05

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「レグルス様! お怪我はございませんか!!」  バタバタと大きな足音を立てて、『ハイ』の警察官たちが集まった。先ほどの騒ぎを見た住人の誰かが通報したらしく、唯一立っていたレグルスを見つけて駆け寄ってきたのだ。 「私は問題ない」 「それはようございました。ところで、その御手に抱えているのはハイエナ族ですか? それも一緒に連行しましょうか」  警察官たちはそこら辺で倒れているハイエナ族たちの生死を確認してから連行するために頑丈な首輪と腕輪を付けていく。牙を剥かないように口の両端から頑丈な皮を噛ませて頭の上で固定させていた。 「この子は私の家人だ。よく見てくれ、確かに同じハイエナ族だがそこに転がっているのとは系統が違う。私が離れていた隙に、私の預けた鞄ごと襲われた」 「確かに、連中とは毛並みも違うようですな。承知しました。お大事になさってください」  深々と警察官が頭を下げる。唯一意識を取り戻したハイエナ族の男が、その様子を見て騒ぎ立てた。 「なんでだよ、そいつは俺たちの仲間だぞ!! なんでライオン族なんかがハイエナを!? そいつこそ人さらいだ!!」  まだ口輪を付けられていない男はレグルスを指さして大声をだしたが、警察官の誰もが相手にしない。唯一、警察官の制止に頷きながらその男に近づいたレグルスは、斑に一度も見せたことのない獰猛な笑みを男に向けた。 「貴様たちに斑は勿体ない。ヒートが来ないからと最低な扱いをしてきたのだろうが。ヒートが来ようと来なかろうと、結局は斑の自由も尊厳も奪うのか? 二度と貴様らの群れには返さないさ」  ぽかんとした顔をハイエナ族の男がした。  大事な宝物のようにボロボロで小柄なハイエナ族を抱きかかえたライオン族の気が狂ったのかと思ったからだ。おとなしくなったハイエナ族の男に警察官が他の者たちと同様に口輪やら首輪やらを付けていく。     そのまま足早に立ち去ったレグルスに、警察官たちは深々と敬礼したのだった。 *** 「斑。口を開けて。薬を飲む時間だ」  優しい低い男の声音に、斑は微睡ながら従う。できる限り口を開くと、苦い液体が口いっぱいに広がった。 「に、苦いよ!!」  一気に意識が覚醒して飛び上がりかけたが、途端に顔や腕、脇腹など体のあちこちが酷く痛んで斑は痛みに悶え苦しんだ。 「起きたのか? ……そんなに苦いか。飲みやすいように調合したのだが……」  おかしいな、と枕もとにいたレグルスが首を捻る。それにしても苦い。これならまだゴミ捨て場で見つけた骨にかじりついたが方がマシな味だと思える。 「あ、れ? ここはお屋敷の中? 鞄は?!」  大きな耳を立てながら周囲を見回し、それから自分が守ろうとしていた鞄のことを思い出した。慌てだした斑に苦笑いすると、レグルスは「落ち着け」と宥める。 「鞄は無事だった。……私があの公園で待つように言ったから、逃げもしなかったのか?」  レグルスが持ちうる限りの優しい声音で話しかけると、途端に斑の目が不安げに揺れ始める。何度か大きく瞬きをした後、首を小さく左右に振ってみせた。 「あの、あそこで逃げ出したら……レグルスが俺のこと、見損なうんじゃないかって思って。でも、鞄が無事で良かった」  何とか自分の不安を振り切るように斑がふわっと笑う。まだ右の目元は腫れていて痛々しいが、黒めがちな大きな瞳が少し細まって愛嬌のあるいつもの笑い顔だった。レグルスは言葉を発さずに斑の微かに震えている手を己の手のひらで包み込んだ。 「私は、あの鞄なんかよりもずっと、ずっと斑自身の方が大事だ。万が一、またあのようなことがあったら逃げていい。斑の匂いを追って、すぐに追いつくから。鞄の中身なんて金を出せば取り戻せるものばかりなんだ。だが、斑の命はどんなに金や宝石を積んでも、取り戻せない」  いつになく真剣にアンバーの瞳が斑を見つめる。  斑は手の震えが止まらないばかりか、一気に顔が赤くなるのを感じた。そんな……そんな勿体ない言葉を、自分が受け取っていいのだろうかと。 「俺……そんな風に言ってもらったの、はじめて。ずっと、何かあればすぐに死ねって言われてきたのに……」  大きな耳まで震えている。    確かに、自分はおかしいのだろうな、とレグルスは内心思った。ライオン族とハイエナ族は始祖たちの時代からずっと仲が悪い。お互い力と力で持って叩き潰し合って来た。  ――だが、きちんと言葉にしておかないと、目の前にいる小さなハイエナはすぐに自分の命など捨てるのだろうと思えて。 「言い忘れたが、斑の傷が治ったら『ハイ』を出立しようと思う。そろそろ往診であちこちの街を巡る季節となったから」  え、と斑が小さく感嘆の声を上げた。 「『ハイ』でも『アンダー』でもない街に行くの、はじめてだ! 俺が一緒について行ってもいいのかな」  はしゃいでから不安になったらしい斑に笑いながら頷くことで返事をすると、ぱっと黒い瞳が期待で輝いたのが分かる。斑は最初の頃と比べて、随分と感情も言葉も出るようになった。肌の色つやも良くなったし、黒ずんで薄汚いように見えていた耳や尻尾も今はふわふわとして綺麗な毛並みになっている。始祖から続く偏見や斑の酷い生い立ちのせいで隠されてしまっていたが、美しい青年だと思った。 (自分と同じ感情を、この子が持っているわけではない)  大切。失うのが怖い。そういった感情をなんて名をつけるべきか、分かっているのにレグルスはあえて考えないことにした。  きっと斑は初めてのまともな生活に喜んでいるだけだ。レグルスの元で生きていく術を身に着けることができれば、自分に似合った番を見つけてレグルスの元から離れていくだろう。 (誰かを傍に置いておこうなどと)  それは何度か心の中で繰り返してきた、己自身への問いだ。  だが、理屈で考えるよりもすっと斑の存在は自分の中に自然と深くまで入り込んでいた。  いつか。  きっと、そう遠くないいつか、斑と同じ種族で斑のことを大切にしてくれる者と斑が出会えたら――この手を、離そう。  頭の中ではちゃんと分かっているというのに、レグルスはしばらく斑からその手を離すことができなかった。
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