がた生地の真ん中には大きな口を開けて威嚇する猫……いや、虎の焼き印が押されていた。 「どうぞ、白虎様。鏡月堂のクリームどら焼きです。今回はクリームを増量していただきましたので」 「ありがとうございます。鏡月堂のどら焼きはいつも売り切れで買えないんですよね。それにこれ、白夜さんのお顔が描かれていますね」 「父上が白虎様にお会いするならと、店の主人に直接電話をして作ってもらったのだよ。神様に献上する物だからと言ってね」 「そうですか。おじーさまもとても90歳とは思えないほどお達者でいらっしゃいますからね」 「あの人のほうが私よりも長生きしそうだよ。すべての神器が戻るまで死ねないって常々おっしゃっているからな」 「そうですね」  叔父上と視線を交わして笑い合う。  42年前に奪われてしまった神器のその後の消息はいまだ掴めていない。だが、玄武の守り手が現れたのが事実だとしたら、このところの人の心の乱れ様もまた、悪しき者がなにかしら関与しているのかもしれない。 「悪を懲らしめ善を高揚す。災いを打ち払い、世に泰平をもたらす……か」 「なにか言ったか、孝明?」 「いえ、なんでも」  頭を振って答える。叔父上からどら焼きを受け取って、フィルムを剥した。 「ウナア」  白夜さんが鳴く。いらぬなら貰ってやるぞと言っている。 「申し訳ありません、叔父上。もう一つ、白夜さんにあげてください。彼、私の分まで取り上げようとしてるんですよ。まったく器が小さいったらないんですからねえ」  白夜さんが厳しい顔つきで悪態を吐く私を見た。そっぽを向いて、どら焼きを割る。小さく千切ったどら焼きを口に放り込んでから、私は空を見上げた。  白夜さんの目のように澄んだ青い空がどこまでも広がっている。 「こんにちは! あの……お客さんを連れてきたんですけど……大丈夫ですか?」  庭の入口からよく知った少女がおずおずといった様子で顔を出した。  愛華さんだ。彼女の後ろには同じくらいの年のお嬢さんが立っていて、こわごわと身を隠しながらこちらを見ている。 「お仕事の依頼らしいですよ、白夜さん? しかもかわいいお嬢さんのようです」  どら焼きを食べ途中の白夜さんが不機嫌そうなむっつり顔で私を見た。耳がピクンッと細かく震えた。興味がないわけではないが、どら焼きを食べ終わるまでは話を聞く気はないらしい。 「では、私はこれでおいとまするよ」  立ちあがった叔父上が私に右手を差し出した。 「はい。また連絡いたします」 「罠かもしれん。気をつけろよ、孝明。おまえまで、私は失いたくない」 「大丈夫です、叔父上」  ガッチリと握手を交わす。叔父上が私の背中をトントンッと軽く叩いた。庭先でお嬢さん方と会釈を交わして静かに去っていく。  昔よりも一回り小さくなった叔父上の背中を見送った後、私は庭の入口に立ったままの二人のお嬢さんに声をかけた。 「ようこそおいでくださいました。遠かったでしょう? ほら、ここにおいしいどら焼きと紅茶がありますからどうぞ。さっそくお話を伺いますね」  ちょっとまてよと「ウナア」と鳴いた白夜さんを無視して、私はゆっくりと二人に近づいて行った。 「はじめまして。私、こういう者でして」 『しろねこ心療所 久能孝明』  黒字で印刷された名刺を、私は二人の前にそっと差し出した。
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